敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

子供を持つ意味|それは人生の「主役」から「プロデューサ」になること

 

 

私は子供が嫌いです」から始まる伊武雅刀さんの名曲「子供達を責めないで」を知っていますか? おニャン子クラブに始まり、AKB48 や乃木坂46 など、数々のアイドルグループを世に送り出してきた名プロデューサ・秋元康さんの作詞で、1983年にリリースされた曲です。

※ ここでは長くなりますので、本記事の最後に歌詞全文を引用します。

 

一方、少し前に流行った『人口と日本経済 - 長寿、イノベーション、経済成長』によれば、1982 年以来、日本の子どもの数(0~14 歳人口)は、35 年間連続で減り続けているんだそうです。

 

現在まで続く少子化が始まったのが 1982年で、「子供達を責めないで」のリリースが翌1983年です。秋元康さんの凄さは、このように未来を予見できてしまうところでしょう。

 

とにかく、子どものムカつく点やダメな点をたくさん挙げて、「私は、子供が嫌いだー!!」と絶叫する曲なんです。皮肉と受け取ればよいのか、何かの教訓として受け取ればよいのかは分かりませんが、この曲を聴くと、子どもが欲しいような欲しくないような、不思議な気持ちになります。

 

3人を子育て中の筆者の経験でも、確かに子育ては大変で、嫌いになることもあります。

 

ただし、「大変だから嫌い」で思考停止してしまうと、この曲が本当に伝えたい部分を逃してしまってるようにも感じるのです。もっと深く、子育てを振り返ってみて、子どもを産むこと・子どもを持つことの意味を考えてみたいと思います。

 

 

 

子どもを持つメリット:2回目の人生が始まる

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筆者の娘は、中2の夏休み1カ月を、アメリカのユタ州でホームステイした経験があります。ステイ先は、子どもが6人(!)もいる大家族でした。

 

ステイの数カ月前から、同学年のホストとメールでやり取りを始め、たとえば、以下のようなメールが先方から届いた際には、辞書を引き引き、四苦八苦しながらも嬉々として返信の文面を考えていました。

I'm so excited to meet you!  I'm so excited for you to come stay with us this summer!

A little about me:

I love Harry Potter.  I love to sing.  I'm not great at playing the piano but I'm learning and I'm teaching myself so it's kind a hard.  I love to play the ukulele.  I plan on doing track in high school.  I'm very crafty.

And yah I think that is about it. I cannot wait to meet you and am so excited!!!

 

そんな彼女を見ていて、素直に「うらやましいな」と感じました。この年代で知り合い、文通し、出会い、相性が良ければ、国境を越えた一生の友人になりますよね。

 

筆者も外国人との文通やホームステイなどに興味を持った時期はありましたが、結局そういう機会に巡り会うことなく、今に至っています。

 

でも、子どもを持てたおかげで、2度目の人生として、自分ができなかったことを一緒になって体験できています。ステイ時に紹介するアルバムを一緒に作ったり、喜ばれそうなお土産を買いに行ったり、メールの文面を一緒に考えたり、とても楽しいです。

 

あまり首を突っ込み過ぎるのも良くありませんが、間違いなく、2度目の人生を楽しめます。

 

子どもから「生きる意味」を考える

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人生の大先輩で、陶芸にドはまりしている人がいます。

 

70歳まで汗水たらして働き、その自分へのご褒美として、2年通学して陶芸を本格的に勉強した後、自分で製作して展覧会に出品したり、近所の教室で教えたりしています。

 

その姿は嬉々としていて、「あぁ、大人時代を必死に駆け抜けて、上手く子ども返りできたんだな」と思わせてくれます。

 

過去記事『大人脳で考えても答えの見つからない「生きる意味」は子どもの中にある』にも書いたように、遊びや自由が制限された大人の世界から完全に解放され、遊びや自由という「子供らしさ」を手に入れた状態です。

 

人間は上手く立ち回れば、「子ども(自由)」⇒「大人(不自由)」⇒「再び子ども(改めて獲得した自由)」という理想的な変遷をたどれるものなんだな、と改めて感じます。最初から自由な子どもよりも、不自由を経験した上で獲得した自由ですから、たぶん最強でしょう。

 

筆者もこうありたいなと思いつつ、子どもを持つことで改めて考えられるようになった「生きる意味」を、いつも心の隅っこ置くようにしています。

 

 

 

子どもを持つ理由:心を解き放つ

子どもを持つ前とは変わったな、と思うことは、ほかにもあります。

 

たとえば、承認欲求です。

 

承認欲求は、多かれ少なかれ誰にでもあるものですが、承認欲求の権化のような子どもが目の前に現れると、自分の承認欲求などちっぽけなものに感じられ、以降は、承認欲求を満たす側の役割を演じるようになります。そのうち、承認欲求を満たしてあげることで、自分の承認欲求も満たされているような気分になり、「まぁ、いっか」となります。

 

あとは、「こだわり」ですね。

 

子どもに関わっていると、ただでさえ時間を奪われるのに、それ以上何かにこだわることは至極困難です。そのうち、「何にもこだわらなければいいんじゃないか?」と思うようになり、少なくとも子どもと接する間は、こだわりなんて捨ててしまいました。

 

もう、スッキリです。

 

子どもを産み育てて分かること

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子どもは、2回目の人生のきっかけとなってくれる存在です。子どもが何人もいれば、3回目、4回目、5回目・・・のきっかけにもなります。

 

2回目以降の人生は、「大人」という不自由極まりない状態で「生きる意味」を見失いがちな中、子どもに接することで得られる人生ですから、子どものように生きる意味を考える大きなきっかけにもなります。

 

子どもに期待しすぎなのかもしれませんが、子どもというのは、大人に「生きる意味」を教えるために生まれてくる、と最近になって考えるようになりました。それぐらい、子どものエネルギーは、大人のそれをはるかに凌駕しています。

 

どんな子どもでも、これだけは親に教えてくれます。「子育てって、大変」ということです。これすらも、「生きる意味」を考える大きなきっかけになります。というか、きっかけにしないと勿体ないです。

 

人生の「主役」を降りて「プロデューサ」になること

子どもを持つ前、自分の人生の「主役」は、自分です。自分を中心に、人生を設計すれば良いのです。でも、ひとたび子どもを持つと、子どもを中心に人生を設計し直すことになります。

 

つまり、人生の「主役」の座を子どもに明け渡し、自分は「プロデューサ」という立場で、子どもの人生をプロデュースする側に回るのが、育児・子育ての本質です。そうやって「主役」のバトンを次世代へ受け継ぐことで、親の人生も豊かになります。

 

秋元康さんのような名プロデューサになれれば、主役である子どもたちは、自己承認に満ち溢れた力強い人生を歩めますし、そうやって子どもが自分らしく生きてくれることが、プロデューサにとっての一番の報酬となります。

 

 

 

そして、他人のために生きる 

承認欲求やこだわりを捨て、プロデューサとして日々を過ごしていると、いつしか他人のために生きることが当たり前のようになり、それ自体が楽しくなってきます。筆者自身がそう思えるようになったのは、子育て10年目あたりからです。子どもがある程度大きくなり、落ち着いて子どもと接する時間が増えたことが大きいと思います。

 

もちろん自分のことも大切ですが、それ以上に他人のことを思いやり、他人を喜ばせようとする心は、自分自身を鼓舞し、励まし、強い意志で人生を切り拓いていくためのエネルギー源となります。人間の生きる意味を考えた時、このような「他人愛」こそが、最終的に到達すべき場所であることを、身をもって実感することになります。

 

子どもを持つことは、そんな「他人愛」を育む大きなきっかけとなるイベントです。このように「他人愛」のことを語るきっかけ自体も、筆者の子育て経験が原点にあります。

 

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子供達を責めないで

最後に、伊武雅刀さんの「子供達を責めないで」があまりに秀逸なので、引用します。

 


子供達を責めないで

 

私は子供が嫌いです

子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で

前向きな姿勢と無いものねだり 

心変わりと出来心で生きている

甘やかすとつけあがり放ったらかすと悪のりする

オジンだ 入れ歯だ カツラだと 

はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ

私ははっきりいって絶壁です

絶壁です!

 

努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない

人生の深みも 渋みも 何にも持っていない

そのくせ下から見上げるようなあの態度

火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児

そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ

 

私は思うのです 

この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと

大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう

私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています

 

わたっ・・・私は子供が嫌いだ!

ウン! 私は子供が嫌いだ!

子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか

いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです

身勝手で み・・・ 足が臭い!

エビフライ ハンバーグ カニしゅまい

コーラ 赤いウインナー スパゲティナポリタン

好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする

泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ

 

スクスクと背ばかり高くなり  

定職もなくブラブラしやがって

逃げ足が速く いつも強いものにつく

あの世間体を気にする目がいやだ

あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ

何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちのつぶらな瞳だ

 

そんな子供のために 私達おとなは何もする必要はありませんよ

第一 私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか

これだけ子供がいながら ひとりとして感謝するものはいないでしょう

だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ

ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ

 

子供はきらいだ! 子供は大嫌いだ! 

離せ 俺は大人だぞ!

誰が何といおうと私は子供が嫌いだ

私は本当に子供が嫌いだ!

私は 本当に 子供が嫌いだー!

 

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