敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

「そらセックスもせん」に感じる男女平等と男女の違い・役割

 

 

以前読んだ記憶のある「日経ビジネス ONLINE」の記事だが、3年経って再びアクセスランキングが上位になっていたため、久しぶりに読んでみた。

business.nikkeibp.co.jp

 

この御仁がおっしゃる以下のようなことは、

  • 出産は(生き物の)生活の1コマに過ぎない
  • 出産の時点で『生』と『死』は既にセットになっている
  • 0歳児の間に愛情を与え切れば育児の50%は終わり
  • 「子供がいたら人生の邪魔になる」という考えは愚か

「非科学的で古い!」と拒絶する人もいれば、「そうそう!」と頷く人もいて、千差万別、いろいろな反応があって至極当然なことだが、70年以上にわたって4千人のお産を見守り続けた「ばあちゃん助産師」ご本人の経験が言わせていることだろうから、少なくとも、(記事タイトルの付け方や構成はさておき)そういう考えに至った事実は否定しようもないし、それを覆すだけの経験を積める人類は、今後一切現れようもないと思える。そういう点では、すごく貴重で面白いインタビューだと感じる。

 

特に、男女の平等に触れた一節は、現在一般的に成りつつある男女関係の考え方との乖離っぷりが際立っていて非常に面白い。

努力の努は「女のマタの力」と書きますけど、子宮の力は国の礎ですよ。子供が生まれんかったら国は亡びるんですから、いわば最後の砦です。そういう女の股の力がね、全部なくならん間に何とかしてほしいなと思う気持ちが私にはあるんです。

近頃は男女平等、平等って言いますけど、女は昔っから特権階級ですよ。神様が子供を産むということを女の人に与えているわけじゃないですか。日本の昔の女性が賢かったのは、自分が上位であるけどそれを表向きは隠していたことです。旦那を立てる。でも実際は自分が上位。そういう家庭が、多くあったんですよ。

でもそれがいつの間にか、仕事の面で「女性が抑圧されている」って世の中がなりました。それで安倍首相なんかもいろんな政策をやっとるんでしょうけど「女性が安心して働けるように」っていう感じのものが多い。でもそれは自己中心主義の気持ちを、助長させるような政策に思えるんです。

男女雇用機会均等法ができて以降、家庭でも会社でも、女性と男性が同じような役割を果たすべきという考えが当たり前になりました。でも私はこれには断固反対です。男性と女性は本来、全く違うんです。同じようにしたら歪みが出てくるんは当たり前です。セックスレスの夫婦は最近ほんとに多くて、深刻な問題やなぁと思うんですが、男と女がおんなじようになってきたら、セックスせん人が増えるんは分かる気もします。

 

これを読んで、発狂しそうになる人もいるのではないだろうか。確かに、フェミニズムやジェンダー研究など、性の平等を目指す運動の視点から見れば、「女性はガマンして男性(旦那)を立てる」という性的に不平等で前時代的な固定観念は、とても受け入れられるものではないだろう。でも、別の視点から見れば、受け入れられないからと言って素通りできるわけでもなく、何となく放っておけない考え方にも感じられる。特に、「男性と女性は本来、全く違うんです」という部分が。

 

セクハラ被害を告発する「#MeToo」運動など、それこそ「人権」に関わる問題は、大いに盛り上がって欲しいし、解決されるべき問題だと思うが、「平等」の在り方については、自分自身が古い人間だからかもしれないが、少し違和感を覚えることもある。

 

卑近な例になるが、ムスメSが通う小学校で先日行われた持久走大会では、男女ごちゃ混ぜになって順位が競われた。最近、そういう学校が多いと思う。結果は当然ながら、男子が上位で多数となり、女子は下位を独占していた。女子だけなら5位ぐらいの子が、全体では35位だったらしい。オリンピックでも男女別々に競技を行っているのに、なぜ学校では男女一緒に走るのだろう。女子に「男子には敵わない」と思い込ませるためだろうか? と穿った見方をしてしまう。そもそも、陸上競技の中で、女性が男性に勝る競技ってあるのだろうか?

 

男女別々に走ったところで、タイムを見れば、女子が男子に敵わないことは一目瞭然だから、一緒に走ろうが別々に走ろうが、「(陸上競技で)女子は男子に敵わない」という事実は変わらない。それならなおのこと、男女別々に走って、男子は男子で、女子は女子で順位を競い合えばよいだけのことだろう。

 

これは単純な例だけど、平等の「形」を気にするあまり、おかしな歪みが生じていないか気になってしまう。国や地方の議員の数にしても、男女同数という「形」ばかり報じられるが、大切なことは、男女問わず他方の性、第3の性、第4の性、第5の・・・それぞれの立場を考えられる想像力であり、「形」なんてどうでも良いのではなかろうか。「形」に満足しちゃって中身が伴わない、ということも往々にしてあるし。

 

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平等の「形」が強調され過ぎると、「男女は本来違う」という側面が蔑ろにされてしまう、ということを「ばあちゃん助産師」は危惧しているのではないだろうか。男女が完全に並列であれば、穏やかで持続的な社会になるかもしれないが、社会全体の一瞬一瞬の力は、男女が直列の時に強くなる場合だってあると思う。

 

男女問わず、完全な「並列」を求める人もいれば、部分的な「並列」を求める人もいれば、「直列」を求める人もいる。大事なのは「形」ではなく、「平等」が制度的にも意識的にも100%担保されることであり、その上で「男女は本来違う」という意識もしっかりと醸成され、一人ひとりが自分に相応しい「並び方」を選択できる環境が望ましい。

 

個人的には、男は大抵バカでおだてられるのが好きだから、ほんの少しだけ、女性に立ててもらうのが良いと思う。自分の周りを見渡したり、色んな記事を読んでみたりすると、年齢を問わず、それで上手くいっているカップルが案外多いことに気が付く。もちろん、「平等」が100%担保された上でのことだし、男からもちゃんと見返りなりお礼なりをすることが前提だけどね。逆に、バカでおだてられるのが好きな女性がいるなら、男性が女性を立てる「形」だってありだろう。想像力さえあれば、「平等」も「男女は本来違う」ことも、当たり前と言えば当たり前のことだ。

 

そして、男女問わず、「相手を立てる」という行動は、子どものころからの習慣が大きく影響するのではないかと想像する。男女の関係と同様に、親子間でも、親が上位であることを表向きは隠して、親が子どもをひたすら愛し、褒め、立ててあげれば良いんじゃないか。それで満たされた子どもは、たぶん誰かを立てるようになる。

 

ところで、「男女」という語順が「女男」になるのは、いつなんだろう?

 

余談

持久走大会とは逆に、「なぜ男女でわざわざ分けるんだ?」というものもある。ピアニカの色のことだ(地域によっては「鍵盤ハーモニカ」「メロディオン」などと称する)。

 

子どもの学校では、男子が水色、女子がピンクというのが定番になってしまっている。このため、姉(兄)から弟(妹)にピアニカを譲る際、ちょっとした問題が起こってしまう。他人と違う色(男子がピンク、女子が水色)を喜んで使える子どもはエライと思うが、少数派ではなかろうか。

 

男女を想定した2色しか用意されていないことが原因だから、1色に統一されていたり、もっとたくさんの色の選択肢があったりすれば良いだけのことだが、「少しでも多く売るための作戦か?」と、つい穿った見方をしてしまう。

 

 

男女の問題をレベルごとに整理して、さらに深掘りしてみた(↓)。

www.overthesensitivity.com

 

 

 

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