「ノマド」って、いつから流行り始めたんだったかな。ちょっと時代を遡ってみます。
世間では、安藤さんや立花さんがウェブや書籍で注目され始めた 2011~2012 年ごろから特に、「ノマド」というキーワードが熱くなり始めたように記憶しています。
「ノマド」の歴史
ボク自身は、こちら(↓)の本を読んでから「ノマド」って言葉を割りと意識するようになったと思うので、2009 年です。
この本が出版されたときは、そこそこの驚きと憧れと羨みの声が上がっていたような気がします(今では、レビューもそれなりの評価ですが・・・)。
確か、2004 年ごろに IEEE802.11 が当時の ADSL と同じぐらいの回線速度になり、各事業者がこぞって無線 LAN の実証実験に乗り出していきましたね。
そして、2000 年代後半には、新幹線などの車内に導入されたり、スタバを始めとする「ドヤラー」系ご用達の店舗に導入されたりして、上の本が出版された翌 2010 年を境に、Wi-Fi が急速に普及していきました。
その Wi-Fi の普及と前後して「ノマド」も拡がっていったので、かれこれ 10 年近くの歴史を築いてきたことになります(米国なんかは、+5~10 年てところでしょうか)。
「ノマドワーク」とは
今さらですが、「ノマド(nomad)」とは、「遊牧民」を意味する英語です。「遊牧民」とは、食料や牧草などを求めて季節ごとに移動し、定住地を持たない集団のことです。
ここから派生して、特定の場所や職業にとらわれず、遊牧民のように絶えず移動しながら働いたり生活したりする様が「ノマドワーク」と呼ばれるようになりました。
場所にとらわれずに済むのは、無線 LAN の普及により、パソコンやタブレットさえ持ち運べば、世界中のどこにいてもネットに接続して仕事をできるようになったからです(もちろん、パソコンやタブレットで完結する仕事が中心になります)。
「ノマドワーク」に対する羨望
それまでは(というか今でも)、 満員電車に揺られて毎日同じ職場に出向き、1つの会社で1種類の名刺を持って働くのが普通ですから、「ノマド」というあまりにも自由過ぎる生き方に、多くの人が「おぉっ!」となりました。
なぜか、カテゴリが微妙(?)に違う「移住」も一緒になって、グレートジャーニーを終えたはずの人類に再び「旅」という希望の光が差し始めたのです。「どこか遠くへ行きたい症候群」とも言います。
特に男性がサラリーマンとして月給をもらうようになった大正時代以降、会社というハコモノに押し込められてきたことへの反動がそこにあったのかもしれません。
「ノマドワーカー」の特徴
このように誕生した「ノマドワーカー」ですが、ネットという命綱でもって複数の場所や仕事に紐付けられる特徴から、その職種は、ライター、ブロガー、Youtuber、プログラマ、芸術家など、パソコンやタブレットでとりあえず完結する仕事が中心です。
あと、「ノマドワーカー」というのは、職種や仕事内容そのものよりも、その遊牧的生き方が「売り」になる場合の方が多いため、実名顔出しが中心になっています。
というか、実名顔出しだからこそ注目を集め、メディアへの登場回数も増えるため、ボクらのような一般人との接点も増えて知名度が高くなるのでしょうね。
「ノマドワーカー」が流行る前の遊牧民
「ノマド」と聞けば、とても新しい生き方のように感じるのですが、たとえば「トラベルライター」のように、日本や世界を旅し、旅先から原稿を郵送して生計を立てている人は昔からいましたので、そう考えると、「ノマド」が取り立てて珍しいわけでもありません。
ネット環境が整って、猛者じゃなくても比較的簡単に遊牧できるようになった、というだけのことです(もちろん、それで食べていくだけの知恵や戦略は必要です)。
前の会社では、やれ試験だの納入だのと忙しくあちこちを飛び回っており、ある出張先からレポートを送ったら、そのまま次の出張先へ、ということが多々あったので、ボク自身も今から振り返ると「ノマド」みたいなもんでした(自由度はかなり低いけど)。
「遊牧」が流行る前にノマド化
そんな会社を去ったのは、日本で「ノマド」が流行る何年も前のことでした。
会社を辞めた後は、フリーランスです。
まだ無線 LAN や Wi-Fi の設備がそれほど整っていない環境の中、でっかいノートパソコンを抱えてあちらこちらを駆けずり回り、たまに作業するカフェにも無線 LAN なんてないから、ネットにつながなくても出来る作業をちょいちょいと。客先や取引先で「有線」を借りてメールやデータを送ってみたり。
わずか十数年前のことなのに、隔世の感があります。
「遊牧」から「放牧」へ
「無線」でないことの方が多かったけれど、我ながらとっても「ノマド」的で、それこそ地球上の何処にいてもできる仕事も多々ありました。
そんな「遊牧」に終止符を打ったのも、日本で「ノマド」が流行る何年か前のことです。
家族ができ、ノマドの「空間的自由」にあまり意味を感じなくなったからです。単純に「定位置が欲しいな」と思ったのは、結局それが自分の性に合っていたからなんだと思います。
そして、「遊牧」のあとは「放牧」です。
「遊牧」は定住しませんが、「放牧」は定住して、馬・牛などの家畜を育てたり売ったりして生計を立てるイメージです。
組織に属したり属さなかったりしながら、働く場所と住む場所を定め、リサーチやプランニングした仕事に稼いでもらったり、投資などでお金に稼いでもらったり。子どもたちが大きくなったら、彼/彼女らに稼いでもらったり!(と言っても、お金じゃなくて、次世代の情報をもたらしてくれることを楽しみにしています)。
地域の自治会、PTA 活動、お祭り、運動会などにガッツリと参加する中で、表層をなぞるだけでは気付かない、さまざまな深い価値観に出会って、時々翻弄されています。そこには、想像を絶する魑魅魍魎もいれば、奇々怪々な慣習もあれば、意味不明の価値観もあります。そういったものを内面化しつつ、すっかり定住しちゃってます。
あとがき
せっかく早い段階で「ノマド」を体験していたのに、 「ノマド」ブームが来た頃には「放牧」に移ってしまっていて、まったく波に乗れていません。時代の空気を読む先見の明がまったくないってことですね。
なお、実名顔出しのノマドワーカーさんを心から尊敬しますが、多少なりとも自分の人生を切り売りすることに抵抗がある「ノマド志望者」も、少なからずいると思います。
そういう方は、誰にも負けない技術や技能を1つ身に付けたり、掛け算すれば誰にも負けなさそうな技術や技能を複数身に付けたりすると、それらが自分の「名前」や「顔」になってくれます。
日なたに光を当てても何も見えませんが、日かげに光を当ててみれば、色んなものが見えてくると思いますよ。