敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

【毒親とロールモデル親】子供にとっての「あるべき親像」幻想との闘い

 

 

両親をロールモデル(あるいは、メンター)として自分の子どもを育てられるなら、こんなに楽なことはない。

毒親 子育て ロールモデル メンター 育児

 

ボク自身は、両親を尊敬しているし、深く感謝もしている。

 

今でこそ何とかまともに生きているが、子どもの頃は身体が弱い方で、すぐに泣くし、性格もだらしなく、習い事はすぐに投げ出すし、勉強もほどほどだった。そんなボクなのに、共働き(サラリーマン&看護師)で殺人的に忙しいはずなのに、小言を一度たりとも言われたことがない(少なくとも、その記憶がない)。

 

良く言えば「子どもを信頼していた」ということだし、悪く言えば「放ったらかし」ということになるんだろうけど、睡眠時間を極限まで削って日々の雑事をこなしてくれたり、遊び相手になってくれたり、進路相談に乗ってくれたりしていたから、「とにかく時間がないので、子どもを信頼するしかなかった」ということだと確信している。

 

中高生の頃は、友だちとフラフラ街を彷徨い、たまに数百キロ先まで遠出したり、補導員のお世話になることもあった。大学生の頃は、少し警察のお世話になったこともあるけど(重大事件ではない)、何一つ言われなかった。

 

そうやってフラつきながらも何とか成人し、就職し、結婚し、子どもまで持てるようになったのは、ただの偶然でしかないのだろうけど、今から振り返ってみると、ボクが大きく道を踏み外さずに済んだのは、両親が苦労を背中で見せてくれていたからだと思う。中高生の頃は、フラフラしながらも、両親を助けてやりたくて家事を手伝ってもいた。

 

両親ともにそれなりに年老いた今は、若い頃の「借金」を返すべく、できる限りの孝行をしているつもりだ。でも、こういう両親だから、その「孝行」を決して受け取ろうとしない。「自分たちのことは自分でやる」という矜持がそうさせていると思うのだが、それを時に有り難く感じ、時に歯がゆくも感じる。

 

いずれにしろ、ボクは生まれてから今現在に至るまで、親子関係には間違いなく恵まれていたと思うから、自分の子どもたちに対しても、自分の両親と同じようにしてやれば問題ない、という自信を持って子育てできている。昔はスマートフォンも人工知能(AI)もなかったから、そのような時代の違いだけを加味しさえすれば、子どもに対する親の接し方なんて、30年やそこらのスパンでそう容易く変わるものでもないと思っている。時代が変わっても、本質はいつも同じところにあると思っている。

 

毒親 子育て ロールモデル メンター 育児

 

一方で、特に中高生の頃に付き合いのあった友人たちは、実にさまざまな家庭環境を背景に抱えており、友人たちから直接聞く各家庭の様子と自分の家庭の様子とを比較して、100 世帯あれば 100 通りの家庭環境があることを若いながらに感じ、環境と人間性(ちょっと大袈裟か;)の関係にも興味があったので、自分が子育てを始めるに当たっては、迷いなくこの本(↓)を手に取っていた。

 

その他、テレビや新聞、ネットで流れてくる様々な親子関係のニュースや記事に目を通し、自分にできることは、世の中にあふれる数々の不幸・不和を反面教師として、せめても自分の家庭に持ち込まないことだ、と信じてそれらを心に刻んできた。

 

 

昨日は、少年法の適用年齢引き下げ(20 → 18歳未満)に絡んで、少年院経験もある大学生アイドル「戦慄かなの」さんの記事を読んだ。

www.asahi.com

twitter.com

 

恥ずかしながら、高いフォロワー数を誇る彼女のことを知ったのは今回が初めてなんだけど、若干 20 歳の時点でこれほどまでに様々な経験を積んでこられたことに、その家庭環境の凄まじさを垣間見た気がしている。

 

ボク自身が両親に対して何らルサンチマンを覚えず、「家庭」というハコモノに対して何らストレスを感じないのは、 両親がボクに対してルサンチマンの芽を植え付けることなく、「家族・家庭」という社会の最小単位を必死に演じてくれていたからでしかない。

 

両親は基本的に仲が良く、相手を裏切るような行為は決してなかったが、やはり夫婦である以上、もめ事は少なからずあったとのこと。大人になってから聞いたのだが、「子どもの前では絶対に喧嘩しないこと」だけは固く誓い合い、日々の生活を回していたらしい(最近は、ボクの目の前でも、孫の目の前でも、割りと普通にケンカしているが・・・)。

 

今や、「家族」も「家庭」も、幻想に近づきつつあるような気もするけど、両親が必死になって演じていた幻想をボクの世代で消滅させてしまうのは忍びないし、何より、幻想であれ理想であれ、その中で自分だけが良い思いをして終わり、というのは、単に怠惰というよりも、悪辣で無責任な気もするから、そこは必死になって守っていきたい(もちろん、これは自分自身の問題だから、他人に強要する類のものではない)。理想に寄り過ぎるのも良くないから、現実とのバランスに注意しながらね。

 

* * *

 

ところで、同じ親に育てられた子どもなら、ある程度考えを共有したり分かり合えたりするのは、割りと当たり前のことだろうと思っていたのだが、先日、自分自身の兄弟と会話していて、衝撃の事実を突きつけられた。

 

ある兄弟は「自分は、両親からのプレッシャーで人生が少し狂った」と言い、ある兄弟は「両親のことを口うるさい人間だと思っていた」と言う。まさに、寝耳に水だった。

 

両親が兄弟間で何らかの差別をすることは決してない、ということだけは、これまでの言動や立ち居振る舞いを見ていて確信できる。なのに、これだ。ボクが尊敬・感謝している「親像」とはまったく逆の方向に、兄弟の親像は映っている。兄弟それぞれ、長い人生の中で艱難辛苦いろんなことを経験してきているから、それが後付けで親像に影響している面はあると思うが、それにしても、ここまで正反対に向かっているとは夢にも思わなかった。

 

両親は、「兄弟といえども、結婚したら赤の他人」とよく言っていた。自分たちの兄弟姉妹や親戚の関係を念頭に漏らしていたことだろうけど、その意味がようやく分かった。人間が他人をどう評価するかなんて本当に分からないし、それに加えて、時間の経過や生活環境、経済的環境の影響がものすごく大きいんだろうね。

 

同じ事象に対して、ある人間は時間の経過とともにそれを美化して記憶に留めるだろうし、ある人間は、まったく逆の方向に増幅させて記憶に留める場合もある。そうやって作り上げられた個々の記憶は、もはや後戻りして共有することなど決してあり得ないほどにまで乖離している。元の事実がどうあれ、人間の記憶なんてそんなものだ。

 

ボクは両親のことを美化し過ぎているのかもしれないけれど、それこそ元の事実など関係なく、そうやって前向きに捉えられる性格は悪くないし、むしろそれでハッピーな人生を(たとえ仮想的にしろ)送ることができているなら、他人に迷惑を掛けていないなら、そして、そのハッピーを次世代にもつなぐことができるなら、まぁ良いかなと思っている。ボクが他の兄弟と違う点は、血液型と、HSP の気がかなり強いことぐらいだけど、それが考え方や記憶に(どう)影響するのかもよく分からない。

HSP とは、病名のことではなく、感受性が生まれつき強く、ちょっとした環境の変化や他人の気持ちにとても敏感なため、五感の強い刺激や他人とのコミュニケーションに圧倒され、すぐに疲れてしまうタイプの人を表す心理学用語。

 

いずれにしろ、同じ親に育ててもらったのに、ボクら兄弟の目や頭には、こんなにも違った形で両親の姿が焼き付けられている事実は判明してしまったけれど、兄弟との関係が今さらそれでギクシャクするほどのことでもない。というか、ボク自身の両親に対する思いは赤裸々に披露していないため、衝撃を受けたのはボクだけだと思う。

 

ボクにできることは、これからも世の中にあふれるたくさんの親子関係を吸収・咀嚼して自分の家庭生活に上手く取り入れていくことと、両親と同じように、子どもたちを区別なく平等に扱い、子どもたちの前では極力ケンカしないようにパートナーと話し合い、人を裏切らず、口ではなく背中で人生の山谷を語ることぐらいかな。

 

それに対して子どもたちが「あるべき親像」をどう捉えるかは分からないし、たとえ完全平等に接したところで、ボクの兄弟と同様にそれぞれ異なる親像を記憶に留めることになるんだろうけど、それは単に結果論でしかない。そんな結果論など凌駕してしまうほど、ボクにとっては両親が大きなロールモデルとなっているから、淡々とそれを模倣するだけだ。

 

あとは、幻想や理想を与えてくれた両親への孝行かな。

 

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