敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

どっちの人生を選ぶ?「大好き」なことを1個 or「好き」なことを100個

 

好き 得意 大切 自分らしさ 好きを仕事に

 

 

つい先日、沖縄に住む不登校の小学生 Youtuber が話題になりました。「親の悪影響」という批判的な意見から、「10歳で大好きなことに没頭できて羨ましい」という好意的な意見まで、賛否両論入り乱れていますが、少なくとも現時点では、1つの「大好き」に没頭できていますし、将来にはもっと有名になっている可能性だって十分にあるわけです。

 

このように「1つのこと」に突き抜けられる人間が数万人(?)に1人の割合でいる一方、この世のほとんどの人は、「大好きを1つ」ではなく、「たくさんの好き」を寄せ集めた人生を送っていますね。

 

旅行、スポーツ、勉強、ゲーム、SNS、動画、読書、DIY、ペットなどなど、好きなことを少しずつかじりながら、起きている時間を「好き」で埋めている人が大半だと思います。仕事については、これも「好き」の範疇に入る人もいれば、生きるために仕方なくやっている人もいるでしょう。睡眠が無性に好きな人もいるでしょう。

 

いずれにしろ、「大好き × 1」の人生であれ「好き × 100」の人生であれ、1人ひとりに与えられた時間は等しく、1日に 24時間と決まっています。睡眠時間の多い/少ないや処理能力の高い/低いはあるでしょうが、起きている時間はほとんど同じなので、必然的にいずれかの生き方を選ぶことになります。

 

1つの「大好き」で生きていける人

好き 得意 大切 自分らしさ 好きを仕事に

「こうなりたいなぁ」と思った対象を心から大好きになり、寝食も登校・出社も忘れて没頭できるような人は、大人(親)の影響(遺伝的+後天的)があるのかもしれませんし、その中毒性に反応してしまう性質を持っているのかもしれませんが、いずれにしろ1つの「運」の結果だと思います。

www.overthesensitivity.com

 

星の数ほどもある人生の選択肢の中で、ある1つのことに出会った瞬間に(それに伴う苦痛も含めて)「大好きでやり続けたいこと」にまで昇華できるということは、その人の気質や性格も含めて「運」としか言いようがありません。

 

「情熱」は「受難」の裏返し

ただし、ひと昔前の時代には、その「運」を「情熱」が後押しする環境がありました。それは、「passion」の意味として「情熱」以外に「受難」があることを考えれば分かります。

 

高度成長期を支えた高齢者の方に話を聞くと、「仕事は苦しいけど楽しかった」という感想によく出会います。貧乏でモノ不足の時代だけど、「明日は今日より良くなる」ことがほぼ間違いなく、情報不足でもあるため、その「明日」は迎えてみないとどんな「明日」か分からない、という状況です。要は、ハングリー精神で前向きに進むしかない状況です。しかも「1億総中流」の掛け声の下、「明日」を夢見る機会がすべての国民に平等に与えられていました。

 

一方の現在は、ぜいたくを望まなければ普通に生きることができますし(物欲は百均が容易に満たしてくれますし)、情報もあふれていて、「こうすればこうなる」という結果がある程度予想できてしまう時代です。予測できてしまうため、失敗すること(時間やお金が無駄になること)を極度に嫌います。これでは、ハングリーに「情熱」を持つことなど出来るはずがありません。だから、真逆をいく『ボヘミアンラプソディ』が多くの人々の心を鷲掴みにしたのでしょうね。

 

結局、「情熱」が「運」を後押しすることもなく、「大好きでやり続けたいこと」に出会える「運」というのは、ものすごい「強運」としてボクらの目に映るわけです。

 

ということで、今や一部のハングリー民を除いて、情熱(=大好きなこと)は「探すもの」ではなく、「育むもの」ということが常識になりつつあります。

medium.com

 

100 個の「好き」を集めて生きる

情熱を育てるには、ちきりん女史の「V.S.O.P 理論」が参考になります。

chikirin.hatenablog.com

 

若いうちに様々なことを経験して視野を広めつつ、大いに迷い、彷徨い、戸惑っておき、ある程度の年齢に達したら、経験した数々の分野の中から「これでいく!」という対象を見定め、そこを深堀していく、という方法論です。

 

ハングリーに「情熱」を持つことができず、かといって何かの「強運」に出会うこともないのであれば、まずはたくさんの「好き」を集めてみて、「大好き」に出会える確率を高くするしかありませんよね。

 

100回考えるより、1回の決断と行動

「大好き × 1」の人生を送ることになるのか、「好き × 100」の人生を送ることになるのかは、「運」に左右される部分がかなり大きいとは思いますが、両者に共通して言えるのは、「決断して行動を起こさなければ、何も起きない」ということです。

 

他人が「面白くない」と言うことでも、それはあくまでも他人の感じ方であり、自分がどう感じるかは実際にやってみないと絶対に分かりません。その結果、それが「1つの大好き」になるかもしれませんし、「100個の好き」の1つの候補になるかもしれません。百回考えようが千回考えようが、考えるだけでは何も可能性が拡がりません。

 

 

 

さいごに

たくさんの「好き」を集めてはみたけれど、結局「大好き」は見つからなかった、というパターンも十分に考えられますが、それはそれでいいんじゃないですかね。世間的には「大好き × 1」を奨励する風潮ですが、それは価値観の1つに過ぎません。100個の好きなことで埋め尽くされた人生というのも、なかなか味わい深いものです。と、「100個の好き」に囲まれたボクは思います。

 

仕事もかなり好きな方だと思いますが、小学校から大学まで経験した4種類のスポーツも、そこそこ頑張ってきた勉強も、若いころに東南アジアや南米を放浪したような旅行も、釣りも読書もブログもゲームもテレビもラジオも祭りも恋愛も家族も、ついでに家事も育児も、家事や育児や生活で思い悩むことも、人生の進路を思案することも含めて、たくさんのちょっとした「好き」が自分を形作っています。1つひとつのすべてが好きなので(というか、好きになるように努めてきたので)、「大好き」の入り込む余地がないのです。

 

そんな親の背中を見ている子どもたちも、「大好き」に没頭するというよりは、「好き」を必死になって集めているようです。

 

これも1つの価値観に過ぎませんが、ボクは、「1つの大好き」ではなく「100個の好きに出会える機会」を子どもに提供したいと思っています。受験なんかも、100個のうちの1つとしか考えていません。長い人生を生き急ぐ必要なんてないですよね。

 

まぁ、子どもたちが自らの意思で、何か1つのことに寝食も忘れて没頭し始めるようなことがあれば、それを止める理由もありませんけどね。

 

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