職場や学校、家庭でのパワハラがなかなか無くなりません。強い者から弱い者へ暴力や暴言を浴びせるのは簡単ですが、簡単で単純なやり方など、全然カッコよくありません。
たぶんパワハラってやつは、立場や世代を超えてグルグルと回り続けます。上司 ⇒ 部下 ⇒ パートナー ⇒ 子ども ⇒(成長して)上司 ⇒ 部下 ⇒ パートナー ⇒ 子ども ⇒(成長して)上司・・・と、抑圧が下へ下へと向かうループの中にあなたは組み込まれていませんか?
このループを断つには、部下や子どもへの接し方が重要になってくると思います。法律や制度でパワハラを撲滅することも短期的には必要ですが、長期的には、他者(弱者)への接し方を地道に変えていくしかないと思う今日この頃です。
そのように考えていたある日、丁度よい本に出会いました。その極意を一言で表すなら、「部下や子どもは押さずに引く!」って感じでしょうかね。

人を叱るときの心得4つ
元ラグビー日本代表の故・平尾誠二さんと iPS細胞の研究でノーベル賞を受けた山中伸弥さんとの友情を記したノンフィクションです。ボクら庶民が到底及ばない巨星たちの友情を、文字だけとはいえ共有できることに喜びを感じます。
この中に「人を叱るときの心得」が4つ書かれています。本編のごく一部に過ぎない記述ですが、ちょうど子育てで悩んでいた時期に読んだので、とても印象に残っています。以下では子育てに当てはめて筆を進めますが、子育てに限らず、職場や学校など、すべての場面に当てはまる方法だと思います。
人格を責めない
子どもが悪さをした場合、叱る対象はあくまでも「悪さ」であって、その子どもの人格ではありません。「君の行動は悪いが、人格は決して否定しない」という強いメッセージを相手に与えます。そうしなければ、信頼関係など結べません。
間違っても、「お前が悪い」「お前など要らない」などと人格そのものを責めているように受け取られかねない表現で叱ってはいけません。
フォローを忘れない
何も知らない子どもに対して、最初はやんわりと注意します。それで行動を正してくれれば良いのですが、そう簡単には済まないことの方が多いですよね。
その場合は、少しきつめに叱らないと仕方ありません。叱るべきことを放っておいて困るのは、そのまま成長してしまう子ども自身です。叱る基準も難しいですが、ある程度は親の価値観に引っ張られることも致し方ないと思います。
ただし、大切なのは、その後のフォローです。叱るときは多少なりとも感情的になってしまっているでしょうが、その後は冷静さを取り戻して、普段通り接することです。そうしないと、子どもは人格まで否定された気になってしまいます。

他人と比較しない
子育ての基本ですね。
この世に1人として同じ人間はいないのに、それを他人と比較する意味などありません。他人と比較することは、人格を責めるのと同じです。
長時間は叱らない
これも子育てではよく言われます。
何度も何度も叱っていると、「またか」という気持ちが先行して、ダラダラ・グチグチとお説教モードになってしまうこと、ありますよね。
でも、そのように長時間にわたって叱ることが、結局は子どもの問題行動の繰り返しにつながっていることに早く気付くべきです。
子どもは叱られ過ぎると、叱られることを自分の存在意義と感じてしまい、その存在意義を確認するために悪さを繰り返すようになります。
悪さだけをサクッと叱ってサクッと日常に戻る。これが基本です。
部下や子どもは押さずに引く
以上4つの心得は、「子ども」を「部下」に置き換えても当てはまりますが、これらはまさに、「コーチング」に通じるものがあります。

たとえば、子どもの人格を責めたり、他人と比較したり、長時間叱ったり、というやり方は、子どもの気持ちを無視した大人の自己満足的な叱り方でしかありません。ひたすら一方的で、考えや価値観を「押す」イメージです。
一方の「コーチング」は、コーチングする側(親)からの「問い掛け」とコーチングを受ける側(子)からの「回答」で成り立つ双方向なものです。考えや価値観をひたすら押し付けるのではなく、自分の間違いに自分自身で気付いてもらい、それに基づいて自発的な行動を促す仕組みです。
コーチングは、上のような「押す」イメージとは正反対に、相手の気付きや行動を引き出す「引く」イメージです。ですので、コーチングの素養があれば、パワハラに頼ることがどれだけ馬鹿げたことか、すぐに分かるはずです。
叱る理由を明確にする
以上のように、コーチングの考えをベースとして部下や子どもに接するようになれば、パワハラの連鎖は少しずつ弱まっていくんじゃないかと希望を持っているのですが、上に書いた4つの心得に、もう1つ加えておきたいのが、「叱る理由を明確にする」ということです。
大人であれ子どもであれ、叱られて嬉しい人などいません。でも、そこにちゃんとした理由があれば、気持ちが救われます。「危ないから」「人を傷つけるから」「人に迷惑が掛かるから」といった具体的な理由があれば、「人格」ではなく「行動」を注意されていることが分かります。
いくら叱るにしても、それは愛情や信頼関係あってのことであり、それを伝えるには、叱る理由を明確にしておく必要があります。
受験もパワハラ
話はちょっと変わりますが、 ムスコの友達が親に無理やり受験勉強をやらされようとしていて、「これもパワハラみたいなもんだなぁ」と感じています。
自分の成功体験や後悔の念などから、子どもの意志や素質、得意分野を十分に確認することなく、闇雲に受験戦争へと放り込むのはどうなんでしょうね。変化が激しく難しい時代なので、ちょっとでも早く「年収 1,000万」を確定できそうな切符を購入しておきたい気持ちは分かりますが、二度とない自由な子ども時代や青春時代を勉強だけに無理やり費やさせるのは、立派なパワハラに思えて仕方ありません。
子どもの本当の気持ちや賦性はどこにあるのか、コーチングの考えに基づいて、とことん気付きや行動を引き出してあげたいところです。
パワハラなんて消えて無くなれ
もう、パワハラなんて要らないですよね。
強者から弱者への暴力・暴言の連鎖を食い止めるには、これから育っていく人たち(部下や子ども)に非パワハラ的な叱り方や他者との接し方を伝授していくのが、長い目で見て一番効果があるんじゃないかと思います。
色んなところで分断が進むこの時代に、愛情を持って相手の気持ちに寄り添うことほど、複雑で難しくて、チャレンジしがいのあることってないですよね。
・・・と、体育会系の血生臭い現場を幾度となく通ってきた経験から思います。