検索でこちらに来られた方、お気持ちお察しします。
作文・日記・読書感想文などなど、大人であれ子どもであれ、得手不得手に関わらず、人間として生きている以上、文章を書く機会はたくさんあります。
その「文章を書く」という行為には、「発想」「表現」という2つの大きなハードルがあり、それぞれの大きなハードルの中には、「事実の観察」「深掘り」、「整理」「文章化」という小さなハードルがあります。だから難しいんですよね。
この記事では、筆者の家庭教師や子育ての経験から、文章を書くのが元々好きな人とそうでもない人別に、作文の書き方をまとめていきたいと思います。
作文が得意で上手な人
人にはそれぞれ、得意な分野、不得意な分野があります。作文も例外ではありません。
作文が割りと得意で上手な人というのは、生まれ持った性質もあるでしょうし、発想力が豊かな場合もあるでしょうし、読書量が豊富で「言葉や表現の類例」をたくさん持っているために文章化自体が苦にならない人もいるでしょう。
そういう人は、「発想」「表現」というハードルの越え方をすでに自分なりに習得している可能性が高いため、あとはその「体系化」と「反復」を心掛ければ良いでしょう。
体系化
つまり、自分の中にボヤっと確立されている方法論を明確化(手順化)することです。
作文を書く手順はいろいろと紹介されていますが、こちらZ会の「作文クラブ」など、よくまとまっていますし、原稿用紙の使い方も簡潔に示してくれています。
基本となる手順は、以下の6つです。
- 材料を集める
- 材料を選ぶ
- 材料をふくらませる
- 構成(こうせい)メモを作る
- 作文を書く
- 作文を見直す方法
手順1と2が上に書いた「事実の観察」に相当し、手順3が「深掘り」に相当し、手順4が「整理」に相当し、手順5と6が「文章化」に相当します。
ぜひ参考にしてみてください。
反復
上のようにして作文の手順を明確化できれば、どんな時でもそれを応用して、かなりスラスラと文章を書けるようになります。
ただし、余程の文才でもない限り、体系化だけで文章がすぐにスラスラと書けるようにはなりません。やはり、何度も何度も繰り返し訓練する必要があります。
まず、本でも新聞でもネットの記事でも、良質なものなら何でも良いので、興味のある話題・テーマから読み進め、「言葉や表現の類例」をどんどんと蓄えていきます。
※ あまり質の良くない文章は避けましょう。
そして、蓄えた類例を自分の表現として、自分の手を動かして実際に文章化します。頭の中で考えるだけではダメで、実際に手を動かす作業が重要です(キーボードよりも手書きがおススメです)。手を動かさないと、「文章化」という作業は身に付きません。
このようなインプット/アウトプットの反復としておススメなのが日記です。
決して長文である必要はないと思いますが、「日記」という課題を自分自身に課すことで、「文章化」を自然と反復できるようになります。さらに、日記を英語などの外国語で書けるようにまでなれば、「他言語の習得」というおまけまで付いてきます。
作文が苦手で下手な人
作文は、「事実の観察」→「深掘り」→「整理」→「文章化」というハードルを越えることで文章が完成するわけですが、作文が苦手な人というのは、これら4つのハードルそれぞれについて、つまずいている可能性が高いです。
ですので、以下では、4つの各ハードルの越え方を見ていきたいと思います。ここでは、大人(親)が子どもに教えるシチュエーションで話を進めます。
「事実の観察」
作文の基本として、「5W1H」がよく紹介されますね。いつ(when)、どこで(where)、だれが(who)、なにを(what)、なぜ(why)、どのようにした(how)かを書けば、ひと通りまとまった文章が書ける、という魔法です。
これらのうち、why と how は次の「深掘り」に譲るとして、「事実の観察」では、「いつ、どこで、だれが、なにをした」に絞って子どもに思い出してもらい、それを親からの適当な声掛けで引き出します。
それを文章にすれば、たとえば「今日、わたしは、遊園地で、遊びました。」となります。これ以外に、「誰と行った」や「こんなアトラクションを楽しんだ」とか、「天気はどうだった」なども一緒に引き出してあげて、それで文章を肉付けしていけば、「事実」に関して文章の立派な骨格が出来上がります。読書感想文でいえば「あらすじ」に当たります。
「いつどこでだれがなにをしたゲーム」ってご存知ですか? 小学校などでやると、すごく盛り上がるゲームです。
「事実の観察」というのは、この「いつどこでだれがなにをしたゲーム」をやるのと同じです。ただし、作文の場合はこれを1人でやることになるため戸惑う子もいます。ですので、最初のうちは親が付き合って、適当な声掛けで引き出してあげるのです。
深掘りの前に「整理」
次の手順は「深掘り」ですが、その前に「整理」について書きます。その方が分かりやすいと思うからです。
「整理」とは、観察したり深掘りした「事実」(読書感想文の「あらすじ」)と、それに対する「感想」(感じたこと・考えたこと)とを原稿用紙上でどのように構成するか、ということです。それには、主に4つの方法があります。
通常型
図解すると、以下のようになります。
観察したり深掘りした「事実」(あらすじ)を最初に書いてしまい、「感想」をあとでまとめて書く方法です。小学校低中学年では、この型の説明文がたくさん教科書に出てきますので、一番なじみのある構成だと思います。
細切れ型
「事実」を時系列に書いていくのですが、1つ1つの事例ごとに、その「感想」も書いてしまい、「事実」と「感想」のセットを複数個作っていくイメージです。時系列に物事が発生する日記などで効果を発揮しそうです。
逆転型
少し高度な方法で、最初に「感想」(結論)を書き、その後、その感想を書くに至った「事実」や根拠を述べる構成です。大人の方は、仕事のプレゼンなどでよく使いますので、結構馴染みがあると思います。
強調型
4つの中で一番高度な手法であり、小学校高学年の教科書でよく見かけます。最初に軽く「感想」を書いておくことで読者の注意を引きつけ、その根拠となる「事実」を述べることで説得力を持たせ、最後にもう一度「感想」を詳しく強調することで、文章全体の印象を読者に強く残すことができます。
「深掘り」
さて、上記4つの構成のどれを使うかが決まったら、次は、「事実の観察」で引き出された事実に対して、「why」「how」という問い掛けで事実を深掘りして肉付けしていく作業です。
まず、上述の「遊園地」の例であれば、「どんな遊園地だったか」「人は多かったか」「食事は何だったか」「天気はどうだったか」などを子どもに問い掛けて「事実」を深掘りします。これらは、上の構成図の「緑色」部分を埋めるのに役立ちます。
ただし、これらは単なる「事実」に過ぎないため、さらに「気持ち」を深掘りしていく必要があります。
「何が(どう)良かったか」「何が(どう)面白かったか」「何が(どう)楽しかったか」「何が(どう)つまらなかったか」などを問い掛け、さらに、「なぜ良かったか」「なぜ面白かったか」「なぜ楽しかったか」「なぜつまらなかったか」などを問い掛けることで、子どもの記憶や気持ちをどんどん追跡していきます。
読書感想文なら、「主人公はどう思ったか」「あなただったらどうする?」といった切り口の問い掛けも可能ですね。これらは、上の構成図の「ピンク」部分を埋めるのに役立ちます。
さらに、出てきた答えに対しても、「why」「how」を再度問い掛けて、子どもと一緒に深く深く気持ちの深海を旅していきます。そうやって、子ども自身も気づいていなかった本人の「気持ち」を上手く引き出してやれば、原稿用紙なんてすぐに埋まってしまうほどです。
ただし、「深掘り」で注意したいのは、子どもが的外れなことを言ったとしても、それを決して否定せずに受け止める、ということです。子ども自身がどう思ったかという点が最も重要なポイントですし、否定された子どもは次から自由に発想し難くなって、素直な感想が出てこなくなります。場合によっては「深掘り」そのものを嫌いになってしまいます。
「文章化」
上に書いた「深掘り」にも言えることですが、自分の発想や考えを言葉や文字として表現するのって、苦手な人にとってはかなり苦しい作業です。
ですので、上述のように「問い掛け ⇒ 回答」という習慣づけを日ごろから行うこととは別に、「言葉や文章の紡ぎ方」を身に付けなければなりません。「紡ぎ方」というのは、言葉と言葉、文章と文章をどのようにつないで文章にしていくか、ということです。それこそが「表現 = 文章化」です。
そのためには、例文を使い、どの言葉・文章とどの言葉・文章がどのようにつながっているか、ということを理解してもらった(インプット)上で、その文章をまるごと模写(アウトプット)する作業が有効と考えられます。そうやって「言葉や表現の類例」を頭の引き出しにどんどん蓄積していかないことには、そもそも「表現」のしようがありません。
たとえば、「エルマーのぼうけん」という有名な児童書から引用してみたいと思います。
エルマーは、おなかがぺこぺこになってしまったので、みちのそばにはえていた、小さなバンヤンの木の下にすわって、みかんを四つたべました。
あと十三しかのこりません。ほんとは、八つか十たべたかったのだけど、いつになったら、もっとみかんをみつけることができるかわからないので、がまんしました。
エルマーが、みかんのかわをしまいこんで、たちあがろうとすると、また、あのいのししのこえがきこえました。
赤文字のような接続形を習得すれば、「なぜ?」と聞かれた時に答えやすくなりますし、物事を時系列で説明する際の類例の1つになります。また、「ので」のほかに「から」「ため」を使えばどうなるか、「のだけど」のほかに「けれど」「のに」を使えばどうなるか、というように話が広がっていきます。
青文字の部分は、数の表現の勉強になります。「みかんを四つ」のほかに「四つみかんを」「四つのみかんを」を使えばどのような印象になるでしょうか。また、「あと十三しか」の部分を「みかんはあと十三しか」としてみるのはどうでしょうか。さらに、「十三」や「十」だけ単位(「個」)が抜けていることの意味を考えるのも面白いですね。
もう1つ。
エルマーは、川ぎしをのぼったりくだったりしながら、川をよこぎるほうほうをかんがえました。
そのうち、一本のたかいさおが、たっているのにきがつきました。そのさおから、川のはんたいがわに、一本のつながわたしてありました。そのつなは、さおのさきのわをとおり、下のハンドルでまきとるようになっています。ハンドルのところに、なにか、かいてありました。
緑文字は、文と文のつながりの部分ですが、1つ1つの文は短いのに、流れるようなつながりのおかげで、4つの文がまるで1つの文のようにスーッと頭に入ってきます。このように流れのある文章は、我々一般人には意外に難しくてそう易々とは書けませんね。
以上のようにインプットしたものを模写(アウトプット)する作業を何回も何回も地道に繰り返して初めて、それなりの文章が書けるようになります。
ですので、「作文の書き方」という本記事のタイトルと少し矛盾しますが、少なくとも最後の「文章化」は一朝一夕でどうなるものでもなく、読書などの普段のインプットと、本の一部を模写したり感想を綴ってみたりといったアウトプットを反復するのが結局は一番の近道なのかなと思います。
まとめ
作文にはいろんな方法論がありますが、結局のところ、作文が得意な人であれ苦手な人であれ、「インプット ⇒ アウトプットの反復」に優るやり方はありません。
そして、その反復のきっかけとなるのが、他者の働きかけです。赤ん坊が大人との会話を通じて言葉を覚えていくように、子どもの作文も、親の問い掛けや普段の習慣付けで「深掘り」できるようになったり、大人から本を与えることで「文書化」のスイッチをいれてあげたり、ということが可能になります。
以上、大人(親)が子どもに教えるシチュエーションで話を進めてきましたが、「事実の観察」→「深掘り」→「整理」→「文章化」という流れやそのための方法論は、大人が文章を書く際にも十分に生かせることだと思います。
ブログなどを書く際の参考になれば幸いです。