敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

「人間とは何か」トム・ソーヤのマーク・トウェインに教わる生きる意味

 

 

 

子どものころは外で遊んでばかりで、あまり本を読みませんでした。

 

でも、冒険ものの本だけはよく手に取りましたね。そのワクワク感やドキドキ感は、退屈な日常を抜け出して異次元の世界へと旅立つのにもってこいですし、登場人物の知恵や勇気にも魅せられました。

 

「トム・ソーヤーの冒険」や「十五少年漂流記」などに始まって、ヘイエルダールの冒険記なども読み漁りました。そして、気の合う仲間と一緒に、地元のあちらこちらへ冒険に出かけたことを覚えています。

 

こういう子どものころの経験は、知らず知らずに蓄積されるものです。大人になってからも冒険の真似事で、気が付いたら南米や東南アジアなどを放浪していました。本の主人公になったつもりでしたね。

 

そんな冒険心もとうに失せた今日この頃ですが、先日、子どもたちの習い事で、トム・ソーヤーを題材にした学習があり、久しぶりに冒険心をくすぐられました(くすぐられただけで、特に冒険には出てませんよ)。

 

「トム・ソーヤーの冒険」は、毒がなくて子ども向けです。

 

一方、その続編である「ハックルベリー・フィンの冒険」は、当時の人種差別や宗教、家族観などがテーマであり、どちらかと言えば大人向けの一冊ですね。あのヘミングウェイも、この著作をアメリカ文学の起点と捉えています。

 

ちなみに、「トム・ソーヤーの冒険」の原題は「The Adventures of Tom Sawyer」であるのに対して、「ハックルベリー・フィンの冒険」の原題は「Adventures of Huckleberry Finn」と、「The」がありません。

 

トムの冒険は、「トムの冒険、みんな知ってるでしょ!」という位置付けであり、ハックの冒険は、「ハックの冒険、みんな知らないよね? 紹介するよ」という位置づけであることが分かります。

 

* * *

 

そんなこんなで、「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」の著者であるマーク・トウェイン(Mark Twain)の「人間とは何か(What is man?)」を久しぶりに手に取ってしまいました(本自体は軽いのに、 タイトルが重すぎる!)。

 

タイトルは重々しいのですが、読み始めるとスグに引き込まれます。

 

 

これは、読む人によって大きく捉え方が異なる本だと思います。

 

たとえば、能動的か受動的か、積極的か消極的か、人生に目標が有るか無いか、などなど、読む人の立場や心持ちによって、面白くも窮屈にも感じられます。

 

トウェイン晩年の苦労を考えると、何とも悲観的な内容にも読めるのですが、悲観的というよりはむしろ虚無的な立ち位置であり、それも、「強さのニヒリズム(能動的・積極的ニヒリズム)」と「弱さのニヒリズム(受動的・消極的ニヒリズム)」の間を彷徨っているような感じです。

 

「人間は機械に過ぎない」という老人と、それに反論する青年とが、ソクラテス的対話を進めていく形式です。

 

「人間は機械」といっても、カレル・チャペックのような『ロボット』や、昨今の人工知能(AI:Artificial Intelligence)に通じる話ではなく、「人間は、自由な意志など本来なく、生来の気質と、周りの環境の影響を受けて、自分の心の満足を得るためだけに行動している」意味において、「機械」ということです。

 

ここ数年、「好きを仕事に」というフレーズをよく見かけますが、案外、このように喧伝している人ほど、「人間は機械」ということを内心強く感じていて、だからこそ、それに抗うかの如く、「好きを仕事に!」と声高に叫んでいるような気もしてきます。

 

そして、このように「何かをやりたい」という意志すらなく、生まれ持った気質と外的要因だけが行動の理由である、という主張に対して、たとえばビジネスで成功している人は、「いや、オレの意志と努力の結果だ!」と反論したくなるかもしれません。

 

一方、人生の目的が見出せず、何も手につかないような人にとっては、救いに思える内容かもしれません。視点を変えると、このように衝動のない人は、何でも良いから衝動の「種」をまいておけば、やがてそれに外的要因が作用して、やるべきことが自然に湧いてくる可能性があるからです(ただし、生きている間に外的要因が作用しない可能性だってあります)。

 

「自由」という観点では、以前読んだ『仕事なんか生きがいにするな』の主張と対比させると、 両者の違いがはっきりして面白いですね。人生において「自分探し」をすべきか否か、という問題を深く考える材料になり得ます。

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そして、老人は「自分の心の満足を得るためだけに行動している」と言いながらも、それが結果的に他人の幸せや満足につながることを良しとし、逆に、最初から他人の幸せや満足を考えることなどあり得ないとも言っています。

 

これについては、豪華な返礼品が話題の「ふるさと納税」制度が頭をよぎりました。

 

この制度は、「ふるさと」「寄付」というキレイな皮を被っていますが、実際には、個人の「お得感」という満足を誘発する仕組みが基本的な推進力となっています。

 

老人風に言うなら、キレイごとの裏には必ず疚しさがあります。最初からキレイごとなど並べず、「お得な行動が地方自治体の役にも立ちます」と謳っておけば良かったんじゃないでしょうかね(本当に役立つかどうか、それで賛意が得られるかどうかは別ですが・・)。

 

話を戻しまして・・・

 

この本では、真理に関する記述もあります。

 

真理を永遠に探求する人なんておらず、自分が「完全な真理」と確信するものを発見したら、そこで探求は終えて、その後は、その確信が壊れないように日々手入れするだけ、ということです。

 

この本が出版されてから100年以上経っていますが、同じ米国のトランプ大統領は当然、お読みになっていることでしょう。真理・真実(トゥルース)についての見解をお聞きしてみたいものです。おそらく、「You're fired!」と追い出されるだけでしょうね。

 

本書は、全体として否定的な記述が多く、読めば読むほど気分が落ち込んでくる人もいると思いますが、その点は青年も指摘しています(以下、引用)。

・・・あなたのその教説ってのは、あまりにもひどすぎますよ。人を鼓舞し、励まし、高めるもんが、まったくない。人間から栄光を奪い、誇りを奪い、ヘロイズムを奪い、一切の人間的信用、称賛ってものを否定してしまおうってんですからね。・・・

 

この点については、老人(トウェイン)も心得ています。老人の答えは、・・・・・

 

* * *

 

さてさて、今日も明日も、これからもずっと、自分の力の及ばない部分を受け入れつつ、自分に噓をつかず、自分の衝動に正直に生きていきたいものです。

 

あー、久しぶりに冒険してーなー。

 

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