敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

なぜ子どもを産み育てるのか?お金持ちでも貧乏でもない人生の選択肢

 

 

3番目の子ども(ムスコN)が生まれた 2011 年は、第3次人工知能(AI)ブームがすでに来ていたけれど、まだ今ほどは AI がインフラ化していなかった。

人工知能 子ども 育てる 産む 意味

 

カナダ・トロント大学のジェフリー・ヒントン(Geoffrey Hinton)教授がディープラーニングのモデルを論文で示したのは 2006 年だけど、その後、画像認識の国際的なコンペで驚異的に低いエラー率を叩き出したのは 2012 年だから、今のブームの起点はその頃とも言える。

 

それからわずか5年ほどの間に、資本家への富の集中が随分と進んだ印象がある。これには、AI が一役も二役も買っていることだろう。ピケティ・ハラリ両先生に聞くまでもなく、テクノロジを手にしてそれを利用する資本家と、それに利用される労働者階級とは、否応なく格差が開いていく。

 

子どもを産み育てる理由

その人生が AI 隆盛の歴史とも重なるムスコNは、こちらがバタバタと子育てしている間に、気が付けば小学校に入学していた。入学後も色々とバタバタしているが、空気を読むつもりが全くないムスコNは、ひたすら楽しそうに小学生をやっている。

 

こうやって子育てがひと段落したところで、「なぜボク(人間)は、子どもを育ててるんだろう?」という今さら感が半端ない疑問の雲が脳ミソの中でモクモクしてきた。

 

一般的に、子どもを(母親が)産んで(大人が)育てる理由なんて、無数にある。

  • できた
  • 結婚したから
  • みんなと一緒がいい
  • 親に孫の顔を見せたい
  • 好きな人と子育てしたい
  • 果たせなかった夢の代行
  • 老後の世話を頼みたい
  • 威張る相手が欲しい
  • 労働力が欲しい
  • 仲間が欲しい
  • 分身が欲しい
  • 日本のため
  • 種の繁栄
  • 暇つぶし
  • ・・・
  • ・・

 

どの理由も、自分の中にちょっとずつあるような気がするけれど、どれ1つとして気持ちの過半数に達する理由はない。逆に考えると、大した理由もないのに、子どもを育てていることになる。そう考えると、なんだかとても不思議な気分になってくるし、動物の本能としか言えなくなってくる。

 

けれど、現在の状況は昔と違い、子どもがスクスクと育つ一方で、(少なくとも頭脳レベルでは)人間に近いもの(AI)までもがスクスクと育ってきている。

 

人工知能社会の中で子どもを産み育てる意味 

AI がスクスク育つと、それは数ある「イノベーション」の1つとなって人間の「不便」や「退屈」を奪い去る。その結果、人間は「便利」「娯楽」を手に入れることになる。

 

ただし、人間は、「便利」を手に入れた結果、二度と「不便」に戻れなくなり、「娯楽」を手に入れた結果、二度と「退屈」を楽しめなくなる。そうやって便利や娯楽の消費にお金や時間を投入している間に、富は自然と資本家に集中していく。

 

富が資本家に集中すると、奇跡的に一億総中流を実現したこの国でも、少しずつ経済的な格差が大きくなっていく。経済的格差が拡がると、「食べられない」ほどの「絶対的貧困」ではなくとも、「隣の芝生は青い」的な「相対的貧困」が人々の心に宿ることになる。

 

すると今度は、今以上に富の再配分を強化するため、政府が生活に必要な最低限の現金を全国民に定期的に支給する政策を望む声が大きくなる。ベーシックインカム(BI)だ。

 

BI が支給されれば、最低限の生活には困らないため、余裕をもって好きな仕事にのめり込める、という幻想が見えてくる。一方で、BI を導入すると社会全体の生産性は低下すると考えられるため、その点では、BI の成れの果てがここ(↓)に見えるような気もする。

 

ナウルは、リン鉱石がもたらす収入に乗っかって、それらをひたすら消費に回し続けた結果、わずか 30 年(1世代)ほどで「働かない」ことが人々の身に染みついてしまい、悲惨な結末を迎えることとなった。

 

BI では、リン鉱石ブームに沸いていた当時のナウルほどの贅沢はできないだろうけど、生産性を犠牲にして、人間が経済(お金)を回すためだけの媒体になってしまう点では似ている。そもそも、生産性を犠牲にする以上、それは共産主義と同じ道をたどる可能性が高い。

 

だから、資本主義体制の下、苦しくても生産性を上げ続けることが人類の最適解として現実を覆っているわけだけど、そんな人間の生産性を AI が上回る分野が1つまた1つと現れるたびに、最適解が崩れていく未来が待っている。

 

最適解が崩れていく社会の中で、AI を利用する資本家から回ってきた BI を使って、資本家が AI 経由で提供するモノやサービスを消費することだけが唯一の楽しみになってしまうと、そんな自分自身の子どもも、同じく資本主義ゲームの中で肩身が狭い思いをして生きていくだけになる可能性が高い。これって、何の意味があるのか?

 

生物として子孫を残す理由

生物学的な観点では、生殖や出産は「種の更新」が目的である、と聞いたことがある。

 

生物 生殖 子育て

 

生物の体細胞は、毎日刻一刻、死んでは生まれる、という「細胞の更新」を繰り返しているけど、ある年齢まで達すると、その「細胞の更新」では効率が悪くなるため、生殖・出産によって次世代を作ることにより、「種の更新」を行う、ということ。

 

人間も生物だから、生物学的な観点では、これが子孫を残す理由となる。

 

生殖・育児モチベーションの低下

でも、人間は動物的な本能だけで生きてるわけじゃなく、いろんなことを考える。生の人間社会を観察しながら、いろんなことを考える。そうやって考えることが、生殖や育児の動機にも大きな影響を及ぼす。

 

昔は、「労働力」なり「国力維持」なり「戦時要員」なり、子どもを生み育てる「まっとうな理由」が用意されていたことが、ある意味救いだったのかもしれいない。

 

今は、そういった明確な理由があるわけでもないのに、かと言って、子育てが超絶ラクになったかと言えば、そうでもない。ネットや SNS などの娯楽が子育ての邪魔をする。保育園に落ちたから「日本死ね」と叫ばなければならない。ベビーカーでは、何故か恐縮しながら電車・バスに乗らなければならない。近所からは、DV や虐待のような怒声がよく聞こえてくる。子どもをネットやゲーム中毒から守らなければならない。ネットやゲームから離れすぎて友達もいなくなってしまう、ことがないように配慮しなければならない。他人に負けないように、受験勉強やスポーツを何故か親子で頑張る。学校の魑魅魍魎的な先生や児童や保護者と闘わなければならない。社会のさまざまな危険や誘惑から子どもを守らなければならない。

 

そうやって必死に育てた自分の子どもは、資本主義ゲームの一要員となって、本当に必要かどうかも分からないサービスを一生懸命に開発するかもしれないし、美味いとも不味いとも言われない食べ物を販売するかもしれないし、「あちら側」に頭脳の半分を埋没させるためだけの機器を宅配するかもしれないが、そうやって獲得したお金を、また資本家のためにせっせと消費に回す。

 

このように考える時、子どもを生み育てる理由がまったく見えなくなる。

 

人間として子育てする理由

でも、ガンバって育てていかなきゃならないから、「自分の人生を大人脳で振り返る」きっかけ作りを子育ての理由と思うようにした。

 

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自分の子ども時代のことは、断片的な記憶はあるものの、成人以降のようにはっきりとした記憶は少なく、ボンヤリしたイメージが残っているだけのことが多い。

 

一方、自分の子どもは、先天的にも後天的にも自分自身に似ている部分が少なからずあるため、そんな子どもを見ていると、「こういう時はこう考えるのか」「こんな時はこんな行動に出るのか」というように、2度目の自分の人生を大人脳で客観的に振り返っているような状況に気付くときがある。

 

同時に、環境やジェンダー、ネット社会の問題など、自分が子どもの頃には想像すらしなかった多様性の時代をこれから生きていく子どものために、大人脳で可能な限り考えた結果を、目の前の「過去の自分」にアドバイスしてやらなければならない。大したことはできないけれど、似たもの同士だからこその存在意義はありそうだし、そのモチベーションが気持ちの過半数に達するなら、子どもを育てる理由がまた見えてくる。

 

こんな自分の子どもが資本家になる可能性は限りなくゼロに近いけれど(と言ったら、子どもに失礼かもしれないけれど)、資本家になったなら「お金の上手な流し方」を、資本家にならなかったなら「お金による上手な流され方」を考えるベースに、親であるボクが少しでも関与する可能性があると考えると、少しソワソワしてくる。

 

そして、このようなことを通じて、目の前で繰り広げられる「過去の自分」の成長と対話しながら、現在進行形の人生とは別に、大人脳でもって「過去の自分」から眺めた後付けの人生も歩めることが、子育ての大きな理由になりそうな気がする。

 

さいごに

AI 時代の適者生存を考えるなら、「競争に勝ちたい」「覇権争いしたい」という競争意欲が強い一部の支配層と、自分が AI や資本家やお金の奴隷になっていることすら気付かない被支配層と、この2つしか生き残らない未来が来るのかもしれないけれど、そのどちらでもない中間で脅威に抗う層も、残ったっていいじゃないか。

 

* * *

 

子どもを持つ前からこんなことを考えていたわけではなく、たまたま子を授かり、たまたま難なく今まで子育てしてこれた結果論でしかないから、散々ネットビジネスで金儲けした挙句に「やっぱり大事なのはお金なんかじゃない」という誰かさんと同じで、「子どもを持ちながら『子育ての理由がない』なんて贅沢だ!」と怒られるかもしれないね。

 

でも、子どもを持つ前ではなく、子どもを持ってからでも、子どもを生み育てる理由を探すことはできるんだ、ということだけは言いたい。

 

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