今や、日曜夜8時にお茶の間を席巻している番組は、「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)でも大河ドラマ(NHK)でもなく、視聴率 20%超えの「ポツンと一軒家」です。
日本各地の人里離れた場所に、なぜだかポツンと存在する一軒家。そこには、どんな人物が、どんな理由で暮らしているのか!?衛星写真だけを手がかりに、その地へと赴き、地元の方々からの情報を元に、一軒家の実態を徹底調査しながら、人里離れた場所にいる人物の人生にも迫っていく。
「ポツンと一軒家」の人気と視聴率の秘密
我が家の場合、子どもには相変わらず「世界の果てまでイッテQ!」が人気です。オジサンであるボクも、「イッテQ!」を一緒になって楽しく視聴しているのですが、たまに子どもが見ない日は、チャンネルを速攻で「ポツンと一軒家」に合わせます。
「イッテQ!」の勢いある笑いも大好きですが、「ポツンと」の何とも言えない魅力にはまりつつあります。たぶん、ボクと同じような世のオジサン・オバサン方が視聴率を支えているんだと思います。
次回の番組内容が気になって、番組のホームページについついアクセスしてしまいます。
そんな「ポツンと一軒家」の魅力をちょっと考えてみました。
他人の生活をのぞき見る快感

この番組に限らず、他人の生活というのは、誰にとっても少しは気になるもの。それは、ボクら人間が、他人との比較によって自分の人生や生き様を確かめようとする生き物だからです。他者と比べることによって、「自分は恵まれている」と安堵してみたり、「自分は不幸せだ」と嘆いてみたり、そういうことが大好きな生き物です。
他人の生活をのぞき見ることなんて、イケない行為だし卑しい行為だと思いつつも、そう思うからこそ、余計にのぞきたくなるのが人の性です。この番組は、そのような「他人の生活をのぞき見たい」欲を大いに刺激してくれます。
しかも、その「他人の生活」というのが、一般的な普通の生活ではなく、人里離れた場所にポツンと存在する一軒家で繰り広げられる一風変わった生活なわけです。隣人と家(部屋)を接している我々にとっては、想像もできないような暮らしぶりが存在しているのかもしれません。どんな人物が、どんな場所で、どんな生活を送っているのか。これらの疑問点が頂点に達する要素が、「ポツンと一軒家」には備わっているのです。
他人ごととは思えないドキュメンタリー性
登場する一軒家の主は毎回、ほとんどが高齢者です。一人暮らしの人もいれば、夫婦で暮らしていたり、中年の子どもと暮らしていたりするパターンもありますが、中心となる人物は大抵、高齢者です。
その主役の高齢者がそこに住むことになった経緯はさまざまですが、不便ながらもそこでの生活を全うしようとしている姿が、「高齢者」「老後」「介護」「孤独死」といった現代日本の大きな社会問題と重なって見えます。ボクのようなオジサンであれば、自分の両親や義両親のことを思い浮かべる人も多いでしょう。
街や都会に出れば便利なのに、なぜ人はその土地に固執し、土着し、そこを離れようとしないのか。震災などで故郷や自宅を追われた人々が流す涙の真意は何なのか。故郷を離れて街や都会で暮らしつつ齢を重ねた人々にとって、ポツンと立つ一軒家は、強いノスタルジーが付きまとう光景であり、他人事とは思えない親近感が湧いてくるんだと思います。
また、一軒家を捜索する道中や住民へのインタビューに際しては、「視聴者自身が一軒家を探している」ような感覚を抱かせるカメラワークを徹底し、タレントや芸能人ではなく取材スタッフが庶民感覚で地元の人々と触れ合う様子から、視聴者の冒険心が見事にくすぐられます。番組放送中、視聴者はスタッフと一緒になって、「ポツンと一軒家」を訪問している感覚に陥ります。
「やらせ」感の強い番組があふれる昨今、その「やらせ」感が大幅に排除された手作り感が人々の心を引き付けるのは、当然と言えば当然のことでしょう。
同じ日本とは思えない「お・も・て・な・し」

経済成長の鈍化とともに格差が拡がり、隣人同士や旧友同士ですら価値観の共有が難しくなり、人口密度は高いのに人々の心と心とは遠く離れ、その隙を付くように陰惨な凶悪犯罪や虐待などが横行する現代日本の(主に都市部の)一般的な様子とは異なり、「ポツンと一軒家」の世界には、同じ日本とは思えない「おもてなし」が垣間見えます。
目標とする一軒家や道中の住宅では、インタビューする番組スタッフを当然のように自宅に招き入れ、食事まで振る舞ってくれたり、当然のように車で先導して道案内してくれたり、無防備とも思えるほどの笑顔で出迎えてくれたり、そういった1つひとつの行為が「人間同士の付き合いって、こんなにもラフで自然で無防備でいいんだ!」と思わせてくれます。
街や都会の生活ではとっくに忘れ去られてしまった温かい人間関係がそこには残っており、それがまるで、「ポツンと一軒家」を中心とした世界観のように感じられるため、その一軒家がより神々しく見えてくるのかもしれません。
「孤独」の中の自由
大昔から、人々は隣り合って住まい、互いに助け合いながら暮らしてきました。今は、助け合いは少なくなったとはいえ、隣人との近い距離関係は残っています。隣人との距離感を微妙に計りつつも、隣人との物理的な距離の近さに、「孤独」とは真逆の安心感を保つことができます。実際には付き合いもほとんどなく、「孤独」には変わりないとしても、物理的な距離の近さまで捨て去る勇気はなかなか持てません。
一方、「ポツンと一軒家」の住人は、そんな一般人の隣人関係とは無縁の孤立した世界で日々の生活を送っています。ボクら一般人は、「そんな生活、とても無理ムリ!」と謙遜しつつ、自分が隣人のある程度近くで生活できていることに安堵したり、ちょっとひねくれた優越感を感じたりしているのではないでしょうか。
とは言え、居住環境にしろ通勤電車の満員地獄状態にしろ、隣人との物理的な距離の近さというのは、その距離の近さだけ、閉塞感なり面倒なり煩いなりをもたらします。人と人とが多少なりとも干渉し合って生きている以上、このような煩わしさは避けて通れないものです。
これに対して、「ポツンと一軒家」の住人は、「孤独」の中で圧倒的な自由を謳歌できる環境にあります。大声を出そうとも、焚火をしようとも、ゴミ屋敷になろうとも、他人から干渉を受ける可能性は、ほぼゼロです。そこには、街や都会で生活する人が絶対に手にし得ない究極の自由があります。
そんな「孤独」と「自由」の紙一重な生活に、ボクらの心は揺さぶられ続けるのです。そのような生活が現実には厳しくても、「これって、ユートピアってやつじゃないの?」という遠い眼差しを持てること自体に、ちょっとした満足感を覚えられます。
さいごに
個人的には、たとえばロシア・カムチャツカ半島のこちら(↓)の一軒家のように、いつか海外にも進出してもらいたいと思っています。
今は国内のみですが、国外にも進出するようになれば、ネタが尽きることはありません。ほぼ永久に、「ポツンと一軒家」を楽しめることになりますね。