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ざんねんないきもの【人間版】第3位:「運」と「実力」を勘違いする人

 

ざんねんないきもの 運 実力

 

発売から3年近く経つ『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』ですが、今も書店に行けば目立つところに置いてあり、大人にも子どもにも人気の高さがうかがえます。我が家でも2年前、理科好きなムスメへのクリスマスプレゼントとなりました。

 

「紫外線を浴びると光るサソリ」や「敵に襲われると死んだふりをするオポッサム」など、なぜそんな風に進化してしまったの? と不思議に思える事例がたくさん詰まっています。中には「残念と言うほどのことかな?」と思える事例もありますが、全体としては、知的欲求を満たしてくれる良書ですし、子どもの「学び」の入口にもなりますね。

 

ざんねんないきもの事典【人間版】

この本を眺めていて、「そういえば、人間界にも、ざんねんな進化を遂げてしまった人々がいるよなぁ」などと考えるに至りました。自分のことは、真っ先に棚に上げて。

 

日々、現実世界や仮想世界を漂流しつつ、いろんなニュースや出来事に遭遇しますが、人間も一歩間違えると、ネットや SNS に代表されるテクノロジの進歩に引きずられる形で、おかしな方向に進化してしまうんだろうな、と考える今日この頃です。

 

1ヵ月ほど前、ちきりん女史が『迷惑な人イレブン』という納得感満載の記事をアップしていました。

chikirin.hatenablog.com

 

到底そのレベルには及びませんが、ボク自身が考える「ざんねんな人間」を3種ほど、ランキング形式でまとめておきたいと思います。まとめたところで、何か社会の役に立つとも思えませんが、せめて自戒にはなるかな、と。

 

第3位:「運」を「実力の結果」と勘違いしている人

ボクはガチガチの理系人間で、ふわふわとした手ごたえのない理屈はあまり好きではないのですが、齢を重ねれば重ねるほどに、人生の 99%は「運」の上に成り立っていると思うようになりました。エジソン風に言うなら「99%の運と、1%の実力」という具合です。

 

と言っても、何か新しい宗教を信奉するわけでもなく、「運命」や「宿命」を自然に受け入れられるようになってきた、というだけのことです。怪しげな宗教をおススメするつもりは毛頭ありませんので、安心して読み進めてください。

ざんねんないきもの 運 実力

たとえば、子どもの頃から勉強ができて、良い高校・大学に入って、良い会社に就職して、独立・起業して、億り人になって、良いパートナーと巡り合って、良い家族に囲まれて・・・という人生のシナリオを考えてみた場合に、その人生の節々で作用しているその人の実力は、せいぜい1%程度でしょう。

 

残りの 99%は、頭の良い遺伝子を引き継いだ「運」、勉強する環境があった「運」、努力できる才能があった「運」、仕事が時代に受け入れられた「運」、良い巡り合わせがあった「運」、などなど、さまざまな「運」が交錯した部分で人生を送ることができた結果でしかありません。

 

そのように様々な「運」がたまたま上手く作用した結果として、好きなことを仕事にできているのかもしれませんし、その中で自分らしさを最大限に発揮できているのかもしれません。

 

そのような運の結果としての「好きを仕事に」「自分らしさ」というフレーズが、ともすれば地獄に感じられる面もあることは、こちら(↓)の過去記事にまとめています。

www.overthesensitivity.com

 

「アイドルを目指せ!」というアイドル

99%が「運」でしかない(と思われる)人生なのに、ネットや SNS 上では、「オレ/ワタシのようになれる方法」といった主旨のサロンや電子書籍などが目白押しです。しかも、数千円や数万円という驚きの価格で売ってみたり。

 

いやいや、ちょっと待ってください。百歩譲って、実力が 10%だとしても、残り 90%は「運」でしょう。ならば、3000円の価格は、せいぜい10%の300円程度が相場でしょう。

 

ほぼ運に支配されている各人の人生の表層だけをなぞったような「オレ/ワタシのようになれる方法」なんてものは、やはり強運が作用してスターダムにのし上がったアイドルが「アイドルを目指せ!」と放言するようなもんでしょう。そんなことを言うアイドルは見たことがありませんし、そもそも信用できませんね。

 

信用はできませんが、そのようなアイドルであっても、それを盲目的に信奉してしまう人が少なからずいることも、残念ながら事実ではあります。

 

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「大学に行くな」という人

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世の中には盲目的な信者「予備軍」が一定数いることをおそらく知りながら、「大学なんか行かずに、ゲームでもブログでも、何でもいいからフルコミットせよ!」と声高に叫ぶ方がおられます。大抵の場合、ご自身は「超」が付く有名大学を出ておられます。

 

そして、その人に向かって「責任とれるのか?」と問い掛けると、「じゃぁ、大学に行き続けて失敗した時、おまえは責任とれるのか?」と反論してきます。 

 

いやいや、そうじゃなくて、結果論を声高に叫ぶことのアホらしさを言ってるんです。

 

あなたは大学に行って後悔しているのかもしれませんし、大学に行かなくても今の仕事で成功できていたのかもしれませんが、それは「あなた」というたった1人の人間の「大学行く/行かない」の結果論でしかなく、その「後悔」や「成功」すら、多くの「運」が交錯して行き着いた結果でしかないはずです。

 

たった1つの例でもって「大学行くな」と叫ぶことには、何の真理もありません。しかも、影響力あるインフルエンサーなら、なおのことです。

 

そもそも、年収1億円の可能性が2%前後であり、年収 200万円の可能性が 90%前後とするなら、期待値はどちらも 200万円前後です。2%に入っている人間が自身の一例のみを取り上げて声高に喧伝し、それが一部の人に心地よく聞こえてしまうのは、ネット社会の残念なところではあります。

 

ボク自身は、大学に行けるチャンスがあるなら、行っておいて損はないと思っています(もちろん、行く価値の判断は、個別に慎重に考えないとダメですけどね)。

 

勉強したり教養を身に付ける理由はいくつかあるでしょうが、「『自分』を切り売りしなくても食べていける」という可能性は、1つ大きな理由になると思います。知識や教養で武装すれば、「自分」をさらけ出して切り売りしなくても、食べていける可能性が高くなります。「自分」はいつか飽きられますが、知識や教養は割りと容易にアップデート可能ですしね。

 

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運を「運」と分かっている人は頭を垂れる

ざんねんないきもの 運 実力


ボクが今まで見てきた狭い世界に限っての話ですが、「運」を「実力の結果」と勘違いしている人ほど、尊大かつ高慢な態度で、謙虚さに欠けるように感じられます。

 

間違っていることが明らかなのに、決してそれを認めようともせず、謝ろうともせず、自分が如何に正しいかを熱く語り続けて、相手を論破することに精を出します。ボクは、こういう人を見掛けると、「あぁ、この人は、運を自分の実力と勘違いしているんだな」と思うようにしています。ほんと、残念な生き物ですね。実力を確かに感じられる場合は、余計に残念に思えます。

 

逆に、いつも謙虚で、自分の誤りを客観的に捉えられる人を見掛けたら、「あぁ、この人は、自分の人生が『運』の上に成り立っていることをよく分かっているんだろうな」と思い、清々しい気持ちになります。年齢は関係ありませんね。

 

人類が月面に第一歩を踏み出してからちょうど 50年になる今年、その時の宇宙船「アポロ 11号」の船長である宇宙飛行士 ニール・アームストロングの半生を描いた映画『ファースト・マン』が間もなく封切られますが、そんなとてつもない運命を生きた彼もまた、非常に謙虚な人物だったようですね。firstman.jp

 

先行き不透明な時代には、「運」よりも「実力」を重視する断定調の言い回しがチヤホヤされがちですが、そういう時代だからこそ、人生が如何に脆い「運」の上にしかあり得ないかを意識して、謙虚に生きていきたいですね(自戒)。

 

 

 

追記

ざんねんないきもの【人間版】第2位は、こちら(↓)。

 

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