「オーガスト・ブルマンは、ふつうの男の子。ただし、顔以外は ― 。」
小学生のムスメが夏休みの読書感想文に「ワンダー Wonder」を選んだこともあり、「人は見た目」問題を改めて考えてみることにしました。
障がいの有無に関わらず、人は誰しも、「容姿」や「見た目」に少なからず悩みや迷いを持っていますよね。
筆者は、頭がよく育っています。もちろん、「頭が良い」のではなくて、「頭部が人より大きく育っている」という意味です。デカい丸顔のため、顔の幅も普通より広めなんですよね。
男性ホルモンの一種であるテストステロンが顔の幅に影響すると言われていますので、テストステロンの分泌が多いのかもしれません。
心理学的には、顔の幅が広いと、積極的で成功しそうな印象を人に与える一方、支配的で暴力的なイメージも与えるのだそうです。また、イメージだけでなく、実際の性格もそのような傾向にあることを報告した研究もあるみたいです。
あくまでも「傾向」ですから、実際に支配的だったり暴力的だったりすることなんて、(たっ、たぶん)ないと思いますが・・・(汗)。イメージや印象って怖いですね。
頭が大きい人あるある
「頭部が大きい」というのは立派な特徴であり個性なわけですが、そのようなビッグヘッダー(Big Header)である筆者には、日常生活を送る上でさまざまな問題が発生し、そのたびに陰で隠れて泣いています 話のネタができて喜んでいます。
✅ 冬場によくあることですが、普通サイズのマスクなのに「マスク小さいね」と言われます。あのね、そうじゃなくて、顔がデカいの!
✅ 写真撮影の際は、自然に遠近法を利用しようとしてしまう(後方に位置取ったり、頭部自体をできる限り後ろへずらそうと無駄に努力する)
✅ かぶりもの(Tシャツやセーター類)の試着で頭がなかなか出てこない
✅ 車に出入りする際、7割以上の確率で、頭頂部をドア枠にぶつける(いつになったら、自分の頭の範囲をしっかりと認識できるのだろうか?)
✅ 工場見学などでは、自分だけ、ヘルメットが頭部にチョコンと乗っかった状態になってしまう(いろんなサイズ用意しといてください 😢)
✅ 顔面の空気抵抗で自転車が前に進みにくい(・・・言い過ぎました)
✅ どこにいても目立つ(待ち合わせスポットにでもしてください)
人は「見た目」なのか?
ところで、人が人を評価する一番の決め手は、やはり「見た目」なのでしょうか?
賛否あるでしょうが、顔や身体に身だしなみ(服装など)も含めた「見た目」によって、その人の性格や気性、能力や経済力などを読み取ろうとする面があることは、誰だって否定できないと思います。
そして、以前ほどではないにしろ、テレビや雑誌などを通じて明示的・暗示的に垂れ流される「理想の見た目」的な情報によって、見た目の好みには、時代に応じた偏りが必ず生じます。
一方で、「人は見た目じゃない」という建前的な共通認識を設けて、否応なく「見た目」に走りがちな風潮に一種の歯止めをかけようとする機能も社会には備わっています(それが、動物にはない「人間らしさ」とも言えます)。印象に一番影響するのは確かに「見た目」かもしれませんが、そんなものは人間の数ある特徴の中の1つに過ぎませんからね。
いずれにしろ、見た目に少々難のある筆者としては、「人は見た目」などと認めるわけにはいかないのです。
「見た目」の影響
「人は見た目」などと認めたくはないものの、近頃のさまざまな研究によって、「見た目」にはいろんな影響があることが分かってきています。
- 見た目のよい生徒は、教師の期待が高く、それに応えようとして成績が伸びやすい(すると、教師の期待がさらに高くなる・・・好循環)
- 見た目のよい教師は、生徒からの評価が高くなりやすい
- 見た目のよい人は、就職で有利になりやすい
いずれも、見た目がよければ必ずそうなるわけではなく、単にそのような相関(傾向)があるだけのことです。ですので、これらを理由に、「見た目がわるいから」と諦める必要はありません。
一方、見た目の影響が減っていくパターンもあります。
たとえば、つき合いが長くなると、互いに見た目を気にしなくなっていくことが分かっています。確かに同性であれ異性であれ、付き合いの長い友人・知人の見た目なんて、ほとんど気にしませんよね。
また、「夫婦は似てくる」と言われますが、実際、時間の経過とともに見た目が似てくるという研究報告もあります(ツマよ、すまないなぁ)。
「容姿」コンプレックスを克服する方法
人が人を「見た目」で判断するのは、「見た目」の中にある2次的な情報が判断材料になるからです。
その情報には、さまざまなものがあるでしょうが、特に「自信」と「コミュニケーション能力」が重要となってきます。たとえば・・・
- 見た目のよい生徒は、その奥に自信が見えます。
- 見た目のよい教師は、その奥にコミュニケーション能力(説明力)が見えます。
- 見た目のよい就活生は、その奥にコミュニケーション能力(説得力)が見えます。
そして、第一印象に影響するこれらの情報も、つき合いが長くなると、時間とともにその影響が減っていくわけです。
以上を考慮すれば、「人は見た目」というコンプレックス(劣等感)を克服する方法として、以下のような点が浮かび上がってきます。
【身だしなみを整える】
まずは最低限の身だしなみです。たとえば、靴が汚れている人を見て、「仕事ができそう」「生活にゆとりがありそう」とは、なかなか思えないですよね。顔や身体を変えるのは難しいですが、身だしなみは何とか整えたいところです。
その上で、メイクや髪型、体型、ファッションなど、自分の努力でプラスに変えられる部分については、できる限り気を使っていきたいものです。
【自分を受け入れる】
「見た目がわるいから」と考えていると、その自信のなさが外面にも表れます。まずは自分の「見た目」を受け入れ、その上で見た目とは関係のない人生の目標や仕事の目標などを設定します。目標を設定するのは個人の勝手ですからね。
【コミュニケーション能力を高める】
これは、SNS やネットの世界ではなく、生身のコミュニケーションです。コミュニケーションする/しないで迷っているならば、まずは「する」を選択してみて、一歩ずつでも自分の殻を破っていきたいところ。また、いわゆる「雑談力」を取り入れてみるのも1つの方法です。
【自信を持つ】
自分を受け入れることと、コミュニケーション能力を高めることは、並行して進んでいくものだと思います。自分を受け入れれば受け入れるほど、コミュニケーションも円滑になり、そんな自分だからこそ、ますます受け入れやすくなります。その繰り返しで、自信が外面にも表れてくるはずです。
自信の無さや消極的な気持ちが物事を成功から遠ざけていることは意外に多く、自信を持つだけであっさりと成功してしまう場面も少なからずあるはずです。
【長くつき合う】
上に書いたように、つき合いが長くなると、互いに見た目を気にしなくなっていきますので、誰とでも長い付き合いができるように心掛けます。長くつき合っていると、見た目なんかどうでもよくなります。
まとめ - ルッキズムよ、さようなら
たとえ「見た目がわるい」としても、それ自体が問題なのではなく、そこから生じる悪循環(自信がない → コミュニケーションできず → 自分を受け入れられず → さらに自信がなくなる)が息苦しさをもたらしているケースが多いはずです。
頭がよく育っている筆者は、それによって日常生活で起こるさまざまな問題(悲劇的事件)をネタとして仕入れることに喜びを感じつつも、一応、上に書いた克服方法を心掛けてはいます(でもまぁ、その容姿・外見をネタにできてしまうのが、最強のような気もします)。
でも、「見た目」というのは、人類(動物)の永遠のテーマですから、そう簡単にコンプレックスを克服したり悩みを解消したりできるわけではありません。少しずつ、自分なりの付き合い方を確立していくしかないんでしょうね。