モバイル決済サービス「PayPay」の「100億円あげちゃうキャンペーン」が、12月4日の開始からわずか 10 日で還元総額 100 億円に達し、あえなく終了となりました。
こちら(↓)の記事では、「20 日~数カ月続く」可能性の予測もありましたが、ふたを開けてみると、PayPay 社側にとっても予想外の大きな反響があったということなんでしょう。
世間では、「PayPay 祭り」の終了を惜しんで「PayPay ロス」の声も上がっていますね。
「PayPay」100 億円キャンペーン
仕事の関係で、数年先を見越した開発案件の話をすることが多く、このようなモバイル決済やキャッシュレスの動向も数年前から気にはなっていたのですが、Line Pay など他社も含めた顧客の囲い込み合戦がかなり熱くなっており、思った以上に展開が早くなっている印象です。
個人的には、今回の「100億円あげちゃうキャンペーン」で十分に顧客を囲い込めたとは思えず、形は違えど、第2弾、第3弾もあるんじゃないかと感じています。
それにしても、「祭り」疑惑の渦中のお祭り男タレントさんが PayPay 祭りのキャンペーンキャラクタとして起用されたのは、何のギャグかと思いました。当然、疑惑発覚の前に決まっていたことなんでしょうけど・・・。
「PayPay」はお祭り・ゲーム
今回のキャンペーンの目的は、もちろん「顧客の囲い込み」なんですが、結果的に「民間による富の再配分だ!」という声も聞かれて、なかなか面白い現象だと思います。
実際には、富の再配分などではなく、ソフトバンクやヤフーのユーザが支払った料金などを原資とする、単なる「早い者勝ち」祭り・ゲームなんですけどね。
同じようなものに、2019 年春から返礼品や返礼割合が厳格化される「ふるさと納税」がありますね。こちらは、「知ってる者勝ち + 早い者勝ち」のゲームですが、さらに「富裕層減税」の要素もあります。
どっちもどっちのような気もしますが、いずれにしろ、経済効果の是非はさておき、たくさんの国民が参加して楽しめるお祭り・ゲームであることに違いはありません。
インフルエンサーのお祭り・ゲーム
少し視点を変えて、ふるさと納税や PayPay のキャンペーンは、大きな組織が展開するお祭りですが、世の中では、インフルエンサーが展開する小さなお祭りも活況を呈しつつあります。
宇宙が似合うインフルエンサーや絵本が似合うインフルエンサー、仮想通貨が似合うインフルエンサーなどなど、その頭脳や行動力も含めて、ほぼほぼ運でしかない自らの体験を「誰でもできる!」と声高に叫ぶお祭りです。いやいや、そう簡単に真似なんてできませんよ。
祭りの正体は「お金」
共通するのは、みんなが大好きな「お金」を媒体にしていること。組織や個人が展開するお祭りに参加すれば「こんなにお得だぜ!」と持ち掛けてくる点です。
でも、祭りを仕掛ける側は実のところ、目先のお金にはあまり興味がなく、そうやって人々をたぶらかす「ゲーム」を楽しんでいるだけなんですよね。

エリート組織やインフルエンサーが思い描いた戦略がピタリとはまり、人々が予想通りの行動をとった結果、その組織や個人が顧客・ファンを囲い込める、といった一連の流れをゲームとして楽しんでいるわけです。
でも、それは非難することでもありません。そもそも、資本主義自体がゲームだからです。
高度成長期のころは、「便利の追求」がイノベーションの主たる源泉でしたから、資本主義の「ゲームらしさ」はそれほど目につきませんでしたが、社会から「不便」がほぼなくなると、「娯楽の追求」がイノベーションの源泉となるため、その結果として、今のように「ゲームらしさ」が目立ってきています。
そのゲームは、「お金」を媒体にすることで最も楽しめます。というより、「お金」を媒体にすることぐらいしか楽しむ方法がないのかもしれません。
結局、ボクら庶民の得にはならない
ただの祭りやゲームならば、それを楽しめばいいんですけど、エリート組織やインフルエンサーが展開する祭りやゲームには、必ずお金が絡んでいることを忘れてはいけません。

今回の PayPay キャンペーンに関して言えば、還元を受けられる目先の「お得」は確かにありますが、よくよく考えてみると、本当に必要かどうかも分からない商品・サービスにお金を出していたり、購買履歴などの個人情報を吸い取られていたり、結局はそういう仕組みを経て、富裕層にお金・情報がどんどん集まります。
特に情報を握られた個人なんて、とっても弱い生き物です。
GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)その他の大資本による支配を脅威と感じながらも、そういった組織が展開する大々的なお祭り・ゲームの「お金」の輝きに魅せられて、気が付いたら祭りに参加してお金や情報を吸い取られています。
「楽しけりゃいいじゃん!」で済む問題ではなく、長い目で見ると損をすることになるかもしれませんし、ボクら庶民1人ひとりの行動が結局は経済的な格差を生み出しているのに、それに対して「格差反対!」と声高に叫ぶおかしな状況となりつつあります。
祭りの主役はあくまでも「自分」
昔ながらの神事・祭りは、見えない「神様」を崇めるも、主役は自分たちです。主役である自分たちが踊り狂って楽しむ様子を神様に見てもらうようなものです。その神様は、お金など要求しません。
一方、現代の資本主義的祭りでは、祭りを仕掛けるエリート層やインフルエンサーたちが自らを勝手に「神」と考えます。この神様は、ボクら庶民に主役のフリをさせて、神様の思惑通りに踊り狂う様子を見て楽しみます。そして、本当は大して興味はないけれど、お金を要求します。お金を回さないと、祭りを継続できないからです。
つかみどころのない消費者になりたい
ボクら庶民の今の消費の仕方は、エリート層にとって分かりやす過ぎるんじゃないでしょうかね。彼/彼女らは、人工知能(AI)技術なども駆使しますので、消費動向の把握精度が日進月歩で向上していきます。
ボクら庶民は、もっとエリート層や AI にとってつかみどころのない消費者にならないとダメでしょう。そうしないと、いろんなものを搾り取られるばかりです。
さいごに
そういえば、10 年ほど前に ETC 祭りなんかもありましたけど、ボクはまだ参加していないです。仕事では割りと最先端のものを扱っているのに、実生活ではほとんど使いません。ツマには、ヘンな人間としか思われていません。
そのうち、テクノロジの進歩に置いてけぼりを食らうんでしょうね。そうなったら、魚釣りや畑仕事を楽しみながら生きていきます。あー待ち遠しい。