些細なことから重大な決断まで、この世は悩むことばかり。
いくら考えて悩んでも結論が出ない。結論が出ても躊躇して行動に移せない。行動に移せないまま、また考えてしまう。・・・結局、いつまでたっても結論に至らない。
そんな悩みは、たった1つの習慣で克服できます。
- 優柔不断の原因
- 優柔不断はなぜ嫌われるのか(優柔不断のデメリット)
- 優柔不断は「他人のために治す」ものではない
- 大切なのは「決断前」よりも「決断後」
- 優柔不断を有効活用する(優柔不断のメリット)
- 優柔不断を直すたった1つの習慣
- まとめ
優柔不断の原因
まず、人はなぜ優柔不断になるのでしょう? それには、外的な要因と内的な要因があります。
【外的要因】
- そもそも「決断」とは未来を決めることであり、未来は誰にも分らない
- 情報が多すぎて決断できない など
【内的要因】
- 周りの意見に流されやすい
- 自分で決断する習慣が身に付いていない など
決断することに慣れていない自分が、情報の洪水の中で、誰にもわからない未来のことを決断するなんて、それはそれは無茶な話です。
優柔不断はなぜ嫌われるのか(優柔不断のデメリット)
たとえば誰かと飲食店に入って、メニューを決める段階になった時、相手はさっさと決めてしまったのに自分だけ決められない。いつまでたっても決まらない。
相手は、「早くしなよ」と言うかもしれませんし、無言のプレッシャーを与えてくるかもしれませんし、何も言わないかもしれませんし、何も思っていないかもしれません。自分が相手からのプレッシャーを勝手に感じているだけかもしれません。
相手に迷惑を掛けている(かもしれない)という事実と、そのようにしてしまっている(かもしれない)自分の決断力の無さ。主にこの2つが、優柔不断を「悪いこと」と思う理由です。
つまり、相手のことを考えすぎて忖度するばかりに、自分の決断力の無さを嘆き、そんな自分自身を嫌いになってしまうことが優柔不断の本質的な短所です。
でも、よくよく考えてみると、一人で行動して誰にも迷惑が掛からないのであれば、いくら考えて悩んで躊躇しても、何ら問題ないわけです。
ということは、「優柔不断」というのは、社会の人間関係の中で形作られる概念であり、この世界に1人しか人間がいなければ、そもそも存在していなかった悩みなのです。
優柔不断は「他人のために治す」ものではない
よく言われるのが、「優柔不断は、時間のロスなので、改善・克服しましょう」ということ。
そして、優柔不断を治すために、以下のような判断基準を設けて、半強制的に短時間で結論にもっていく方法論などがよく紹介されています。
- 何でも迷ったら、まずやってみる
- 決断は、〇秒以内にする
- どうしても決まらないときは、「今は決めない」と決断する
確かに、自分の決断の遅さで人に迷惑を掛けている場合には、このような方法によって少しでも迷惑が掛からないようにすることも大切と言えば大切です。
でも、これでは、上に書いた「他人への忖度」がさらに進んでおり、本来の自分からは離れるばかりで、ますます自分自身を嫌いになってしまうかもしれません。
このような習慣が身に付いてしまうと、たとえ一人で行動する時であっても、自分自身を短い時間で半強制的に決断へ導こうとしてしまい、心にひずみが生じます。
つまり、「優柔不断」というのは、他人のために治すものではない、と言えます。
大切なのは「決断前」よりも「決断後」
仮に、上記のような方法で優柔不断が解決し、決断力がアップしたとします。
この場合、決断力がアップしたようには感じますが、自分の本来の姿から離れ、相手のことを忖度して下した決断ですから、後悔の念に駆られる可能性も高くなってしまいます。
後悔するということは結局、「決断できなかった」ことと同じです。決断できていなかったということは、決断力がアップしたと「感じていただけ」のことです。
つまり、「決断の前」に小手先の対処をしても、「決断の後」に化けの皮が剝がれてしまう、ということです。これでは、優柔不断を解決したことになりません。
優柔不断を有効活用する(優柔不断のメリット)
優柔不断であることは、悪いことばかりではなく、メリットもあります。
- 思考力・想像力に富む
- 慎重な対応でリスクを回避できる
- 情報収集力に優れる など
じっくりと考えることは悪いことではありません。むしろ良いことです。即断即決で生じた結果よりも、じっくりと考えて出た結果の方が愛着も湧きます。
優柔不断であることは、たまたま、忙しくてせわしない現代社会の風潮にマッチしていない、というだけのことです。本来は、上に書いたように、たくさんの利点があります。忙しい世の中だからこそ逆に、じっくりと深く考える姿勢によって、他人とは異なる発見をしたり、優位な気付きが得られる可能性も高くなります。
優柔不断を直すたった1つの習慣
以上を簡単に整理すると、以下のようになります。
- 優柔不断は、他人のために直すものではない
- 優柔不断は、無理やり決断しても直らない
- 優柔不断は、直さずに、そのメリットを有効活用すればよい
つまり、優柔不断を直すたった1つの方法は、「優柔不断を直さない」ということです。
ん?
なんだか矛盾してますよね? でも大丈夫です。優柔不断は、直さなくても良いのです。それが、自分に正直にストレスなく生きるための、一番の方法だからです。
ただし、優柔不断でも全然かまわないのですが、優柔不断なりに行動した後は、以下のような姿勢を決して忘れないことです。これが、優柔不断な性格を克服できる唯一の習慣です。
つまり、考えて悩んで迷いながら決断を下した自分自身を褒めて愛してあげるのです。最初は難しいですが、小さなことからでも良いので、「決断 ⇒ 結果 ⇒ 受け入れ」というサイクルを繰り返していけば、やがて、どんな結果でも前向きに受け入れられるようになります。
これを繰り返していると、「どうせ自分はどんな結果も受け入れるんだから」という考え方が「決断の前」にも浸透してきて、あれこれと些細なことで悩むのが馬鹿らしくなり、やがて優柔不断が「自然に」治まってゆきます。
これができるようになると、あらゆることが好転し始めます。なぜなら、決断を下す前から、「自分はどんな結果をも愛する」と自分自身で分かっているからです。悩むことが少なくなって、行動力が飛躍的にアップします。
このような自分を手に入れたら、その後は、世界一優柔不断になって極限まで悩むのも良いですし、相手に合わせてさっさと決めてしまうのも良いです。その場面に応じて、自分が一番気持ちの良い決断をすればよいのです。やがて、決断そのものには何の意味もなくなり、本当に大事なことだけを考えられるようになります。
※ もちろん、コスパや経済的価値など、数値で検討できる最低限のことは、決断前に考えておいた方が、さらに後悔は少なくなります。
まとめ
優柔不断な自分を無理やり押さえ込むのはやめましょう。一時的に優柔不断はなくなっても、結果を愛せなくなる恐れがあります。結果を愛せないと、いつまでたっても優柔不断がなくならない、という矛盾が生じます。
優柔不断な自分はそのままに、起こった結果を受け入れれば良いのです。
まずは小さなことから始めて、何度も何年も色んな結果を愛し続けると、それがやがて「習慣」になります。自分でもビックリするぐらい、どんな結果も受け入れられるようになります。このような習慣になったらシメたものです。あとは、勝手に好循環が始まります。
特に子どもの場合、「あまり悩まず、人に合わせて決断し、結果を適当に受け流す」よりも、「大いに悩み、自分自身で決断し、結果を大いに愛する」習慣づけで、自己肯定感に大きな差が生まれると、3人を育てながら感じています。