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塾なし中学受験【完結編】ついに登頂を果たした「受験」という名の登山

 

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さてさて、塾なしで偏差値60超の公立中高一貫校に挑戦する小6のムスメSの学習スケジュールや勉強の様子、学校や模試の成績などを、受験当日まで実況中継しているわけですが、今回は、受験を明日に控えての「完結編」です。

 

2020年1月18日(土)

ついに、この日がやってきました。いよいよ明日、ムスメSが受検本番を迎えます。

 

時に喜び、時に落ち込み、時に達成感を、時に挫折を味わいながら、この2年間、本格的な勉強に入ってからは5ヵ月間、手探り状態で受検の「けもの道」を突き進んできましたが、その薄暗がりの中の疾走も、明日でついに終焉となるのです。

 

親子ともども、苦しく厳しい時間もありましたが、親のボクとしては、「受検」という少し高い目標を掲げ、それに向けてムスメSとともに試行錯誤しながら進んでいける喜びは、何事にも代えがたい貴重な経験となりました。

 

思春期を迎えると、親子(特に、父娘)のベクトルは徐々に逸れていくものだと思いますが、「受検」という共通の目標を設定できたことで、ベクトルは常に同じ方向を指し続け、ムスメSはボクを大いに利用し、ボク自身は、ムスメSの傍らで彼女の成長の現場にしっかりと立ち会うことができました。

 

明日の本番が残っているとはいえ、ボクの中での「受検」という登山は、自信を持って本番に臨める状態となった今日この時点で、間違いなく「成功」を収めています。

 

あとは、山頂からの眺め(試験本番)を存分に楽しみ、運が良ければご来光(合格)に立ち会えるってことです。だから、登頂の日付は、受検前日の今日ということになります。

 

ラスト10日間の振り返り

 ちょうど一週間前(1/11 土曜日)、ムスメSはツマとともに、受検当日の朝に乗るのと同じ時刻の電車に乗って、受検する中学まで散歩してきました。冬場の早朝の凛とした空気の中、親子で他愛のない会話をしながら歩く時間は、一週間後の自分を想像できる良い機会となりました(交通事情もチェック!)。これで、ムスメSのスイッチがまた1つ入りました。

 

翌日、模試形式のテストを、本番とまったく同じ時間割で行いました。本番で問題を解いていく感覚を改めて思い出し、それを身体に浸み込ませる作業です。なので、点数は気にしません。点数よりも、出来なかった問題を一緒に確認して、「今、この問題に出会っておいて良かったねー」とか何とか言いながら、すべてを自分の血肉に換えていきます。

 

その後の平日は、1~1.5 時間を目安に、一問一答式のプリント(これまでによく間違えた算数、理科、社会の問題をコピーして取っておいたもの)を解いていきました。また、10~15分ほど掛けて、毎日少しずつ面接の練習も積み重ねました。見慣れない質問を投げかけられると、考え込んでしまう場面もありますが、小学生なんだから当たり前です。スラスラと淀みなく答えられるのもいいけど、一生懸命に考え、言葉を絞り出していることが相手に伝われば、それで十分だよ、とアドバイスしました。

 

昨日は、去年の過去問を親子でじっくりと眺めました(「解く」というよりは、「こんな問題が出たんだよねぇ、フムフム」というように、傾向を振り返りました)。その中で、問題を解く順番や、少しでも点数を上積みする方法(「選択問題には必ず答える」、「難しすぎる問題を深追いしない」etc.)を確認しました。

 

本番前日の今日は、弱点や注意点をまとめた自分だけのノートを繰って、これまでに書き溜めた内容を1つ1つ咀嚼するように確認していくだけです。今日は、自ら宣言して、いつもより15分ほど早めに起床し、普段通り登校していきました。夕方の部活(バスケ)にも参加する予定です。身体をしっかりと動かし、十分に疲れさせることで、夜ぐっすりと寝られるだろうと、親子で相談して決めたことです。

 

2年間の振り返り

姉のムスメAがZ会でポイントを貯め、努力賞の景品を次々にゲットしている姿を見て、「私もやる!」と言い出したのが、小4の春。

 

最初は嬉々として取り組んでいたものの、学校の宿題が多くなり、景品にもそれほど魅力を感じられなくなってしまった ( ゚Д゚)‘‘ のが、小5の夏。

 

Z会自体を退会するかどうか悩んだのが、小6直前の春。

 

受検を本格的に意識し始めたのが、小6の夏前。なのに、だらけてしまった夏休み。

 

親子で真剣に話し合い、「この山を登りきる」と心に誓ったのが、小6の9月。

 

運動会や習い事の発表などでやたら忙しかった秋を過ごし、初めて受けた模試で「D」判定を頂戴したのが、小6の11月。

 

その後、ようやくエンジン全開で走り続けた2ヵ月弱。

 

今の実力は、客観的に見て「C」判定ぐらいでしょう。つまり、ご来光は五分五分です。そもそも、倍率が毎年5~6倍にも達するため、よほどの地頭でもない限り、ほとんどの受検生にとって、ご来光は運次第なのです。

 

・・・・・・・・・・

 

とまぁ、いろいろありましたね。とても「順調な2年間だった」とは言えません。

 

ただ遠くに見えるだけの山々は、何も考えなければ1つの景色に過ぎません。近づいてみると、大きさは感じられるかもしれませんが、その山を登る大変さまでは分かりません。登り始めてみてようやく、とんでもない山を登っているのだと実感できます。その時点では、とても自分が登頂できるとは思えません。諦めようとする気持ちなんて、簡単に湧いてきます。それでも、登ってみる。いつも少し高い目標を設定して、自分のペースでとにかく登ってみる。そんなことを繰り返した2年間でした。

 

「塾なし受験」とは何か?

さてさて、今日をもって、ボクら親子の受検登山は終わりを告げ、チームは解散となります。模試ではお世話になりましたが、それ以外は一切「塾なし」で走ってきました。

 

塾の存在自体を否定するつもりは毛頭ありませんが、子どもを間に挟んで学校と塾がイタチごっこを繰り広げる世界へと素直に入っていける心が、ボクにはありませんでした。塾が無料で、すべての人間に等しくオープンなものであるなら、少しは違った考えを持っていたとは思いますけどね。

 

与えられたことに対して疑いを抱かず、忍耐力と大量の課題をこなす処理能力だけを磨いていくのが、現在の受験システムの中で「勝ち組」になるための近道です。特に最近の公立中高一貫校の傾向を見ていると、小学校で習うレベルの知識だけでは、塾の対策がグングン追いついてきて生徒間の差が付かないため、やたら問題文を長くしてみたり、本論とまったく関係のない文章を入れ込んでみたり、そうやって処理能力でふるい分けするしかなくなってきているように感じられます。そもそも、これって「学び」と言えるのだろうか?という疑問に、ボクの出発点はあります。

 

なので、「塾なし」という環境をまずは前提としてみて、その中で、子どもが自主的に山頂を目指せる工夫をしてみることにしました。ただ、山頂付近に散らばる数々の問題は、子どもの力だけで乗り越えられるレベルをとっくに超越してしまっているため、「100%自主的」では容易に遭難してしまいます。その点は割り切って必要なところを手助けしつつ、最終的に子どもが「自主的に登った」と思えるようになれば良いわけです。

 

子どもに与えたものは、基本的に、教材と大まかなスケジュールだけです(もちろん、答案の丸つけや採点も担当しました)。この程度のことですら、与えられたことにムスメSが疑問を抱いた場合には、強制することなく、できる限り話し合って着地点を見出すようにしました。

 

また、尋常ならざる忍耐力でもって大量の課題を黙々とこなすだけではなく、如何に効率よく勉強するか、如何にラクをして点数を稼ぐか、というようなこともよく話し合いました。理科の過去問を一緒に分析し、出題者の心理を考えながら、今年は「天体」と「電気」が出るだろうと、2人で意気投合したりもしました。そのように「ヤマ」を張って重点的に備えることも、人生の中ではままあることです。他人が張った「ヤマ」に乗っかるのではなく、自分自身で「ヤマ」を張るのです。このあたりは、HSS型HSP の疑いが強いボク自身の気質が前面に出過ぎているような気もしますが・・・。

 

そして何より、中学受験の経験など無く、高校受験も適当だったボクら両親が、どこからともなく情報を集め、書店の同じ棚の前に何時間も陣取って参考書や問題集を吟味し、大した知恵のない頭を絞りに絞って、カチカチになるまで絞って、我が子の心理状態をいつも気に掛けつつ、本番当日に「自分史上最高の自分」を実現して見事に登頂を果たせるよう、手八丁口八丁の心理戦も交えつつ、そうやってバタバタと動き続ける姿をムスメSに見てもらうことで、馬鹿なりに自ら考え、戦略を練り、物事を前へ前へと進めていくことがどんなに楽しいか、ということを分かって欲しいのです。

 

勉強に限らず、少し高い目標を定め、それに向かって(時には休憩も挟みながら)進み続けることが人生を楽しむコツであり、その目標が、決して他人との比較などではなく、いつも自分との闘いでしかないことを分かってもらえたなら(あるいは、いつか分かってもらえる程の刺激として記憶に残ってくれたなら)、ボク自身の登山は大大大成功です。結果はおまけ。

 

もし、目標を定めて前進し続けることが性に合わないと、これから大人になる過程で気付いた場合には、その考え方を目いっぱい否定してもらっても全然構いません。それはあくまでもボクの考えであり、ボクの生き様であり、ボクがムスメSに教えられる数少ない事柄の1つでしかないからです。そうやって「与えられた」ことに反発できるようになることも、今回の登山の目的の1つです。

 

 

 

つづく

合否の結果です。

www.overthesensitivity.com

 

 

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