ふるさと(故郷、故里、古里)とは・・・
- 自分の生まれ育った土地。故郷(こきょう)。郷里。
- 荒れ果てた古い土地。特に、都などがあったが今は衰えている土地。
- 以前住んでいた、また、前に行ったことのある土地。
- 宮仕え先や旅先に対して、自分の家。自宅。
― デジタル大辞泉
自治体(全国どこでも)に寄付すると、その分、所得税や住んでいる自治体の住民税が軽くなる「ふるさと納税」。
返礼品の豪華さが知られるようになって、寄付総額は、2015 年に約 1,600 億円に達し(前年比4倍)、2016 年に 2,844 億円(前年比 1.7 倍)、2017 年には 3,653 億円(前年比 1.3 倍)と、過去最高を更新し続けています。受入件数も 1,730 万件 と、もちろん過去最高。
制度創設当初の 2008 年度が、わずか 81 億円(5万件)ですから、10 年ほどで制度がすっかり定着し、大いに盛り上がっていることが分かります。
盛り上がりの理由は、当然、返礼品の魅力です。各自治体も認める通りです。
(引用:総務省「ふるさと納税に関する現況調査結果」H29.7.4)
そこで、自治体別の寄付額ランキングを見てみると・・・・・
(引用:総務省「ふるさと納税に関する現況調査結果」H30.7.6)
上位の自治体は、やはり高額の返礼品が売りとなっています。
泉佐野市は和牛やアルコール飲料など、都農町や都城市は宮崎牛や焼酎など、みやき町は佐賀牛やお米など、上峰町は和牛やウナギなど。
垂涎ものの返礼品が並んでいます。
ふるさと納税の経緯
2008 年にふるさと納税制度が創設され、当初は、寄付者数が数万人と少ない一方、1人当たりの納税額(寄付額)は高い状態で推移していました。
返礼品はありましたが、PR 効果や感謝の意味合いで、一定額(1万円が一般的)以上の寄付者に対して同じ特産品を送るのが基本でした(すべての寄付者に同じ特産品を送るパターンもあり)。
2011 年の大震災後には、被災自治体への支援手段として寄付者が数十万人に急増しました。この頃までは、まさしく「寄付」でした。
おそらくは、この震災時の急増によって、「ふるさと納税制度」というものがあること、返礼品をもらえることが広く知られるようになり、2013 年ごろから寄付者が徐々に増えていきました。
ここで、返礼品を少しでもたくさんもらいたい寄付者は、寄付先の自治体をいくつかに分散するようになりました。1つの自治体にいくら寄付しても、もらえる返礼品は基本的に同じですから、返礼品がもらえる限度まで1自治体当たりの寄付額を抑え、その分寄付先を増やすことで、各寄付先から返礼品をもらおうと考えたのです(人間として経済合理的な行動です)。
これに対して、総務省は、「手続きを簡素化できる代わりに、寄付先を5つ以下に抑えるべし」という制度を追加して、返礼品目的を抑えようとしました。
これで一件落着・・・と思われたところ、なんと、自治体側が返礼品を豪華にし始めたのです(総務省としては想定外かもしれませんが、ふるさと納税制度がさらに周知されるきっかけともなりました)。
こうして、昨今の返礼品競争へと至ることになりました。
ふるさと納税の仕組み
この制度は、名目上は「寄付」でありながら、実際には経済的合理性を誘引する仕組み(欠陥)が肝となっています。
つまり、寄付額に対する返礼品の割合(返礼率、還元率)について、上限が元々定まっておらず(各自治体の良識に委ねられており)、返礼品競争は当然の帰結と言えます。
これが買い物であれば、金額ではなくコスパの高い品物が選ばれるのですが、本来は吸い上げられて終わりの税金に御礼の品が返ってくるわけですからね。当然、高額の品物が好まれます(何度も書きますが、経済合理的な行動です)。
また、この制度は、高所得者ほど多く寄付でき、その分たくさんの返礼品をもらえるため、「富裕層減税」などと言われています。そもそも制度を知らない人は、その恩恵に浴することができません。
このような問題点が、「ふるさと」「寄付」といったポジティブな表現によって、見えにくくなっている感じもします。
「納税」という義務と「寄付」という共助の精神を結び付けたところに、この制度の面白さというか、巧妙さというか、不可解さというか、そのようなものがありますね。
ふるさと納税の問題点
たとえば、Aさんがふるさと納税として5万円をB市に寄付する場合を考えます(国やAさんが住む自治体は、手数料2千円を差し引いて4万8千円だけ税収が減ることになります)。
この場合、返礼品の割合が4割であれば、B市がCという業者から2万円相当の返礼品(特産品など)を調達し、Aさんがそれを受け取ることになります。
このようにして、本来の税収5万円のうち、2万円が返礼品に消えます。
つまり、税収が2万円減る一方で、Aさんが同額の恩恵を受け、業者Cも同額の売り上げを得ているわけです(上にも書きましたが、これは合理的な行動の結果ですので、個々が非難を受けるものではありません)。
これでは、ふるさと納税制度を知らない人、知っていても利用できない人、低所得者(ふるさと納税は逆進性が高いとも言われている)、返礼品調達先に選ばれなかった業者や個人などには、不公平感が残ってしまいます。
当初、返礼品を送るのは、PR 効果や感謝の意味合いでした。
たとえそれが「建て前」であったとしても、公共団体というのは「そういうもの」であり、PR という長期的な視点に立っていることになっていました。
しかし、寄付がいったん増え始めると、それを手放すわけにはいかず、「建て前」を打ち破って、返礼品を豪華にするという「経済的合理性」へと傾いてしまいました(おそらく、寄付金を当てにした予算組みの影響や返礼品の調達先との関係なんかもあったりしたのでしょう)。
PR という長期的な視点が、「お金」という短期的な視点へと傾いた瞬間です。
「お金」が前面に出てくると、自治体にはさまざまな弊害が生じます。
- 特産品がタダ同然で出回るわけであり、その価値を自ら低くしてしまっている(消費者には、その特産物の価値がタダ同然に見えてしまう)
- 寄付金を当てにした過大な予算組みをしてしまう
- 地元業者との癒着が生じる
また、地元業者にも弊害が生じます。
- 寄付金を当てにした分不相応な投資をしてしまう
- 自治体依存が強まる
- 自治体との癒着が生じる
ふるさと納税は「三方良し」ではなく「三方悪し」
「三方良し」とは・・・
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。近江商人の心得をいったもの。
― デジタル大辞泉
ふるさと納税をこれに当てはめてみると、
- 納税者 : 返礼品
- 自治体 : 税収の増加
- 世間 : ふるさとへの恩返し
となり、「三方良し」が成立しているようにも見えます(厳密には、商売じゃないですけどね)。
しかし、視点を少し変えると、違う側面が見えてきます。
- 納税者 : 「納税」「寄付」には見返りがあるという錯覚
- 自治体 : 特産品の価値の失墜、過大な予算組み、など
- 世間 : 全体としての税収の減少
短期的な視点では、「三方良し」が当てはまるように見えるのですが、長期的な視点に立つと、「三方悪し」になってしまいます。
この「悪し」の側面を抑えるには、過度の競争を煽らないようにする必要があります。つまり、返礼率(還元率)を抑え、返礼品以外の事業内容などで自治体が競争することにより、「適度」な額の寄付が集まるようにすることで、「三方良し」に近づきます。
返礼は納税(寄付)の「おまけ」のはずなのに、これが競争の中心になってしまっていることで、制度全体が明らかに歪んでいます。
この制度は本当に得なのか?
納税者として短期的な視点に立てば、返礼品がもらえて、そりゃぁお得ですよ。
でもね、「ふるさと」や「寄付」というキレイな言葉の裏で返礼品の肉を貪り食っていると、心の中にあるほんのわずかな「共助の精神」が弄ばれているような気がしてくるんですよね。
せめて、「ふるさと」や「寄付」という言葉を使うのはやめてもらえないでしょうか。そうすれば、少し違った風景が見えてくると思うのです(少なくとも後ろめたい気持ちはなくなります)。
返礼品競争にさらされている自治体も、なんだか可哀想に思えてきます。目の前にニンジンをぶら下げられたら、走るしかないですよね。そして、一度走り始めたら、そう簡単には止まれません。
最初は遠くの方にニンジンがあって、そのわずかな香りを頼りにのんびりと走っていたのでしょう。それが、徐々に近づいてきて、気が付いたらニンジンが口の中に入っていた!という状況。周りを見渡すと、自分以外もニンジンを貪り食っている。負けるわけにはいきません。そりゃそうです。
でも・・・そのニンジン、毒入ってないですか?
ふるさと納税の今後 ~ 返礼やハコモノどもが夢の跡
返礼品競争があまりに激しくなってきたため、さすがの総務省も 2017 年4月、返礼率を3割以下に抑えるよう通知を出しました(通知の要旨は以下の通り)。
- 金銭類似性の高いもの(プリペイドカード等)、資産性の高いもの(電子機器等)、価格が高いものは、返礼品にしないこと
- 返礼割合は、3割以下にすること
この通知に強制力はないため、一部の自治体からは、返礼品を見直さない意向が示されていますし、実際に無視している自治体もあります。
ところで、3割の根拠は何なのでしょう?
返礼は「おまけ」ですから、もっと低くするか、寄付額に依らず一定にするのが妥当と思われます(返礼が競争の要素になること自体に矛盾があります)。
とは言え、低くし過ぎると寄付額(寄付件数)がガクンと減って、制度の意義が問い直されたり、制度創設の責任の話になったりする可能性があります。その辺りのさじ加減から、とりあえず3割になったのかなぁと想像します。
返礼品を見直さない意向の自治体についても、いずれは3割以下に落ち着くんでしょう。このような自治体がある限り、返礼品競争すなわち「三方悪し」が目立ち続けますので、世間体も悪いですし、総務省が放っておかないと思います。
返礼品競争がいったん落ち着き、過度な盛り上がりが見られなくなれば、とりあえずは淡々と制度が続いていくんでしょうね。
一方、一部で評判がよろしくない上、全体としての税収も減少するこのような制度を官僚側はどのように捉えているのでしょう(確か、この制度は政治主導で作られたはず)。勝手な想像ですが、「制度を廃止したい」ぐらいに思っているのではないでしょうか。
少なくとも 2021 年9月には、現政権の3期9年の最終任期がやってきますので、ひょっとしたら、このあたりで制度の潮目が大きく変わるかもしれません。その場合、この制度の今後の持続期間は、長くて3~4年ということになります。
その後は、夢の跡。
寄付を当てにしたハコモノや過大な予算、「寄付は見返りがある」という錯覚、などなど、有形・無形のあらゆるものが「ふるさと」とともに夢の跡。
「ふるさと」という響きに抱く郷愁の思いだけが浮遊することに・・・。
ふるさと納税は「寄付」ではない
「ふるさと納税」という制度を初めて知った時、最初に頭をよぎったのは、「自分が生まれ育った自治体への寄付」でした。が、実際には、全国どこの自治体にも寄付することができます。
どうやったら、何の関わりもない自治体に「寄付」する気持ちが湧くのだろう・・・と考えながら、自分の薄弱な共助の精神を恨めしく思いました。
やがて返礼品競争が始まって、経済合理的な人間らしい行動を見るにつけ、「これは寄付ではない」と、納得して安堵した記憶があります。
そして、今日もニンジンを食べながら走り続けます。
毒入りのニンジンを食べ続けると、少しずつ心身が消耗していきます。