「寝ずジロー、4歳になったよ。」
「ボク、7歳になったんだ。」
「オレ、13 歳になったぜ。」
「ワタクシ、22 歳になりました。」
幸か不幸か、日本語には、一人称代名詞が豊富に存在する。
男性であれば、「僕」「俺」「わし」「おいら」「おら」「ぼくちん」「某(それがし)」「拙者(せっしゃ)」など。
女性であれば「あたし」「あたい」「あたくし」「うち」「妾(わらわ)」など。
両性的な呼称であれば、「私」「自分」「ミー」「当方」「小職」「小生」など。
検索頼みのこのブログでも、記事の内容や性質に合わせて「ボク」「オレ」「私」「筆者」あたりを敢えて使い分けている。
乳児~幼児のころは、親や周りの人間が「寝ずジロー」と呼ぶのに合わせて、自分のことを客観的に「寝ずジロー」と呼ぶ。
やがて自我が芽生え、保育園や幼稚園で集団生活を始めると、他者とは異なる「自分」を強く意識するようになり、1人また1人と呼称が「ボク」「ワタシ」などへと変化していく。
大人になってから随分と時間の経った筆者が自分のことを「寝ずジロー」と呼ぶことはさすがに無いが、プライベートでは「オレ」、仕事では「私」、学生時代の先輩と話す際などは「ボク」と、自然に使い分けている。
自分のことを「寝ずジロー」と呼んでいた頃の記憶はほぼないし、いつから「ボク」と呼ぶようになったのかもはっきりしないが、「オレ」に変えようと意識したことは何となく記憶に残っている。
そして昨日、新聞の読者投書欄で、若者のこんな投稿を見つけた。
かなり深刻そうな投稿者ご本人には申し訳ないが、思わず吹き出してしまった。
「中学生は『オレ』と言いまくっているだろう」という予想は外れていないと思うが、作文で「オレ」と書くのは、誰か周りの人が止めてあげて欲しい。
でもそれぐらい、本人の悩みは切実なんだろう。大人になってしまえば些細なことも、思春期には、とてつもなく大きな問題として本人の前に立ちはだかる。
中学生のムスメAに聞いてみたところ、男子はほとんどが「オレ」と呼ぶらしい。
一方、女子は7割方、自分の名前を一人称にしているらしい。確かに、昔を思い出しても、女子は自分の名前で呼んでいた子が少なからずいたように思う。
一人称というのは、自我の形成云々よりも、周囲の影響を大きく受けて変化するものだろうから、時代や環境により使い方も異なって当然だ。テレビやネットの影響も大きいだろう。
6歳のムスコNは、すでに1年ほど前から「オレ」になっているから、投稿者のような悩みを抱えたり壁にぶつかったりすることはないんだろう。
「寝ずジロー」自身は、たぶん 10 歳前後に周りの影響を受けて「ボク」から「オレ」に変えたと思うが、投稿者ほどではないにしても、躊躇いや戸惑い、恥じらいなんかを感じていたと思う。はっきりとは覚えていないけど。
寝ずジローの場合は、友達に対してというよりも、親に対して話す時の方が、「オレ」と言い換えるのに恥ずかしかった記憶がある。

「ボク」と呼ぶ間は、何となく親に守られた安心感をキープしておきたい気持ちが先行しているのだが、それを「オレ」に変えるということは、「俺のことはもう放っておいてくれ。親の助けは要らない。自分でやっていく。」と宣言するようなもので、そうやって旅立つことへの怖れ(実際には、まだまだ親の世話になるんだけど)、不安、希望、親への申し訳なさ、などの様々な感情が綯交ぜになる。
「寝ずジロー」が「ボク」に変わる瞬間や、「オレ」と「私」を併用し始める時期なんかよりも、「ボク」が「オレ」に変わる瞬間というのは、かなり鮮烈な記憶となる。そして、ムスコNのように早々と「オレ」になった場合は、「ボク」を「オレ」に変える際の葛藤など感じられないだろうから、少し残念な気もする。
投稿者のように 11 歳になっても、周りの影響を受けずに自分の名前を一人称として使っているのは、素晴らしい個性だと思う。家庭の状況などは知る由もないが、親から格別の愛情や安心感をもらっているのではないだろうか。
それを「オレ」に変えようとして、わざわざ新聞に投稿までして決意表明している本人の熱意や覚悟に感心して敬意を表するとともに、作文で「オレ」と書くことだけは、誰かが何とかして阻止してくれることをただ願うばかりだ。
大人になれば、否応なく「私」と言わざるを得ない場面に出くわす可能性が高いけど、苦労して獲得した「オレ」を一生使い続ける道だってあるさ。