敏感の彼方に

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保毛尾田保毛男「ほもおだほもお」がテレビから消えた日[事件の詳細]

 

2017年、お笑い界で長く親しまれてきたある大物キャラクタが、ついに歴史上の人物となって、テレビ界から姿を消す日がやってきました。その名は、

保毛尾田保毛男 = ほもおだほもお
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この記事では、保毛尾田保毛男が 2017 年に起こした事件の詳細と、その後の世間の反応などを踏まえつつ、今回の騒動の根本原因はどこにあるのか、また、今後はどのようなお笑いが求められるのか、などを考察してみたいと思います。

 

 

 

とんねるず「保毛尾田保毛尾」事件の騒動と謝罪

まだ暑さの残る 2017年9月28日、その事件は起こったのです。

 

フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」30 周年スペシャル番組で、男性同性愛者を揶揄していると思われるかつての人気キャラクタ「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」が 28 年ぶりに登場し、大きな話題となりました。

 

放送後、賛否両論ある中、同局の社長が批判に対して、定例会見で謝罪しました。

 

その後、予想通り、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会にて、同番組の審議入りが検討されましたが、結局、「バラエティの表現の自由の範囲内」という見解で、審議入りは見送られました

 

社長の謝罪があったことも加味して、「今後は二度とテレビに出さない」ことを前提に、とりあえず審議しない、ということになったとの見立てが一般的です。もしこの見立て通りなら、このキャラクタがテレビに再び登場する機会は永遠に訪れず、テレビで見るのは今回が最後、ということになります。つまり、この日をもって、保毛尾田保毛男はまさに歴史上の人物になった、と考えられます。

 

「審議入りせず」という結論の後、世間や抗議団体の反応もありましたが、結局、この結論が翻ることはありませんでした。

※ ちなみに、フジテレビは、BPO の見解が出た後、おわび文を番組公式サイトに掲載しました。

 

もしも「保毛尾田」でなかったら、という仮定

子どものころ、このキャラの登場が待ち遠しくて仕方なかったです。学校でもよく話題になりましたし、皆がこぞって真似をしていました。

 

しかし、あれから数十年。もう平成の終わりが見えている時代です。この時代によく、「ホモ」という差別用語をテレビに出せたもんだと、ある意味感心してしまいました。その言葉だけでも一定の反発を招くこと必至なのに、さらにこの強烈なキャラクタですからね。

 

もし、このキャラクタが、「保毛尾田保毛男」ではない一般的な名前で登場していたなら、その現実離れした風情から、別の結論になっていたのかもしれません(ひょっとすると、これほどの反発は無かったかもしれません)。

 

ただし、別名で登場させるということは、すでに制作段階で差別や抗議を意識していることの表れになってしまいますから、その「確信犯」ぶりがさらに強調され、逆にもっと大きな反発になっていたかもしれません。

 

「28 年ぶりの保毛尾田」に対する世間の反応あれこれ

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社会の分断が問題になる中、それに抗うかのごとく多様性が叫ばれ、その一環として、LGBT に対する関心の高まりや自治体・企業などの対応は確実に進んでいます。

 

このような社会では、今回の放送に反発や批判が集中するのは当然です。それだけ、LGBT という新しい価値観が社会の中に浸透しつつあるわけです。

 

そして、この反発や批判に対しても、おそらく「ほもおだ」を愛してやまない層から反対の意見がたくさん出ています。LGBT という新しい価値観が社会に根付こうとしている段階ですから、このように賛否両方の意見が出てくることは、健全といえば健全な社会です。

 

「ほもおだ」を愛してやまない層の意見としては、主に以下のようなものがあります。

  1. 騒ぎ過ぎ(テレビがつまらなくなる)
  2. LGBT 全員が放送に反発しているわけではない
  3. 「ハゲ」「デブ」「チビ」「ブス」などは普通に放送されている

 

「1.騒ぎ過ぎ(テレビがつまらなくなる)」について

これについては、価値観の相違が大きく影響しています。人権や差別の問題については、世の中の動きと絡めて、問題意識が高い人もいれば低い人もおり、100%賛成または 100%反対ということにはなりません。世相の揺らぎに同調して揺れ動くものでしょう。実際、保毛尾田が初めてテレビに登場したバブル真っ盛りの当時は、これほどの騒ぎになりませんでした(ネットや SNS もありませんでした)。

 

「2.LGBT 全員が放送に反発しているわけではない」について

これについても、一人ひとりの考え方、性格、生き様などに依存しますので、100%賛成または反対ということなどあり得ません。

 

LGBT に限らず、あらゆる問題において、「騒ぎ過ぎか否か」「当事者の賛否」という2点は必ず議論になりますし、価値観が様々である以上、このような論点がなくなることは永遠にありません。

 

ただし、LGBT がマイノリティであることは事実であり、当事者であろうとなかろうと、マイノリティに関する主張の場合は、声を大きくしないとその声はどこにも届きませんから、声高になるのはバランスとして悪くありません。

 

「3.ハゲ、デブ、チビ、ブスなどは普通に放送されている」について

これについては、「それとこれとは別」「当然、批判すべき対象(保毛尾田)は批判する」という反論も可能であり、それが一般的だと思われますが、もう1つ、「当事者かどうか」という視点がかなり重要になってきます(後述)。

 

いずれにしろ、差別的なものに一律に蓋をしてしまうのではなく、時代背景や価値観などに応じて、ケースバイケースで考えることが大切なんでしょうね。

 

属人的な特徴を売りにする芸人やタレントたち

「ハゲ」「デブ」「チビ」「ブス」などの属人的な特徴を積極的に自分の売りにしている芸人さんやタレントさんをよく見かけますが、彼/彼女らは、その特徴の当事者なわけです

 

少し異なりますが、最近テレビによく出ている ANZEN 漫才の「みやぞん」さんも、いわゆる「天然」キャラという属人性を売りにしています(「天然」という括り方で良いのかどうかは分かりませんが・・・)。

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このような芸人さんやタレントさんたちは、自分の特徴を「武器」にして、芸能界という厳しい世界で闘っているわけですから、1つの仕事と考えるなら「有り」であり、大いに尊敬しています。

 

もちろん、この価値観についても賛否両論あって当然ですし、尊敬しているとは言え、このような笑いに対して、世間的に蔑まれがちな特徴の結果としての「嘲笑」に近い感覚を覚えることもあり、決して気持ちの良いものではありません。

 

このような芸人さんやタレントさんたちは、その特徴によって、幼少期からバカにされたり、からかわれたりしてきたかもしれませんし、逆に、それで笑いをとって人気者になっていたのかもしれません。それぞれの過去を持ちつつ、何かのきっかけ、流れ、決意などを経て、その特徴が仕事の一部になっているはずです。

 

ですので、そのような本人たちの決意や葛藤になるべく思いを馳せ、テレビを見ながら、その芸人さんなりタレントさんが抱えているであろう過去を想像するようにしています。

 

バラエティなどでその属人的な「特徴」を笑いにする一方、それを仕事にするに至った経緯や決意などのドキュメンタリ番組がもっとあれば、とてもバランスが良いですし、視聴者からの人気やリスペクトがもっと高くなるのではないかと思います。親近感が湧きますからね。

 

www.overthesensitivity.com

 

「保毛尾田保毛尾」は当事者にあらず

先日の「保毛尾田」騒動の場合、それを演じているとんねるず・石橋貴明さんは、(おそらく)当事者ではありませんよね。バブル崩壊前夜に登場した面白い「キャラクタ」をただ演じていただけのことです。

 

この点が、今回の騒動を考える上で一番わかりやすい「一線」であって、やはり当事者でない以上、「ほもおだほもお」は、この時代にあえて登場させるべきキャラクタではなかったと言えます。

 

いわゆる「おネエ」キャラの人たちは、それが当事者の生き様であり決意であり、笑いの裏に本人の過去や葛藤が垣間見えることが、ある意味「救い」になります。

 

当事者でない人が嘲笑的なキャラを演じると、どうしても「救い」がなくなってしまい、それを一般人が真似て差別を助長してしまう側面があることは否めません(石橋さんに、差別に対する強い思い入れなり思想があるなら別です)。

 

というわけで、「保毛尾田保毛男」は、バブルの香り漂う懐かしきキャラクタとして、歴史の1ページにひっそりと残せば良いのではないでしょうか(それが、オレたちの愛すべきキャラクタのためと思ってね)。

 

 

 

笑いと尊敬のバランスが癒し系

ちなみに、ANZEN 漫才のみやぞんさんについては、ネット上で「発達障がい」や「サヴァン症候群」「ADHD」の可能性が指摘されており、それらを笑いにするのは如何なものか、という意見もあります(実際に何かの障がいなのかどうかは分かりません)。

 

でも、本人が苦痛に感じず、本人の意思で充実した人生を送れているなら、ある意味「才能」を活かした素晴らしい職業とも言えます。

 

ただし、人間はどうしても見た目で判断しがちです。特に子どもは、みやぞんさんをただの「変わり者」「ヘンな人」と素直に捉えがちです(「世界の果てまでイッテQ」などでの活躍を見ている子は、必ずしもそうではなく、ある種のリスペクトも併せ持っているかもしれません)。

 

上に書いたように、彼の生い立ちや生き様がもっと前面に出てきて、笑いと尊敬がちょうどバランスするぐらいになると、もっと癒されちゃいますね。

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今後の課題とあるべきお笑いの姿

今回の騒動をもって、今後は、LGBT を笑いのネタにすることなど、ほぼ不可能になると考えらえます。海外では既に当たり前のことですけどね。

 

また、LGBT に限らず、「ハゲ」「デブ」「チビ」「ブス」などの属人的な特徴を笑いに盛り込む場合であっても、それを提供する芸人さんなりタレントさんなりが、少なくともその「当事者」であることが最低限必要になるでしょう。

 

そして、属人的な特徴を笑いのネタにするならば、その本人の生い立ちや生き様も併せて前面に出すことで、笑いと尊敬がバランスするように配慮してもらいたいところです。

 

「保毛尾田保毛男」よ、永遠なれ

あの騒動の直後は、あちらこちらで炎上の火の手が上がっていましたが、それも2~3日で鎮火し、その後は、特に騒動などなかったような静けさが訪れ、論評記事が数週間に一度投稿される程度の取り上げ方になっていったと感じています。

 

何ごともそうなんですが、情報のフローがどんどん速くなっており、「人の噂も七十五日」なんて言っていると、時代の流れから完全に取り残されてしまいそうです。

 

子どもの頃に楽しませてもらった身としては少し寂しい感じもしますが、わずか2~3日程度の騒動の末、保毛尾田保毛男という大物キャラクタは、あっさりと歴史上の人物になってしまいました。

 

ただし、「歴史になった」というのは、「忘れてもよい」ということではなく、時代が下ってもそこから何かを学び取れる「教訓になった」ということです。今回の騒動を通じて、保毛尾田保毛男は、実にたくさんの大切なことを教えてくれました。

 

* * *

 

あの騒動のことを書いてる人なんて、もういませんよね。おそらくこの記事が、保毛尾田保毛男に関する史上最後の論評となることでしょう。

 

 

 

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