
近ごろ、飲食店の(学生)アルバイト店員による不適切な行為が集中していますね。氷を床にぶちまける「すき家」の店員、ゴミ箱に捨てた魚をまな板に戻す「くら寿司」の店員、唐揚げを床にこすりつける「ビッグエコー」の店員、おでん(白滝)を口に出し入れする「セブンイレブン」の店員・・・。
ネット・SNS 時代に繰り返されるバイトテロ
このような、いわゆる「バイトテロ」とか「バカッター」とか言われる人たちの行為は、こちら(↓)の記事にも書かれている通り、数年前にも一度流行したことですし、今後も、ちょうど人々の記憶から消えて無くなろうとするタイミングで周期的に世間を賑わすことになるんだろうなと、何となく予想はできてしまいます。news.yahoo.co.jp
くら寿司などで行われた行為ほど酷くはないにしろ、誰だって、1つや2つは人に言えない行為を心に隠し持っているものだと思います。それが SNS というテクノロジの出現によって容易に拡散し、ニュースを「ネタ」にしたいメディアの力でさらに大きく拡散していった結果が、これら一連の惨劇です。
上に挙げた例に限らず、おそらく似たような行為は、日本はもとより世界中の飲食店で日々少なからず起きているんだろうと、ボクなんかは割り切っていますし、そういう見たくもない行為を企業側も消費者側も見せつけられてしまうのは、SNS 時代を生きていく上では、ある程度は仕方のないことだと諦めてもいます。
バイト君たちを駆り立てる「何か」
こういった行為に対しては、「汚い!」とか「バカだ!」という至極全うな意見のほか、「罰せられて当然だ!」「損害を賠償させろ!」という超怒級の意見や、「非正規・低賃金のせいだ!」という身分・処遇に対する一種の憐れみのような意見など、いろんな見方が出てます。
社会というのは、こういう一人ひとりの意見で成り立っているんだなぁ、と改めて感心させられる今日この頃です。当事者の方々には大変申し訳ありませんが、すごく勉強になります。
ボク個人としては、お客さん一人ひとりの顔を想像できるなら、魚をゴミ箱に放り込んだりカラ揚げを床にこすりつけたりする行為なんてのは、自分自身が気持ち悪くなってしまうため、とてもじゃないけど無理だろうと思うのですが、なぜそれがバイト君たちにはできてしまったんだろうと、不思議でなりません。
システムに取り込まれた人間の末路
「客の顔を想像できない」という点では、最小限の投下資本で最大限の利益を叩き出したい会社側と、最小限のコストで最大限の満足を得たい消費者と、その両者に挟まれた現場の人間が、完全に資本主義システムに組み込まれて、もはや存在するのかしないのかさえ、客にとってはどうでも良いことになりつつある現状が考えらえます。
あるいは、バイト君たちの行為が、暇を散々持て余した結果としての、発狂しそうなぐらいほかにやることが何もなくなってしまった結果としての行為なら、完全に業務システムに組み込まれて、極度に効率化が進んだマニュアル通りにしか動けず、客足が遠のく閑散期や深夜帯に持て余した時間に対する戸惑いがあるのかもしれません。
このように、資本主義システムや業務システムに完全に取り込まれて、にっちもさっちもいかなくなってしまった結果、ネットや SNS という情報システムにもしっかりと組み込まれているバイト君たちは、この3つのシステムの中で唯一の抜け道がある「情報システム」にガス抜きのための風穴を、ほんの軽い気持ちで開けてしまったのかな、と思うわけです。
少し距離を置いて数々の事件を眺めてみると、いろんなシステムに組み込まれてしまった人間が、寿司ネタや唐揚げやおでんを介して、「こんなシステムに取り込まれたくない!」というような最後の抵抗を振り絞っているようにも見えてしまいます。もちろん、当の本人たちにそんなつもりは毛頭ないでしょうが、そんな時代の切り取り方もできるんじゃないかな、などと考えています。
システムをガチガチにするか、緩くするか

一方、くら寿司の件では、会社側がバイト君側に対して損害賠償を求める動きもあるようです。それはそれで抑止力にはなると思うのですが、これも少し見方を変えると、システムに取り込まれてしまった「おバカさん」に対して、「訴訟」という強烈なシステムの論理で解決しようとする点が、目も眩むほどのコントラストを呈しています。
その前に、わずか数年前にも流行していたバイトテロの反省は、従業員教育の中で十分に生かされていたのかな? と不安になります。それがないなら、強硬手段に出たところで、数年後にまた同じような事態が繰り返されることになりはしないでしょうかね。
会社側が人員補強やカメラ設置で監視を強めるべきという意見もありますが、もしも「システムに対する抵抗」という側面があるなら、その対象となるシステムをさらにガチガチにする方向というのは、さらに強い抵抗を誘発するきっかけ作りにもなってしまわないか、とても心配です。
それよりも、従業員と客の接点を作ったり増やしたりして互いに「顔が見える」関係を築く工夫をしてみたり、発狂しそうなほど暇を持て余している従業員が熱中できるような「遊び感覚の仕事」を設ける工夫をしてみたり、少しシステムから離れる方向の対策を考える方が、労働者にとっては幸せなんじゃないかと思います。
プラットフォーム企業の責任
もう少し引いて眺めるなら、暇を持て余した結果を SNS で世界に向けて発信してしまう行為というのは、ネットや SNS といったテクノロジの進歩に追いついていない人たちが簡単に陥ってしまう所業です。
ほとんどの人がそういった行為をやろうとしないのは、その結果がどうなるのかをニュースなどから意図せず吸収・学習し、自分でも知らないうちにリテラシを身に付けているからなんでしょうが、社会にはそのリテラシが欠如している人が一定数いることもまた事実です。
そのようなテクノロジを提供するプラットフォーム企業やその開発者は、庶民がどのようにサービスを利用するかのシナリオを頭に描きながら開発を進める上で、リテラシが全然追いついておらず、自爆テロのような使い方をする人間が現れることまでは、どれぐらい想定しているのか疑問に感じます。
もし、このようなテクノロジの急速な進歩が社会に数々の惨劇をもたらしているのなら、その尻ぬぐいもプラットフォーム企業にはお願いしたいところです。
人工知能(AI)などの進歩技術をもってすれば、飲食店で魚をゴミ箱に捨てた後に戻していたり、カラオケ店で唐揚げを床にこすりつけていたり、コンビニで白滝を口に出し入れしたりする行為は、容易に「社会の常識から外れている」と判断できるはずです。
そして、そのような行為が撮影された動画を誰かが投稿しようとする際には、「投稿したら、損害賠償に発展する可能性もありますが、ホントにします?」というような確認メッセージを出すことぐらい簡単にできてしまうでしょう。プラットフォーム企業でお金を出し合って共通の技術を開発すれば、1社当たりの負担なんてたかが知れています。
さいごに
さらにもう一歩距離を置いて眺めてみるなら、今は明治以降の近代化の中で誰もが平等に自由を追い求めてきた時代の最後の過渡期であり、その後は江戸時代のような階級社会が再び訪れ、その社会では、階級ごとに利用する店も定まっているため、今回のような数々の惨劇を目にすることすらなくなるかもしれませんね。
『この階層が利用する店では、魚をゴミ箱に捨てたり、唐揚げを床にこすりつけたり、おでんを口に出し入れしたりする行為が当然のようにある。だから安い。』という共通認識が出来上がって、そんな行為が珍しがられることも、一切咎められることもない社会です。
それが幸せなのか不幸なのかは分かりませんが・・・。