若かりし頃、リュック1つで東南アジアや北米を旅したのは、チリの「イースター島」にたどり着くまでの予行演習だったのかもしれない。
そう思えるぐらい、少年時代にテレビや伝記(なぜか、ノルウェーの学者であり探検家でもあるヘイエルダールの伝記に異常とも言えるほど、のめり込んだ)で知った「イースター島」は、ボクの心にずっと引っ掛かっていたのだが、そこを目指す旅が現実のものとなる日は、案外早く訪れた。
ペルーやアルゼンチンなどの南米諸国を回って最後にイースター島を訪れる計画を立て、それを実行に移していた 20代のころ。
南米への思いが強すぎたのか、日本を発つ前日に 40℃近くの高熱に襲われてしまい、家族を心配させてはならないと必死に平静を装いながら、そんな自分自身が実は一番不安を抱えての出発となった、あの旅。
その旅の山場の1つが、アンデス越えだった。
アンデスに近づいた7月は、南半球の冬。
ボリビア南部「ポトシ」という標高4,000mの街で、酸素の薄い寒風が吹きすさぶ中、ダイナマイトの模型を片手に銀の採掘で栄えた歴史をスペイン語と英語ごちゃ混ぜで説明してくれる現地ガイドのお兄さんの話を聞きながらも、「今日のシャワーは、ちゃんとお湯を出してくれるだろうか?」と安宿の設備が気になって仕方がなかった。
その夜、実際にお湯が出たのかどうかは忘れてしまったが、翌日はいよいよボリビアからチリへの国境越えに向けて出発だ。どんな国と国の組み合わせであれ、国境を越える瞬間は、何とも言えない高揚感に包まれる。たぶん、陸続きで国境を越えることが決してない日本で生まれ育った影響だろう。
そして翌日。
寒いポトシから、同じかそれ以上に寒い国境近くの街「ウユニ」に向かう日。移動にはバスを使った。というか、バスしかなかった。今は、ウユニに空港もあるみたいだけど、当時はそんな便利なモノなかった。
何かの用事でポトシからウユニまで移動する現地の人が横の席で巨大なチキンにかぶりつく様子を尻目に、空っ風が吹き付けて大きく揺れる鉄塔間の高圧線のはるか向こうまで続く雄大な大地をボーっと眺めていたら、暖房がほとんど効かない地獄のような寒さの乗車時間も、エンジントラブルやパンクで7時間かかった道のりも、それほど長くは感じられなかった。
とは言え、身体は疲れていたので、ウユニの町で1日休んでから国境越えに出発しようと最初は考えた。でも、ウユニに到着して付近を散策してみると、特に何もない旅の中継地のような町であることが分かったので、長居は無用と判断。
いつもの要領で適当なツアー代理店に飛び込み、外国人向けのツアー手配に慣れた手つきの受付嬢のスペイン語+英語を適当に理解して、その夜出発の「ウユニ塩湖縦走&国境越え」の車を適当に手配した。
確か、昼過ぎにウユニの町に到着して、その夜の7時頃には、国境に向けて出発したと記憶している。
現地の男性ドライバ、その娘と思しき 10代半ばに見える可愛い女の子のアシスタント、うら若きイギリス人旅行客、そしてボクが、日本製の四輪駆動車に乗り込んだ。内部は、日本ではほとんど嗅ぐことのない、南米風(もっと限定すると、ペルーやボリビアなどの太平洋側の南米風)の香りが充満していたけど、その匂いにはもう慣れていた。
慣れていなかったのは、外観の方。どこにぶつければそうなるの? というキズやヘコミ、日本ではほとんど聞くことのないエンジン音は、それから国境に至るまでの道のりを大いに不安にさせてくれた。まあでも、それに怯んでいては南米旅行などできるわけもなく、そそくさと乗り込んで出発だ。
快適と不快の中間ぐらいの揺れに、旅の疲れが重なって、そこからの記憶が少し曖昧ではあるが、確か、ウユニ塩湖の縦走に入る前に、どこかのボロ宿で一泊したのを覚えている。その際、「明日の朝は -15℃まで冷え込むぞ」とドライバが言ってた気がするし、なのに、ペラペラの毛布とボロボロの寝袋しか提供されなかったような気もする。一応、それなりの代金は払っているんだけどね。その夜をどうやって乗り切ったのか、ほとんど記憶がない。
朝起きて、パン切れを2~3枚とコーヒーか何かをもらい、ようやく「ウユニ塩湖」に向けて出発だ。
「ウユニ塩湖」は、琵琶湖の 20倍近くもある塩の湖。ボクが訪れたのは雨季から乾季に移ったころで、水が完全に干上がって雪が積もったように一面塩で真っ白の場所もあれば、水たまりが残っている場所もあれば、車で走行するにはちょっと危険では? と思えるぐらいに水位の残っている場所もあった。
ドライバは、そのような状況の塩湖で巧みに車を操縦し、出荷用の塩を精製している場所、塩のカマクラ、塩の塊で作ったホテルなどなど、ウユニ塩湖の数々の名所へ案内してくれた。
途中、風が凪いだ瞬間には、晴れ渡った空が鏡面のような水たまりに映り込み、上も下も見渡す限り空の中にいるような錯覚を感じられる、あのテレビなどでお馴染みの光景に何度も出会った。
そこに言葉は不要で、自分が地球の裏側でその自然から何を感じるか、ということが大切なのだ・・・などと、一応は考えた気がするのだが、実際には圧倒されるだけ圧倒されて、それから長い月日が流れ去った今となっては、脳裏に残る光景が、自分が実際に見たものか、テレビなどで見た映像の一部か、その区別すら怪しくなっているぐらい、人間の記憶とは残念なものであると感じる、その大いなるきっかけにしかなっていないような気もするが、まぁいいか。
昼間はそうやって、ウユニ塩湖のたくさんの見どころを案内してもらい、塩のホテルかどこかで夕食やトイレを済ませ、日が暮れるころ、湖の縦走開始だ。順調に行けば翌朝には、湖の向こう側、チリとの国境にごく近い位置までたどり着けるはず。
日が暮れて闇が広がると、そこにはイッテQでお馴染みの光景が。
満天の星空が鏡面の湖水に映り込み、上下左右の全方向プラネタリウム状態。昼間は空の中、夜間は宇宙空間に身を置いているような感覚を体験して、自分が地球人であることを忘れてしまう1日となった。
イッテQでウユニ塩湖が登場した時、「父ちゃんは、もっと前に経験してるんだぞ!」という言葉を飲み込み、のどにつっかえそうになりながらも何とか飲み込み、子どもたちと一緒になって素知らぬフリで「きれいだなー」という感想を口にしたのは、なぜなんだろう? それは分からないけれど、とにかく、自分で見たウユニ塩湖の夜も、イッテQで見たウユニ塩湖の夜も、同じぐらい美しくて安心したよ。
ただ、「結婚するなら美人よりも・・・」という格言と同じかどうはか知らないが、美しい光景も、それはそれで見続けると飽きる。なんせ、琵琶湖の 20倍もの塩湖をただひたすら走るだけだから、それはそれは飽きてくる。感動してるフリをする自分にも疲れてくる。イッテQでも何でも良いから、日本のテレビを見て過ごしたくもなる。
そんな欲求に駆られながら、またしても快適と不快の中間ぐらいの揺れにやられてしまい、9時ごろだったかな、強烈な睡魔がやってきた。そして、そのまま眠りについた。
運転席には、ドライバ。助手席には、その娘と思しきアシスタント。2列目シートにイギリス人。3列目シートに自分。時にユラユラ、時にガタガタしながら、明日にはチリに入れるのかなぁ、などと考えながら、命をドライバに 100%託して気持ち良い眠り・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
・
・
・
ウゥゥゥゥゥン。
ウィンウゥンウィンウゥン。
ウイゥゥゥゥゥン。
何時だ? 11時か。進んでないなぁ。
タイヤが空転する音ばかり。
昼間に見た水浸しの湖面の状況と、タイヤが空回りする音とを掛け算すると、答えは1つしかない。ぬかるみにタイヤがスタックしたことは、寝ぼけた頭でもすぐに察しが付いた。ヤレヤレだなぁ。
状況は分かるけど、この状況に最善の解決策は、百戦錬磨っぽいドライバに任せておくのが一番だろう。車を押してくれと言われれば、いくらでも押すよ。旅の疲れがあるとはいえ、腕力とエネルギーだけが自慢の若人だからね。さぁ、スペイン語でも英語でも何でもいいから、「押してくれ」と言ってくれ。スペイン語なら、ジェスチャ―も忘れずにね。
と、車から降りる準備をしていたのに、ドライバは、(やっぱり)スペイン語で早口にまくし立てただけで、娘と思しきアシスタントもイギリス人もボクも残して走り出し、すぐに闇の中に消えてしまった。あまりに不可解な行動に、ただあっけにとられるばかりだった。ひょっとして、自分だけ逃げたか!?
我に返ってアシスタントに話しかけてみるも、スペイン語しか話さないらしく、日本語とわずかの英語しか話さない日本人が通じることはできなかった。でも、アシスタントは終始にこやかで落ち着いているから、こういう状況に慣れっこなのか、ドライバが秘策を言い残して行ったのか、そんな様子だ。
やっぱり、ドライバに命を 100%預けるしかないのだ。琵琶湖よりもはるかに大きな湖のど真ん中で、氷点下の車外に出て助けを求めても、まるで意味がない。すぐ近くに人がいるはずなどない。携帯電話なんてもちろんつながらない。
うら若きイギリス人は、さっさと諦めモードに入ったのか、特に騒ぐでもない。ここで騒いでいては、日本男児の名が廃る! ドライバの帰りを待とう! と心に決めた。までは良かったのだけど、気付いてみると、妙に静かなんだよね。
えっ
エっ
エッ!
エンジン止まってるって!
そりゃ、ガソリンなくなったらそれこそ終わりだしね・・・ってことは、そこそこ長時間戻ってこないってことだよね・・・ってことは、長時間この氷点下の気温で暖房なしに過ごすってことか・・・ヤバくね?
ヤバい。こういう時の最善策は・・・何かの本に書いてあったような・・・でもそれほどサバイバルに生きてきたわけじゃないし・・・うん、たぶん動かないことだろう。
と勝手に決め込んで、少なくとも朝になるまでは動かないことにした。リュックからありったけの衣類を引っ張り出し、車内に置いてあった南米風の香りが半端ない毛布をかき集め、同乗者と分けっこし、冬眠モードに突入。
南米風の毛布は思った以上に暖かく、上手く冬眠に入れそうだ。何も解決していないのにちょっと安心してウトウトし始めた。そこで、ふと気づいた。
アシスタント、うら若きイギリス人、ボク・・・この状況って、何か起こりそう?
まさかね。
いや、起こった。
うら若きイギリス人「たち」の方向から、チュッチュと、あの音が聞こえてくる。
イギリス人の「男」がイギリス人の「女」の名前を呼ぶ声。イギリス人の「女」がイギリス人の「男」の名前を呼ぶ甘い声。
真っ暗闇の中、琵琶湖より 20倍も大きなウユニ塩湖に掛けられた吊り橋は、大きな「吊り橋効果」をもたらすのに十分なほど、危険な状況となっている。
そのうち、車がユッサユッサと揺れ始める。もちろん、地震ではない。もちろん、誰かが救助に駆けつけてくれたわけでもない。その震源は、間違いなく2列目シートに存在した。
学生時代に、物好きな先輩が夜の波止場に連れて行ってくれた時、車高が妙に低い車もそうじゃない普通の車も、どれも漏れなくユッサユッサしていたのは、決して陸風の影響でも地震の影響でもなく、やはり震源は車内にあった。そして、物好きな先輩は、その震源を確かめることに執念を燃やしていたのだ。
あの当時は、揺れを「車外」から見ていただけだったが、このウユニ塩湖では、揺れを「車内」で感じる羽目になってしまった。初めての経験だ。しかも、クリアな音声付き。
地球の裏側まで遥々と「大自然」を求めてやってきたボク。空には満点の星空。湖面にも満点の星空。ここは宇宙だ。この広大な宇宙空間の中で、まさかこれほどまでに「自然な行為」が目の前で繰り広げられることになろうとは、ちょっと想像外だった。若さバンザイ!だ。
その「自然な行為」の向こう側に、うら若きアシスタントの表情が見え隠れする。純朴そうな彼女だが、こういう状況にも慣れっこなのか、何一つ動揺することのない落ち着いた様子をボクに見せつけてくる。ここで動揺していては、日本男児の名が廃る! まさか、「吊り橋効果」が二重橋になることなどあるはずもなく、ただ時間が過ぎるのを待つことにした。
壮大な宇宙空間で揺れ動いていた吊り橋も、その持続時間は 30分ほど。いくら自然な行為とはいえ、この車を包み込む大自然の雄大さにはとても敵わない。人間は、所詮ちっぽけな生き物なんだよね。
「吊り橋効果」という言葉を当時は知らなかったと思うが、その効果を(当の本人ではないけれど)実体験として目の前で確認できたことは、その後の人生に大きく影響した、ような気がする。
あと、「人間は、ヒマを持て余すと行為に及んでしまうんだな」という、ネットや携帯電話が普及して世界から「ヒマな時間」が消えつつある世の中で、少子化を阻止するには「ヒマな時間」も結構大事なんじゃないか、という仮説にたどり着いた。
まさか、イースター島にたどり着く前に、「吊り橋効果」に遭遇するのみならず、少子化対策の仮説にまでたどり着くとは思いも寄らなかった。
さて、
ようやく静けさが戻ってきた。
-15℃の早朝から、数々の塩のオブジェや建物を見学し、空の中にいるような、壮大な宇宙空間に漂うような、そんな不思議な体験をし、車がスタックして「死」の恐怖を少し身近に感じ、と思ったら「吊り橋効果」が目の前にやってきて、少子化対策の仮説にまでたどり着く忙しい一日が、やっと終わった。もう寝よう。
z.
z..
z...
z...
zz...
zzz...
zzzzz.....
・・・何時間寝たかな。
朝日が地平線から顔を出す。
水平線から顔を出す朝日なら見たことあるが、地平線から顔を出す朝日を見たのは、あれが初めてだったろうか。
そして、その朝日を浴びながら、黒い影が近づいてくる。
コワい。今日もまた、朝からイヤな事件が起こるのかな・・・・・。
まさかね。
起こった。
いや、良い事件だ!
姿を消したドライバが、7時間ぶりぐらいに戻ってきたのだ!
なぜか自転車を引き、その自転車には葉っぱが生い茂った木の枝がたくさん括りつけられており、それを別の男が手で押さえている。しかも、2人ともニコニコの笑顔だ。ものすごく予想外ではあるが、納得の光景。
救いの使者の登場だ! 2人に後光が差して、これほどまでに神々しい様を見たのは、後にも先にも人生でこの時だけだ。ドライバを信じて良かった。アシスタントの穏やかな表情を信じてホントに良かった。その時のボクは、神々に出会えた喜びと、危機から脱出できる安堵感とで、ものすごくスッキリとした顔をしていたに違いない。
イギリス人「たち」は、そんなボクよりもスッキリの表情をしていた。当たり前か。
いろんなスッキリさんたちが見ている前で、2人の神々は、葉っぱが生い茂った木の枝をタイヤの前後に敷き詰め、いとも簡単に、ぬかるみからの脱出に成功した。神々の前では、ボクの腕力もエネルギーも、何の役にも立たないことがよーく分かった。
その後、2人の神々も乗せた車は、その神々の見えない力に支えられてか、一度もスタックすることなく、簡単にウユニ塩湖を渡り切ったのだった。
そういえば、スタックした地点で周囲を見渡しても、島影1つ見えなかったと記憶しているのだが、ドライバは真っ暗闇の中、どこへ向かい、どこから木々や自転車やもう1人の神を連れ帰ったのだろう?
そして、神々があの自転車を車に積んでいた記憶もない。あの場所に置いていったのだろうか? 不思議な出来事が多すぎて、いちいち確認することすら忘れてしまっていた。あるいは、神々に記憶を上手く消されてしまったのだろうか?
若人もそうじゃない人も、機会があれば是非、ウユニ塩湖を訪れてみよう。壮大な自然に出会えることはもちろん、人間が死の恐怖を感じた時、どのような行為に出る可能性があるのかを、身を持って体験できるかもしれないし、神々に出会えるかもしれないよ。
イースター島への旅は、まだまだ続く。