敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

[これからの教育]あえて子どもに「退屈」を与える「引き算」の子育て

 

 

就学前の子どもに文字や計算をあえて教えない子育てをしたら、小学校入学後から乾いたスポンジのように嬉々として文字や計算を覚えるようになりました。

 

子どもの中に「余白(余裕)」を作ってやれば、子どもは自らその余白を埋めようとします。もちろん、子どもの目の前で親が TV やネット、ゲームばかりに熱中していたら、子どもも TV やネット、ゲームで余白を埋めようとするでしょうけどね。

 

自分自身が余白いっぱいの子ども時代を過ごす中で、モノを作ったり、遊びを考えたり、本を読んで思索に耽ったり、友達と遠方まで冒険に出かけたり、「退屈」を自分自身の知恵と工夫で楽しく乗り越えてきた経験からも、子どもには絶対に「余白」が必要だと考えています。

引き算 子育て 教育

ただ今の時代、子どもの余白や退屈は、勉強にしろ娯楽にしろ、外からの力でものすごく受動的に埋められていきます。でも、それに慣れきってしまうと、大人になっても受動的・依存的な生き方しかできないと思うのです。

 

そうなって欲しくないので、我が家では、あえて子どもたちに「退屈」を与えるようにしています。正確に言えば、やる必要がないのに「やらなければ」と思い込んでいることをなるべく取り除いてあげて、「余白」を意識的に持てるようにしています。いわば、「引き算」の子育てです。

 

学校の勉強・宿題

学校の勉強 宿題

担任の先生にもよりますが、先生自身は良かれと思って、たくさんの宿題を出します。その結果、小学生のムスメSは勉強を楽しむどころか、「やっつけるもの」になってしまっています。これでは意味がありません。

 

そんな時は、なるべく簡単に終わるやり方(適当なサボり方)を提案してあげたり、宿題を一緒にやってあげたり、場合によっては、ボクが宿題を片付けてしまいます。

 

日ごろから子どもの得意・不得意を把握しておき、得意なことにわざわざ時間を使うことのないようにしてやります。マジメな子ほど、言われたことをすべてやろうとするので、そんな子には、自分にとって何が大事かを考えてもらう機会にもなると思います。

 

もちろん、得意な分野でも、ムスメS自身が「やりたい!」と言うのであれば、それについては本人の気が済むまでやってもらいます。得意なことをやるのって、それはそれで気持ちいいもんですからね。

 

同じように育てた中学生のムスメAは、勉強の取捨選択を上手くこなして、限られたリソースを不得意な教科・科目に集中投下できています。

 

2020 年からは、小学校で英語が教科化され、プログラミングが必修化されますので、学校の勉強はますます忙しくなっていきます。なので、何に時間を使い、何に時間を使わないかを決める親の役割が、今よりも重要になってくるんじゃないかと思います。

 

勉強は、言われてやるものではなく、自主的に「やりたい!」と思わせるのがコツです。

 

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習い事

子どもに聞いたところによると、ほぼ毎日、習い事に通っている(というか、通わされている)同級生が少なからずいるようです。

 

それぞれの家庭の事情があってのことですが、学校で大人から「受動的」に学ぶ上に、さらに習い事にたくさん通って「受動的」に学ぶ環境は、ボクならばイヤになって逃げ出しますね。自分で勝手に何かをやる「自由」が欲しいです。

 

我が子たちは、音楽と英語の教室だけ通っています。英語と言っても、文法や単語をひたすら覚える教室ではなく、日本語と英語で創作劇を作って披露するものです。どちらも、学校の勉強とは全然ちがいますし、子どもたちに全く強制もしていません。その習い事の1つの区切りとして、ムスメAは、北米に1カ月ホームステイしました。

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受験・受検

中学受験のため、小学校の低学年から進学塾に通い始める子が周りにいます。

 

人工知能(AI)などという得体の知れない脅威が身近に迫り、一億総中流を奇跡的に実現させたこの国でも徐々に格差が拡がっている昨今の状況から、「せめて我が子に・・・」という親の気持ちはすごく分かります。ボクもそうです。

 

でも、よくよく考えてみると、AI も格差も「受動的な人間」が大好物です。受動的な人間は、簡単に人の言いなりになって、そこに AI や格差の付け入る隙があるからです。

 

なので、子どもが受動的に受験することを決め、受動的に塾通いを始め、塾の先生に従って受動的に勉強するだけの環境は、とっても危険だと思います。

 

ちなみに我が家では、ムスメの希望もあって通信教育の「Z会」だけを高学年でやり、親子で「中学受検」という山登りをした結果、見事に不合格となりました。でも、合格/不合格の結果なんて、最初からどうでも良かったんです。能動的に勉強に打ち込み、自分の実力を知り、そして結果をしっかりと受け入れる、という経験は、カノジョの今後の人生で大いに力を発揮してくれるはずです。

 

通塾しなかったおかげで、十分に余白を確保しつつ、親子ともども良い経験ができました。

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娯楽

TV もネットもゲームも本(マンガ)も、ほどほどのお付き合いを心掛けています。ムスコNもゲーム大好きですが、いつも「ほどほどに」と声を掛けます。

 

依存性のあるものは、「最も依存に弱いタイプ」に基準を置く必要があります。つまり、「誰もが依存症になる可能性がある」という視点で接するのが基本です。そうしないと、弱者を守れないからです。

 

一方で、我が子に限らず、退屈になった瞬間にネットやゲームに子どもが飛びつく姿を見ると、とても怖くて残念な気持ちになります。

 

冒頭にも書いたように、人間、特に子どもの「余白」や「退屈」って、ものすごく大事だと思うのですが、今のように娯楽があふれ、誰でも簡単にアクセスできてしまうと、その大切な「余白」や「退屈」がいとも簡単に埋め尽くされてしまいます。

 

商業主義に乗っかってやってくる様々な娯楽に、自分の「余白」や「退屈」を奪われることほど残念なことはありません。「余白」や「退屈」を奪われるということは、自分の「自由」を奪われることです。

 

これに慣れてしまうと、インフルエンサーが提供する貧相な娯楽に自分の大切なお金や時間を奪われていることにも気付かなくなります。

※ もちろん、適度な娯楽は、精神衛生上も必要ですよ。

 

 

 

さいごに

こちらの書籍に書かれていることとも共通しますが、今の世の中は、勉強にしろ娯楽にしろ、商業主義に乗っかった色んなモノやサービスが大人にも子どもにも付着してくる「足し算」的な風潮がとても強く、世間的にもそれらを受け入れがちになっています。

 

勉強に関して言えば、学校にしろ塾にしろ、子どもに色んなものを「足し算」しておけば、大人はひとまず安心できます。大人の安心のために「足し算」を強制しているようなものです。娯楽に関して言えば、子どものみならず、大人も一緒になって依存している状況です。

 

そんな時代だからこそ、不要なものをなるべく子どもから引き剥がしてやる「引き算」の教育・子育てが今後ますます重要になりますし、「足し算」で育った子どもと「引き算」で育った子どもには、将来的に大きな差が生まれるだろうと思うのです。

 

 

 

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