敏感の彼方に

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ざんねんないきもの【人間版】第1位:自己愛のみで弱者から搾取する人

 

ざんねんないきもの 自分 愛 弱者 搾取

 

 

発売から3年近く経っても人気の本『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』を読んでいて、その「人間版」ランキングを考えてみたくなりました。

 

これまでに第3位、第2位と発表してきましたが、その後、余計なエントリをネット空間に注入している間に時間だけが過ぎてしまい、ここへ来てようやく第1位の発表です!

 

今回も独断と偏見のみで決定した第1位は、タイトルにも書いたように、

自分を愛する気持ちが強すぎて、弱者から搾取していることに気付かない人

ということで話を進めてみます。

 

この第1位は、前半の「自己愛」が第2位と関係し、後半の「搾取」が第3位と関係していますので、この両者を総括したような、普遍的な「ざんねん」だと思っています。

 

自己愛が強い人

はい、ボクもそうです。

 

誰だって「自分ラブ」な気持ちは、多かれ少なかれ持っているはずです。よく言われることですが、自分を愛せずして他人を愛することなど、一般人にはなかなか難しいことですから、自分を愛することが基本にあるのは、それはそれで良いことだと思います。

 

ただし、他人からの愛をたくさん受け、自分でも十分に自分を愛すれば、次はその愛を他人におすそ分けしようという気持ちが自然と湧いてくるはずなんですが、この一連のプロセスのどこかが上手く作用しなかった結果、強すぎる自己愛が「弱者からの搾取」にはけ口を求めるようになります。

 

「搾取」には広い意味があって、たとえばセクハラや DV、虐待を含めた「パワハラ」は、他人の身体とともに精神を搾取する行為です。そのほか、他人の生活や良心を搾取したり、他人のお金や時間を搾取したり、とにかく弱者から何かを搾り取る行為が「搾取」です。

 

弱者の身体・精神を搾取する人

やはり最初に思い付くのは「パワハラ」であり、具体的にはイジメや虐待であり、平たく言えば「弱い者いじめ」ということになります。家庭から国家に至るまで、規模の大小を問わず、どの国のどの集団にも存在します。

 

「弱い者いじめ」というのは、ある意味、動物としての本能が発露した行為なのかもしれませんが、だからこそ、人類は長い年月を掛けて、何度も失敗を繰り返しながら、弱者を身体的・精神的に搾取する行為を無くす努力をしてきたわけです。

 

でも、この種の搾取は、加害者自身が被害者としての過去を持っていることが多く、それが世代間で受け継がれてしまうことに解決の難しさがあります。

 

最近も、心無い虐待行為が報道され、加害者を非難・批判する声がたくさん上がりました。もちろん、加害行為だけに目を向ければ、それは非難されてしかるべきことなのですが、その裏に「加害者が被害者でもあった過去」があるなら、そのような虐待の再生産を単に「悪」と切り捨てることなどできず、やはり「ざんねん」としか言えません。

 

以下のような児童虐待の相談件数の推移を示したグラフが公表されています。

 

このグラフを見ると、「心理的虐待」が顕著に増加していることが分かります。原因は様々でしょうが、ストレスのはけ口が弱者に求められてしまう現実は否定しようがありません。

心理的虐待は、大声や脅しなどで恐怖に陥れる、無視や拒否的な態度をとる、著しくきょうだい間差別をする、自尊心を傷つける言葉を繰り返し使って傷つける、子どもがドメスティック・バイオレンスを目撃する、などを指します。子どもの心を死なせてしまうような虐待、と理解すると良いと思います(引用:子ども虐待防止「オレンジリボン運動」)。

 

全体の件数が大幅に伸びているのは、虐待の件数が実際にこれだけ増えているわけではなく、法制度や窓口の整備によって、今まで明るみになっていなかった事実が見えるようになった結果ですが、このグラフが氷山の一角でしかないこともまた、想像に難くないわけです。

 

虐待の再生産を考えるなら、次世代の予備軍が少なくとも上のグラフの数だけ存在し得ることを直視するしかありません。

 

弱者の生活や良心を搾取する人

少し前、アパレルプラットフォーム企業の社長が、総額1億円(100万円 × 100人)のお年玉を、さも抽選であるかのように匂わせつつ応募を呼び掛けて、結局は自分好みの 100人を選抜してみたり、続編があることを匂わせてみたり、いろんな意味で世間をゾゾっとさせる行為に出ました(その後、いろいろと暴走してツブヤキ一旦停止)。

 

それに前後して、スマートフォンを使った QR コード決済サービス「PayPay」は、「100 億円還元キャンペーン」と銘打って、キャッシュレス決済のユーザを囲い込む戦略を大々的に展開しました。

www.overthesensitivity.com

 

また、記憶に新しいところでは、大阪府泉佐野市が「ふるさと納税の閉店キャンペーン」と銘打って、無くなり次第終了の「100億円還元」を開始しました。ふるさと納税の返礼品規定が 2019年6月から厳格化される前に、「集められるだけ集めてしまえ!」という分かりやすい作戦です。

ざんねんないきもの 自分 愛 弱者 搾取

 

上の3つに共通するのは、「法律上は全く問題ない」という点です。そしてもう1つは、「お金を目の前にチラつかせて、人の生活や良心を搾取しよう」という点です。

 

人々の生活や良心を搾取するのに一番手っ取り早いのは、お金をチラつかせることです。ほとんどの人は、お金の力によって容易に、権力者の支配下に置かれてしまいます。

 

これについても歴史の中で、一部の資産家がお金の力で民衆を支配し、その心まで乗っ取ってしまうことのないように、「政府」という機関が設けられ、主に「税金」という仕組みで「金持ち → 政府 → 庶民」というお金の流れが作られてきました。「政府」はある意味、「マネーロンダリング機関」なわけであり、それが一番大きな役割とも言えます。

 

前者2つは、法律で取り締まる類のものではありませんし、それはそれで経済的に助かる人も少なからずいます。泉佐野市の「100億円還元キャンペーン」も、「ふるさと納税」という制度自体に不備があるだけで、泉佐野市に大きな非はないと思います。

 

ただ、「お金で民衆を支配しない」という歴史上の「暗黙の了解」的な部分に踏み込み、自己アピールのために庶民の生活に触手を伸ばしてみたり、ユーザを囲い込んで個人情報を吸い上げてみたり、「寄付」という共助の精神を弄んでみたり、そういった行為は、やはり「ざんねん」としか言えません。競争社会が行き過ぎた結果としての「ざんねん」です。

 

話が少し飛びますが、沖縄の基地問題も、お金をチラつかせて2者択一を迫るあたりは、突き詰めれば「生活の搾取」と言えそうです。総理大臣が以前、「日米が普天間基地の全面返還に合意してから20年以上実現されず、これ以上先送りはできない」というようなことを仰っていましたが、これだけ変化の激しい時代に、東アジアの軍事バランスも刻々と変化する時代に、20年以上前の合意に固執せざるを得ない考え方は、やはり「ざんねん」としか言えません。

 

弱者のお金を搾取する人

「お金の搾取」が一番直接的で分かりやすいかもしれませんね。

 

資本主義的自由社会が成り立っているのは、ソーシャルゲームやアイドルグループの応援に何十万円もつぎ込んでくれる「養分」、投機や投資などの儲け話を信じて闇雲に何十万円もつぎ込んでくれる「養分」、ショップ店員に言われるまま無駄なアプリやサービスをインストールしてくれる「情報弱者」たちが、結果的にたくさんのコストを負担してくれるおかげで、それ以外の人たちが利益なり利便なりを享受できるからです。

 

 一部のサロンやセミナーや自己啓発書なんかも、落ち着いて考えてみれば、その主催者や著者が自分に合った方法でたまたま運良く成功をつかめたに過ぎないことを、さも誰にでも真似できる普遍的な方法論として紹介してしまえば、一定数の養分や情弱がそこに自己満足や癒しなどを求めて集まり、お金を落としていってくれます。

 

情報強者は、当然その仕組みに気付いていますが、養分や情弱は気付いていないことも多く、そういうアンバランスな資本主義の世界に生きている以上、受け入れるしか仕方のない「ざんねん」ではあります。

 

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でも、良識ある人は、自分たちの利益が相対的な弱者から生じていることや、そのおかげで自分たちが「資本主義」というゲームを楽しめていることをいつも心の片隅においていますので、決して無茶なことはしませんし、自然な形で感謝・還元しようとします。

 

強者が弱者にマウントしてお金をむしり取ることほど「ざんねん」なことはありません。

 

弱者の時間を搾取する人

「お金の搾取」とも関係しますが、一人ひとりの人生の時間が有限であることを考えると、お金以上にシビアに考えるべきなのが「時間の搾取」です。

 

一部のインフルエンサーと呼ばれる方々がネットや SNS を介して執拗なまでに発信を続けるのは、その方々が提供するエンターテインメントが結局のところは「消費者の時間の分捕り合戦」でしかないからです。消費者(あなた)の時間をいかに自分に向けさせるか、という闘いです。

 

なぜ時間を分捕るかと言えば、消費者の時間を支配してコンテンツを流し続ければ、広告クリックなどによって収入が上がることはもちろん、「時間を費やした分、何かを吸収しなければ・・・」という消費者心理を利用して、有料コンテンツの販売などに結び付けるためです。

 

自分で自分のことを情弱と認識している人や、情報の取捨選択が得意ではない人、社会やビジネスの仕組み・メカニズムの理解に乏しい人などは、無闇に情報を摂取しないのが一番だと思います。子どもは特にそうですね。

 

ボク自身は、人間にとって「時間の搾取」が一番「ざんねん」な行為だと思います(ボク自身も、このような記事で読者の時間を搾取してしまい、申し訳ありません)。

bunshun.jp

 

 

さいごに

以前、子ども4人を東大理Ⅲに合格させたSママの書籍を読み、その執念や方法論は容易に真似できるものでもなく、タメ息とともに感心した記憶があるのですが、少し引いて考えると、それは「自己愛に基づく搾取」に片足を突っ込んでいるようにも見えます。

 

ご本人の心理までは分かりませんが、子どもたちを日本の最高学府の最高学部に入学させることで自分自身の虚栄心や承認欲求を満たしたり、後悔の念を晴らしたりする思惑があったとするなら、4人全員が「医師になりたい!」という同じ夢を自然に抱く確率の低さを考えるなら、そのプロセスが書籍となって完結している現実を見るなら、その書籍が4人のお子さんにとっての重荷となる可能性があるなら、やはり「残念」としか言えません。

 

「自己愛」なんてものは、次の世代に受け継いでいくのが最も難しい類の精神だと感じています。月並みですが、子どもを「他人愛」で育てて、その子どもがその子どもを同じく「他人愛」で育てる、という循環を築いていくしかないんじゃないでしょうかね。

 

自己愛を上手く昇華できなければ、それはやがて搾取となって現れるでしょう。

 

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