敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

セクハラ次官と出会い系知事の件をプラトンの『国家』で無理やり考えた

 

 

2日前の木曜日、朝、いつも通り新聞を広げてみると、その1面は、セクハラ次官と出会い系買春知事の記事で埋め尽くされていた。

 

全国紙1面を飾る「セクハラ」と「出会い系」

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過去、全国紙の1面がすべて「女性問題」で埋め尽くされていたことがあるのかないのかは記憶がはっきりしないものの、親の真似をして新聞に目を通す小中学生の子どもたちに「セクハラ」と「出会い系」を説明するのが割りと困難なことははっきりした。

 

新聞社の大きな収益源と考えられる週刊誌の広告で、「死ぬまで×××」や「ついに×××が脱いだ!」といった割りと過激な表現をよく目にするが、このような広告に関して子どもたちから質問を受けるのと同じぐらい、木曜日の1面は困った。

※ 「子ども新聞」へと誘導するためにも、これらの広告は外せないのでしょう。たぶん。

 

ただの女性問題なら、時代を問わず、政治の世界以外にも普通にあり、この世に男女が対で存在し続ける限りはなくならないので、それはそれで1つの社会勉強になって良いのだが、今回は、セクハラ発言の内容や利用された出会い系サイトがあまりにも「庶民的」すぎる。毒を抜きながら子供たちに解説しつつ、「こんなの、我々庶民がやるべきことだろ!」というおかしなツッコミが心の中にこだました。

 

庶民となって新聞に名を残す

片や、森友学園問題で渦中の省庁の事務方トップ。

片や、原発の再稼働問題を抱える県のトップ。

 

上手く立ち回れば時代に名を残せたかもしれない立場の御仁方々が、庶民的な飲み会での一幕を想起させるセクハラ発言を繰り返していたり、庶民的にハッピーな出会いを求め続けていたりする様は、コントラストが強すぎて見ていられないし、何となく物悲しくもある。

 

反面、「国家」のために尽力して伝記や映画などになっている過去多くの官僚や知事などと自然に比較してしまい(美化されている面も大いにあろうが)、今回の御仁方々のあまりにも庶民的な姿に憤りを覚えたり、恥ずかしさを覚えたり、安心感を覚えたり、いくつもの感情が交差して心が落ち着かない。

 

ただ、いろんな意味で世間を賑わしてくれたお二人だが、すでに「前次官」「前知事」という肩書になることが決まり、最近の「人の噂も三日」的な風潮の中、この週末の時間の流れの中でそれぞれの出来事も忘れ去られてしまうんだろう。提訴云々という話もあったが、そんな自分自身の首を絞めるようなこともしないんだろう。

 

週が明ければ「残酷な」世間は、もう次の話題を求めて突っ走っていることだろうが、木曜日に全国紙の1面を飾ったニュースがいとも簡単に忘れ去られてしまうのももったいないので、古代ギリシャの哲学者・プラトンの著作『国家』に無理やり当てはめて考えてみた。

 

プラトンの『国家』

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『国家』の中では、5種類の国制とその移り変わりが述べられており、理想的な政治体制がやがて「独裁」という最悪な体制に陥ってしまうパターンが時代を超えて適用可能と考えられる点があまりにも有名だ。その5種類とは、「優秀者支配制」→「名誉支配制」→「寡頭制」→「民主制」→「僭主独裁制」という変遷である。ごく簡単におさらいしてみると・・・

 

優秀者支配制

哲学者によって統治された理想的な国家である。ただし、何らかの秩序の乱れでほころびが生じ始める。日本に当てはめるなら、「明治~大正」あたりだろうか。

 

名誉支配制

さまざまな種族が混じり合って敵意が生じるため、知恵よりも戦う資質が重宝される。軍人的な名誉が重んじられ、軍人が支配層となるため、平和な体制の象徴である言論・哲学・音楽・文芸などは衰退する。日本に当てはめるなら、「大正~太平洋戦争」あたりだろうか。

 

寡頭制

軍人的な名誉も戦争の終結とともにやがて腐敗し、今度は金銭に対する強い欲望が生じて、人々は金儲けに邁進する。徳や知恵のある人ではなく、富や財産のある人が尊敬され、財産家が支配層となる。日本に当てはめるなら、戦後復興した後の「バブル~失われた 20 年」あたりだろうか。

 

民主制

金儲けのことしか考えない支配層に対して貧しい者たちが内乱を起こした結果として、多彩な人々に一種の平等が与えられる体制。最も美しい国制とも考えられる。ただし、この体制下では人々の魂が敏感になっていくため、わずかな意見の違いが対立へと発展したり、同じ考えの人間だけで集まるようになったり、ある種の分断が生じる。日本に当てはめるなら、「民主党政権~現在」あたりだろうか。

 

僭主独裁制

民主制で生じた分断の隙間に、僭主と呼ばれる民衆指導者が入り込み、民衆を巧みにだまして権力を奪取する。国民は独裁者に隷属させられ、その独裁者も国民に媚びへつらい、国家全体が金縛りにあったような状態と言える。日本に当てはめるなら・・・

 

民主制における「セクハラ」「出会い系」の意味

さて、日本の今の国制を「民主制」と考えるなら、その中で起こった今回の「セクハラ」「出会い系買春」には何か意味があるのだろうか?

 

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さすがに「セクハラ」や「出会い系」そのものに「国制」を考えるほどの意味を見出すのは難しいが、これらに対する反応の仕方には、何か教訓めいたものを見つけられそうな気がする。

 

たとえば、知事が会見でほぼ事実と認めている「出会い系買春」案件は別として、少なくともセクハラ案件は未だ証拠も不十分な「疑惑」に過ぎないのに、世間的にはすでに「事実」と受け止められている節がある。いくらテレビ局の社員が名乗り出ようとも、当の前次官は多くの点を否定しており、事実はほとんど解明されていない。一般的な事件でも同じだが、往生際が悪く見えることを「有罪」と決めつけるのはかなり危ない。

 

我々は、週刊誌や新聞やネットの記事に頼るしかないのだが、先の全国紙のように、ほぼ事実の出会い系案件と一緒にセクハラ案件も1面を飾ってしまっていては、依然「疑惑」に過ぎないことが「事実」と受け止められても仕方がない。

 

このまま週が明けて何事もなかったかのような日常がスタートすると、「前次官=セクハラオヤジ」という性急な事実(誤)認定だけが頭に残ってしまう。各メディアに悪気はないのだろうが、一週刊誌に端を発した一連の報道だけで「疑惑」が「事実」と受け止められ、そのまま他の情報と一緒に簡単に捨て去られてしまうのはスゴく怖い。別に、前次官の肩を持つ気は全然ないんだけど、「疑惑」が「事実」となって流布されることも一種の「フェイク」だと思えてしまう。

 

「前次官=セクハラオヤジ」という一方的な見方だけが広まると、ただでさえ分断されがちな役人(官僚)と市民との間の溝がさらに大きくなる懸念がある。そのような分断や溝が国家や国民の利益になることは、おそらく一切ない。

 

さいごに

今回の件で、「セクハラ」や「政治・官僚」に対する我々の魂は、また少し敏感になった。過去記事『【〇〇ハラスメント 56 種】職場でのパワハラ・セクハラ発言には要注意』にも書いたけど、足の置き場がどんどん狭くなって、立場や考え方の違う他人と共有できる部分がますます小さくなっていくような気がする。そうやって知らず知らずのうちに、「民主制」から「僭主独裁制」への流れに乗せられているような気もする。

 

可能性はすごく低いんだろうけど、仮に前次官の疑いが晴れるような事実が明らかとなった暁には、2日前の木曜日と同じように、その晴れた事実を1面でデカデカと報道してほしい。我々が欲しいのは、いつも真実だけだからね。

 

 

 

 

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