
「お笑い大好きオジサン」ことネズジロー(寝ずジロ―)ですが、You Tube などの動画共有サイトでは、お笑い系エンタメを筆頭に、ドキュメンタリーやスポーツをたま~に眺める程度です。余程ヒマな時にしか見ないので、動画全盛のこの時代に、動画との接触時間は平均をかなり下回っていることと思います。
受け身なスクリーンタイム
スクリーンタイム(画面の前にいる時間)の多寡が格差に大きく影響すると思っている親の立場としても、子どもの手前、スマホの画面に入り浸ることなどできません (*'▽') 。ゲームも含めて、受け身になることを極度に恐れる性格も併せ持っています。
魔が差してエロ系を検索してしまった暁には、次からエロ系の動画がたくさんレコメンドされてしまうことが、動画との付き合いで感じている唯一の悩みです。自宅の共有パソコンでやるもんじゃありません。。。
知識・情報系(ハウツー系)動画の躍進
一方で、知識・情報系(≒ ハウツー系)の動画も、手を変え品を変え、有名人を含むさまざまな発信者から、さまざまな手法で多く提供されるようになりました。元 PERFECT HUMAN なカッコイイ!系の方や、N国党の党首に気に入られていそうなメンタリスト系の方や、東京では消耗しないインフルエンサー系の方などのほか、VTuberも参戦して、知識や情報が不足気味な我々の余暇時間の分捕り合戦を繰り広げています。
基本的には、高学歴の方々が、知識・情報弱者に向けて、さまざまなコンテンツを分かりやすく提供する代わりに、知識・情報弱者に広告を踏んでもらって収益を上げるという、分かりやす~い仕組みです。
たまに間違った情報が含まれていることを脇に置いておくなら、提供される内容は確かに分かりやすく、誰でも気軽に動画を通じて知識・情報を獲得できますので、チャンネル登録者数が伸びていくのもうなずけます。
時間を浪費する情報源
ただ、知識・情報のほとんどをテキスト(文字)から得ることに慣れてしまっている古い身としては、1つ大きな懸念があります。
それは、ひと言で表すなら、「くどくて長い」ということです。そして、100%正しいとも限らない情報を、長々と受動的に受け入れる習慣が身に付いてしまうことに、大きな危機感を抱いています。それが子どもの場合は、なおのことです。
もちろんすべてではありませんが、10分程度の動画を簡潔にテキスト化すれば、おおむね 10~15 文字程度で事足りてしまうと感じています。時間にして数秒です。
残りの9分数十秒は、ひたすら同じことを異なる角度から、あーでもないこーでもないと延々話し続けている場合がほとんどであり、本質的ではありません。ひと言で済む話がなぜ長くなるかというと、そのテーマの背景情報や派生情報も詰め込まれているから、という理由もあるのですが、こういった情報こそ、テキストであれば要否に応じて大幅にカットできるのに、動画ではそうもいきません。
社内外でプレゼンを行ったり、他人のプレゼンを見聞きしたりする経験のある人なら分かると思いますが、「分かりやすく」はもちろんのこと、「簡潔」であることが強く求められますので、そういう立場からすれば、冗長な説明などとても聞いていられないでしょう。ひと言で済む結論に 10 分を掛けていては、とても働き方改革などできません。
動画の制作者も、そんなことは分かっているはずですが、数秒で終わる動画など誰も見てくれませんし、「冗長な説明を必要とする層 ≒ 広告を踏んでくれる層」という関係も理解した上で、本来は数秒のテーマを目いっぱいデコって話しているだけです。
テキスト(文字情報)と動画の違い
かつて(今も?)ハウツー本が流行ったように、ハウツー動画に対する需要も決してなくなることはないのでしょうが、テキストと動画の大きな違いは、「自分の意思で早送りできるかどうか」です。
以下の過去記事にも書きましたが、ハウツー本は、自分の足りていない知識・情報を埋め合わせるように読んでいくものだと思っています(もちろん、ファンとして読む場合や、癒しとして読む場合は、違った読み方もあります)。
なので、たくさんのハウツー本を読んでいくと、そのうち、自分の足りない知識・情報がどんどん減っていくことに気付きます。新しい考え方やハウツーが出てきても、それは過去の考え方やハウツーをベースにしていることが多く、新たに勉強することはほとんどありません。
というわけで、書籍などのテキスト(文字)を知識・情報源とする場合は、すでに獲得してしまった知識・情報はどんどん読み飛ばすことができるため、情報の洪水に飲み込まれることもなければ、冗長な説明に付き合わされることもありません。
でも、動画では、どこに核心部分があるか分からないため、結局、10 分間という長い時間を捧げるしかなく、それだけ長い時間を捧げてしまった対象であるが故に、元を取ろうとして、その対象に対する執着が逆に強くなってしまい、さらに時間を奪われる、という悪循環に入ってしまう可能性もあります。
つまり、テキストと動画では、知識・情報を取得するための時間に数十倍の開きがあり、それは、自分の中の知識・情報が増えれば増えるほど、さらに高い倍率で開いていきます。
親切な動画であれば、冒頭の数秒で結論を述べてくれたり、サムネイルに結論が書いてあったりするため、極端な話、動画を見なくてもサムネイルだけ見れば結論が分かります。ただし、「?」付きのタイトルなど、それが結論かどうかあやふやな場合は結局、動画を見なければならず、やっぱり時間の浪費です。
「受け身」は時代遅れに
そして残念ながら、このような受動的な知識・情報の取得方法では、かなり高く意識を保たない限り、結局はボーっと眺めていることと大差なく、時間の割りに得られるものは多くありません。2020年から小中高でアクティブラーニングが本格化するように、受動的な姿勢というのは、徐々に時代遅れなものとなっていくわけです。
動画を見て、知識・情報弱者の心にもっと響くようなプレゼン方法をあみ出したり、将来カ〇ポ生命などに入って、その冗長な言い回しを活用してみたり、タマネギ男を見習って、冗長な説明で十数時間の記者会見を乗り切ってみたり、そのような積極的な理由がないのなら、長々とした知識・情報系の動画から得られることは、あまりないんじゃないでしょうかね。
表面的な知識を動画で 10 分も掛けて吸収するぐらいなら、お笑いかエロの動画でも見る方が、同じ時間をテキストに費やす方が、何倍も有益な時間となります。そのテキストも、冗長な言い回しばかりでは意味がありませんので、取捨選択が必要です。その取捨選択を容易にできるのが、テキストの強みでもあります。
あとがき
というようなことは、自分の首を絞めることになるため、動画制作者が「動画を見るのはやめましょう」などとは言いませんが、知識・情報系の動画提供者の情報源がおそらく(ほぼ間違いなく)テキスト(文字)であることが、上に書いたことの証明です。
賢い制作者さんは、動画市場が飽和したら、また軽やかに違うメディアなり表現なりへと引っ越していくことでしょう。残されるのは、数々の動画に無為に時間を費やした我々だけです。