敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

【優柔不断を治す!】決断力が自然と身に付くたった1つの習慣

 

 

「旅行先が決まらない」
「メニューが決まらない」
「買うか買わないかで悩む」
「結婚するかしないかを悩む」
「賃貸 vs. 持ち家を決められない」

 

【優柔不断(ゆうじゅう - ふだん)】
 ぐずぐずして、物事の決断がにぶいこと。また、そのさま。

― 新明解四字熟語辞典
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些細なことから重大な決断まで、この世は悩むことばかり。いくら考えて悩んでも結論が出ない。結論が出ても躊躇して行動に移せない。行動に移せないまま、また考えてしまう。・・・結局、いつまでたっても結論に至らない。

 

優柔不断の原因

人はなぜ優柔不断になるのでしょう?

それには、外的な要因内的な要因があります。

【外的要因】

  • そもそも「決断」とは未来を決めることであり、未来は誰にも分らない
  • 情報が多すぎて決断できない など

【内的要因】

  • 周りの意見に流されやすい
  • 自分で決断する習慣が身に付いていない など

 

決断することに慣れていない自分が、情報の洪水の中で、誰にもわからない未来のことを決断するなんて、それはそれは無茶な話です。

 

優柔不断が嫌悪される理由

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たとえば誰かと飲食店に入って、メニューを決める段階になった時、相手はさっさと決めてしまったのに自分だけ決まらない。いつまでたっても決まらない。

 

相手は、「早くしなよ」と言うかもしれませんし、無言のプレッシャーを与えてくるかもしれませんし、何も言わないかもしれませんし、何も思っていないかもしれません。自分が相手からのプレッシャーを勝手に感じているだけかもしれません。

 

相手に迷惑を掛けている(かもしれない)という事実と、そのようにしてしまっている(かもしれない)自分の決断力の無さ。主にこの2つが、優柔不断を「悪いこと」と思う理由です。

 

つまり、相手のことを考えすぎて忖度するばかりに、自分の決断力の無さを嘆き、そんな自分自身を嫌いになってしまうことが優柔不断の本質です

 

でも、一人で行動して、誰にも迷惑が掛からないのであれば、いくら考えて悩んで躊躇しても、何ら問題ないわけです。

 

ということは、「優柔不断」というのは、他人との人間関係の中で形作られる考え方であり、この世界に1人しか人間がいなければ、そもそも存在していなかった概念かもしれません

 

 

「優柔不断」は改善・克服して直すべきものなのか?

よく言われるのが、「優柔不断は、時間のロスであり好機を逸するだけなので、改善・克服しましょう(直しましょう)」ということです。

そして、優柔不断を解決するために、

  • 何でも迷ったら、まずやってみる
  • 決断は、〇秒以内にする
  • どうしても決まらないときは、「今は決めない」と決断する

といった判断基準を設けて、半強制的に短時間で結論にもっていく方法論などがよく紹介されています。

 

確かに、自分の決断の遅さで人に迷惑を掛けている場合には、このような方法によって少しでも迷惑が掛からないようにすることも大切と言えば大切です。

 

でも、これでは、上に書いた「忖度」がさらに進んでおり、本来の自分からは離れるばかりで、ますます自分自身を嫌いになってしまうかもしれません。

 

このような習慣が身に付いてしまうと、たとえ一人で行動する時であっても、自分自身を短い時間で半強制的に決断へ導こうとしてしまい、心にひずみが生じます。

 

そのように考えると、「優柔不断」というのは、このような形で(あえて積極的に)改善したり克服したり直したりすべきものではない、と言えます。

 

決断できれば、それで良いのか?

仮に、上記のような方法で優柔不断が解決し、決断力がアップしたとします。

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この場合、決断力がアップしたようには感じますが、自分の本来の姿から離れ、相手のことを忖度して(過度に気づかって)下した決断ですから、後悔の念に駆られる可能性も高くなります。

 

後悔するということは結局、「決断できていなかった」ことと同じです。決断できていなかったということは、決断力がアップしたと「感じていただけ」のことです。

 

つまり、「決断の前」に小手先の対処をしても、「決断の後」に化けの皮が剝がれてしまう、ということです。

「優柔不断」のメリット

優柔不断であることは、悪いことばかりではなく、メリットもあります。

 ☑ 思考力・想像力に富む

 ☑ 慎重な対応でリスクを回避できる

 ☑ 情報収集力に優れる など

 

じっくりと考えることは悪いことではありません。むしろ良いことです。即断即決で生じた結果よりも、じっくりと考えて出た結果の方が愛着も湧きます。決断の過程が軽ければ、結果も軽いものになる、というだけのことです。

 

優柔不断であることは、たまたま、忙しくてせわしない現代社会の風潮にマッチしていない、というだけのことでしょう。

 

では、どうすればよいか?

 

「優柔不断」というのは、わざわざ半強制的な判断基準などによって、真正面から改善したり克服したり直したりするものではなく、「決断の後」を大切にすることから始めれば、自然と治まっていくものだと経験から感じています。以上から、「優柔不断」というのは、「直す」ものではなく「治す」ものと言えます。

優柔不断を「治す」ための習慣

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「決断の後」を大切にする、とはどういうことか。簡単です。

起こった結果を100%ポジティブに前向きに受け入れる

だけのことです。つまり、考えて悩んで迷って決断を下した自分自身を褒めて愛してあげるだけのことです。

 

ただ、言葉で書くのは簡単ですが、実行するのは難しいです。慣れが必要です。

 

そして、たった1つの単純なことなのですが、これを繰り返していると、「どうせ自分はどんな結果も受け入れるんだから」という考え方が「決断の前」にも浸透してきて、あれこれと(些細なことで)悩むのが馬鹿らしくなり、やがて優柔不断が「自然に」治まってゆきます

 

これができるようになると、あらゆることが好転し始めます。だって、決断を下す前から、「自分はどんな結果をも愛する」と自分で分かっているわけですからね。

 

世界一優柔不断になって極限まで悩むも良し、相手に合わせてさっさと決めてしまうも良し。決断の仕方には何の意味もなくなり、本当に大事と思うことだけを考えられるようになります。

※ もちろん、コスパや経済的価値など、数値で検討できる最低限のことは、決断前に考えておいた方が、さらに後悔は少なくなります。

 

まとめ

一般的な「優柔不断を半強制的に改善する方法」も、上に書いた「結果を愛する」方法も、最終的な着地点は「優柔不断がなくなる」ということなのですが、アプローチの方向が反対です。

 

一般的な方法では、優柔不断はなくなっても、結果を愛せなくなる恐れがあります。結果を愛せないと、いつまでたっても優柔不断がなくならない、という矛盾も生じます。

 

そして、結果を愛せるかどうかは、「習慣」です。

 

まずは小さなことから始めて、何度も何年も色んな結果を愛し続けると、それがやがて「習慣」になります。自分でもビックリするぐらい、どんな結果も受け入れられるようになります。このような習慣になったらシメたものです。あとは、勝手に好循環が始まりますよ。

 

特に子どもの場合、「あまり悩まず、人に合わせて決断し、結果を適当に受け流す」よりも、「大いに悩み、自分自身で決断し、結果を大いに愛する」習慣づけで、大きな差が生まれるのではないかと、3人を育てながら感じています。

 

 

 

 

 

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