年が明けて新年度が近づくと、毎年のように、「勉強が一番大切だろ?」という魔の思考停止フレーズに出会ってしまう。
今年は、我が家のムスメ&ムスコが通う日英創作劇教室の仲間の家庭において、父親から母親に向けて発せられた、とツマから漏れ伝わってきた。

その仲間ってのは、もうすぐ小学4年生になる少々太めのナイスガイ。
母親のススメで2年ほど前から教室に参戦し、本人はイケイケなのかイヤイヤなのか分からないけど、創作劇の発表に向けては日本語も英語もバッチリ決めて、数十~数百人規模の観衆が見守る中、本番を全員で乗り越えられた喜びを毎回感じているように見える。
母親がススメた理由は、英語を身に付けさせたいのが4分の1、少し気弱な面を舞台発表で鍛えさせたいのが4分の1、数々の物語の世界にいざなってやりたいのが4分の1、大学生から幼児まで縦長の環境でコミュニケーション力を養って欲しいのが4分の1。合計はもちろん、16分の4ではなく1。
オレはナイスガイのことをそんなに詳しくは知らないが、彼が小1の時の教室の合宿で、運悪く「大」を漏らしてしまった際に、両親が同伴しておらず、男子トイレに入れる成人男子がオレしかいなかったことから、ポストプロセスを一生懸命手伝ってあげた仲ではある。そのことを、ナイスガイの両親はたぶん知らない。彼のプライドを尊重し、あえて伝えていない。男同士の約束だ。
彼は、表面的には強さを前面に押し出しているが、その実とってもナイーブで、本当は心優しいナイスガイであろうとオレは感じている。たぶん間違いない。そういう「内優外漢」な人間が大好きなオレとしては、彼が大学卒業まで教室を続け、強さも優しさも前面に押し出す超ナイスガイになってくれたらいいのに、と心から思っている。
そう思っているのに、4年生から進学塾へ週2~3回通うことがほぼ決まり、その他の習い事もあるから、創作劇教室を続けるのはほぼ不可能な状態になる、とは聞いていた。
母親は自らススメた立場だし、教室がナイスガイの成長にぴったり合っていると思っているから、何とか続けさせたいと願っている。しかし残念ながら、月謝のスポンサーが父親である以上、父親の意向を無視するわけにはいかない。
その父親の発したひと言が・・・
「勉強が一番大切だろ?」
それが「魔の思考停止フレーズ」に聞こえてしまうのは、ナイスガイが父親と母親の DNA を半分ずつ授かり、この世に2つとない「ナイスガイ DNA」が組み込まれた身体に心を宿して生きていこうとしているのに、「勉強が一番大切」というたったその一言だけで、父親が歩んできた道とまったく同じ道を歩まされようとしている点が、この上なくもったいないと思えるからだ。
母親は家庭の事情もあって、父親の一言には反論を許されない。ナイスガイにも、選択権はない。創作劇と受験勉強を天秤にかけて比べられる程の知識も経験もないし、たとえ創作劇を続けたくとも、父親に反発するには体力的にも論理思考能力的にもまだ幼すぎる。したがって、この流れが覆ることは、ほぼ 100%ない。
創作劇を続けるか、受験勉強に突入するか、その2択で人生は大きく変わるだろうけど、どちらの道に進めばナイスガイの人生が明るくハッピーなものになるかなど、誰にも知りようがない。だから、父親は自分の人生を一応「正解」と見なして、その仮の正解へと息子を導こうとしている。それはそれで、愛ある選択のような気もする。
けれど、自分の一存だけに依っているところは、やっぱり思考停止感が半端ない。母親の声を聴いてやれば良いじゃないか。息子の希望を訊いてやれば良いじゃないか。その上で、頭が沸騰するほどに、心が捩れるほどに、身体が硬直するほどに逡巡し、葛藤し、苦悶し、そうやって苦悩することで、息子の未来がどう転んでも「正解」となる心の準備を一緒にしてやっても良いじゃないか、などと思う。
今年もまた一人、こうやって受験の荒波に早々と飲み込まれていく。
「ヒトは何のためにベンキョウするのか?」などと大それたタイトルを冠してしまったが、残念ながら、その答えなど知らない。答えを求めてここまで読んでくれた You には申し訳ない。
「梅干しのおにぎり🍙を2分の1個と、悪魔のおにぎり🍙を2分の1個あげる」と言われて「それでは、4分の2個分じゃないか!」と憤る人物に正しい答えを教えてあげられるようになることが勉強の目的とも思えない(分数は大事)。
少なくとも、それは父親のためではなく、母親のためでもなく、友だちのためでもなく、自分以外の如何なる他人のためでもなく、社会のためでもなく、日本のためでもなく、アジアのためでもなく、地球のためでもなく、太陽のためでもなく、宇宙のためでもなく、あくまでもスタートラインは自分のためであり、自分が好きだから勉強に向き合うんだろう。そういうものであって欲しい、という願望だ。
何のために勉強を「する」のかは分からないが、何のために勉強を「しない」のかは、ある程度はっきりしているような気がする。
ナイスガイの進む道がたとえ、父親の敷いたレールであったとしても、そのレールの上を走りながら、せめて「このレールは自分が敷いたんだ」と思い込めるぐらい、心からその冷たいレールが好きになってくれることを、心から願う。
あまりにも冷たすぎて走るのがつらくなったら、また戻ってきて欲しいな。「大」のポストプロセスを一緒に進めた男同士の約束だ。