敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

【父育児】子育てのゴールが見えてきた立場から思う家事とイクメンと私

 

 

ムスメAが中2、ムスメSが小5、ムスコNが小1になりました。

 

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先日、小学校の運動会があったのですが、突き抜けるような青空を美味しそうな白い雲がゆっくりと漂うまったりとした時間の中、ツマと2人でのんびりと観覧できるのは何年ぶりだろう・・・と考えました。

 

ともに両親が遠方でもあることから、長女が幼稚園に入ってからの 10 年以上、運動会は必然的に乳児または幼児連れで駆け付けていたことになりますので、「ぶり」どころか、初めて2人で観る運動会となりました(ちなみに、長女は部活)。

 

子どもたちには申し訳ないですが、「あぁぁ、ラク。」と心から思いましたね。

 

乳児がいれば、ウンチの1つや2つ平気で出てきますし、運が悪ければ防波堤を越えて襲い掛かってきますし、幼児がいれば、暑いだの寒いだの腹減っただの眠いだの、ド直球の言葉しか投げかけてきませんし、それはそれは苦節 10 年なわけです。

 

でも、そんな慌ただしい生活の中でも分かっていたんですよね。いつかは、ツマと2人でゆっくりと運動会を観られる日が来ることを。そして、運動会を観ながら、49%の「ラク」という気持ちと、51%の寂寥感なり空虚感なりを胸に抱くであろうことを。

 

子育てのゴールが見えてきた!

子育てにゴールがあるのかどうかは分かりませんし、人によって色んな考え方があると思いますが、運動会を2人で観られる時間がやってきたことで、子育ての1つのゴールが近づいていることを強く実感しました。

 

もちろん、就学後にもさまざまな問題は出てきますし、たとえ社会人になろうとも、結婚しようとも、死ぬまで「子育て」は続くだろう、と覚悟はしています。

 

でも、小学校に入ったムスコを見ていると、自分で友達を作ってきて、放課後や休日には自転車にまたがって勝手に遊びに行ってくれますし(それはそれで結構心配もしますが)、世界が随分と広くなって、親離れ感が半端ない状態です。

 

このような状況になり、(自分で言うのもアレですが)「イクメン」としての役割の終焉をヒシヒシと感じる今日この頃です(ATM としての役割は残っています (*'ω'*) )。

 

月並みな言い方しかできませんが、「意味不明な生き物を扱う」という意味での子育ての期間なんて、後で振り返ってみれば「アッ」という間だということだけは、未来の父親・イクメンにお伝えしたいですね。

 

オリラジ中田氏の記事が伝える夫婦関係の難しさ

さてさて、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが「良い夫やめた!」という記事の中で、育児中の夫婦関係の難しさを赤裸々につづっておられますね。

dual.nikkei.co.jp

 

「PERFECT HUMAN」の中田さんらしく、パートナーの SOS を漏れなくキャッチしつつ、完璧な夫・父を目指してこられたことがよく分かります(中田さんの言い分なので、中田さんの視点で「完璧」ということです)。

 

ただし、夫が完璧である上、その完璧さをメディアで語ってしまうと、奥様の逃げ場(安全地帯、余白)がなくなって、目に見えない相当のプレッシャーが掛かっていたのではないかと、ボクなんかは想像するわけです。

 

そのプレッシャーの原因がよく分からない奥様は、とにかくプレッシャーから逃れたい(つまり、現状を変えたい)一心で、「あなたは何も変えてくれなかった!」(つまり、現状を変えたい!)と訴えられたんじゃないかと、ボクなんかは思うわけです。

 

頑張るイクメンさんほど、頭が良ければなおのこと、数日先、数か月先、数年先のことまで考えて、良かれと思ってパートナーの目の前に線路を敷いてみたりしますが、その「線路敷かれた」窮屈な感じがパートナーにとって結構なプレッシャーになることは、イクメン家庭にありがちな話かもしれませんね。

 

パートナーの性格や気質、2人の相性にも依りますので一概には言えませんが、女性にとって大事なことは、そんな先のことではなく、「目の前の私を見て!」「今日の私を聞いて!」ということが多いんじゃないでしょうか。

 

明日の予定や目先のタイムスケジュールを整えることなんかより、相槌を打ちながら奥様のグチを 30 分でも1時間でも聴いてあげる方が夫婦関係は余程うまくいく、ということを結婚生活でしっかりと学びましたよ。女性の会話に「結論」なんて不要であることも(人に依りますので、結論好きな女性の方にはゴメンナサイ)。

 

家事・育児はイベントか、フローか

一方で、「なるほど!」という記事も拝見しました。

papapico.hatenablog.com

 

主な論点は2つ。

  • 家事は自発的にやるもの(イベントではなくフローで考える)
  • そのために明確な「ゴール」を共有すべき

 

夫婦が明確な「ゴール」を設定し、それに向けて辿るべき「フロー」を共有できれば、互いの痒い所すべてに手が届く、完璧なチームワークが可能になりますね。十数年の夫婦生活の中で何度も模索してきたので分かります。ボク自身が割りとこういうの好きなので。

 

でも、ある日、立ち止まりました。「ツマは、こんなこと求めていないだろう」と思ってね。

 

ヒトが2人以上集えば、程度の差こそあれ、必ず主従関係が生まれます。奇跡的に 100%対等な関係が生まれることもあるかもしれませんが、「主」向きな人、「従」向きな人、やはり向き不向きがありますので、いつしか自然と主従関係になります。

 

そして、夫婦に限らず、2人のヒトが「主従関係」になった場合、それを一方(特に、「主」側)が解消しようとすればするほど、主従関係はますます強まるばかりです。容易には解消できません。

 

主従関係が強くなると、「主」側のフロー意識ばかりが強くなって、「従」側はそれに従うしか選択肢がなくなり、脳内が諦念とともに自然と「イベント発生型」に近づいていくことでしょう。

 

そこには、「家庭は職場ではない」という意識も強く影響しているのではないかと思います。

 

フロー好きなボクがフロー意識をツマに押し付けなくなったのは、「ツマが好きではなさそうだ」と考えたことのほかに、「家庭をフローなんかで流したくない」という思いも強くなったからです。

 

フロー好きならまだしも、そうでもない人の場合、「フロー」が基本の職場から帰宅した我が家がフローどっぷりの環境だったら、踏み込む一歩に躊躇するのではないでしょうか。地獄に足を踏み入れるようなものです。

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そんなフローは、「効率重視」ということ。

 

もちろん、後先をまったく考えないわけにはいきませんが、家庭を安住の地にしようと思うなら、そこは職場ではないとはっきり認識して、多少の効率なんか捨ててしまえば良いと、フロー好きなボクが意外に思うわけです。

 

旦那様よりはフロー好きな奥様も、もし旦那様が自分よりもフロー好きだったなら、逆にかなり鬱陶しく思うはずです。その程度に相対的なものだと感じています。

 

だから、フロー好きな方がある程度フローを主導するしかない、というのがボクの結論です。なかなかフローに乗ろうとしない相手を如何にしてフローに乗っけるか、という作戦を考えることが楽しめるようになるといいですよね。

 

そもそも、夫婦で考えるフローなんて大したものではなく、抜けだらけだとも思いますので、そんなフローを信奉しすぎて関係がギクシャクするなんて、もったいないですよ。

 

個人的には、女性はどちらかというとフローを主導するのではなく乗っかりたい方だと思いますので、男性がフローを主導する方が断然うまくいくと思います(これも人に依りますので、フロー好きな女性の方にはゴメンナサイ)。

 

家事・育児の「ゴール」を共有する

上記論点のもう一方「ゴールを共有する」ということは、結婚生活を円滑化する上で、ホントに大事なことだと思います。

 

結婚するまでは別々に生きてきた2人が、結婚を機にいきなり生活をともにし始めるわけですからね。普通に考えたら、かなり無茶な話です。

 

料理、食器洗い、洗濯、掃除などなど、1つ1つの家事にゴール(どこまでやって「完成」と認めるか)を決めて共有しておかなければ、家事の数だけ論争が起こることになります。

 

子どもが生まれようものなら、子育ての方針、公立 vs. 私立などなど、決定すべきゴールが倍増しますので、1つ1つ丁寧にゴール設定していかなければなりません。

 

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ただし、上述した「フロー」と同じく、ゴールについても、あまりに細かく決めすぎると窮屈で息苦しくなります。いつも広くて遠い視点を大切にして、どのようなゴールを迎えようとも「人生なんてどうにでもなる」ぐらいに思える余裕を持ちたいところです。

 

それが、次の「こだわらない」です。

 

「こだわらない」

結婚生活や子育てというのは、結婚までに重ね着してきた「こだわり」という服をひたすら脱いでいく作業だと思っています。

 

人間は生まれると、それぞれの大人(親)の習慣(=こだわり)の下で大きくなります。大人のこだわりが強かったり、大人と過ごす時間が長くなったりするほど、子どものこだわりも当然強くなります。

 

目玉焼きにかける調味料、バスタオルの洗濯頻度、子どもの習い事などなど、結婚を機に自分の中にある些細な「こだわり」を脱ぎ捨ててしまえば、夫婦で新たに習慣やゴールを築き上げていくのが非常に楽になります。

 

そして、夫婦間の習慣やゴールはそれとして、それを子どもたちに押し付けすぎないようにも心掛けています。いつかは、子どもたちも「こだわり」という服を脱ぐ時が来るかもしれませんからね。その時、脱ぎやすくね。

※ ただし、勉強や仕事をする上では「こだわり」の必要性を強く感じる場面も少なからずありますので、その使い分けについてはまだまだ模索が続きます。

 

ブッダ(釈迦)が家事や育児に従事していたかどうかは知りませんが、「・・・是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。・・・」というように、ブッダの教えに沿った経典の中で、両極端に振れない姿勢が長々と記されていることからも、「こだわらない」ことに1つの真理があると思います。

 

もちろん、決して譲れない「こだわり」、両親から受け継いだ大切な「こだわり」、先祖代々伝わる重厚な「こだわり」などは、脱ぎ捨てることなんてないと思います。パートナーとの話し合いの中で妥協点を見つけることになるんでしょう。

 

そして「51%の面倒を引き受ける」

激しく散らかしながら料理をした挙句、「オレはカジメンだ!」と豪語している知人がいましたが、それは少し違うと思います。世の奥様方も、この点は同意していただけるはずです。

 

たとえば夫が料理を肩代わりする場合は、調理の前後も含めて妻の負担が軽くなって初めて「料理カジメン」を名乗れるでしょう。散らかしながら調理して後片付けもしないのでは、逆に妻側の負担が重くなってしまい、何の支援にもなりません。

 

理想的には、「在庫チェック → 買い出し → 調理 → 配膳 → 後片付け」という全フローを通じて「料理」だと思っています。

 

家事や育児は、とにかく「面倒」との闘いです。

 

「イクメン」や「カジメン」は、何でも器用にこなせたり頭の回転が速かったり、ということではなく、「パートナーの面倒を如何に引き受けてあげるか」というマインドに基本があると思います。

 

多少不器用でも、フローを理解していなくても、「自分が全面倒の少なくとも 51%を引き受ける」という強い気持ちがあれば、必ずパートナーに思いは伝わるでしょうし、そもそも、散らかしながら料理した挙句にドヤ顔はできなくなるでしょう。

 

 

 

あとは・・・

今さら多くは語りませんが、どんな夫婦の形であれ、多少なりとも好きで一緒になったのなら、そこは大人の男女です。相手を近くに感じるほど、齢を重ねるほどに、愛情は情愛へと変化していくってもんです(「男女」と断定するのはダメですね、スミマセン)。

 

さいごに

結婚するってことは、自分の中の些末な「こだわり」を捨て、真っ白な自分を取り戻すチャンスだと考えてこれまで過ごしてきました。そして、育児という面倒が増えるたびに、相手の面倒を奪い去るつもりで過ごしてきました。

 

そうやって見えてきた子育てのゴール、万歳!

 

ボクは HSP 気質な上、殺人的に忙しいながらも割りと自由が利く働き方を選べるために、家事や育児に参戦できた(せざるを得なかった)だけだと思いますが、未来の父親・イクメンにとって少しでも参考になれば幸いです。

HSP とは、病名のことではなく、感受性が生まれつき強く、ちょっとした環境の変化や他人の気持ちにとても敏感なため、五感の強い刺激や他人とのコミュニケーションに圧倒され、すぐに疲れてしまうタイプの人を表す心理学用語です。

 

追記

うちの子どもたち、こだわり少なめに育っていると自負しています。大きくなったら誰かパートナーになってあげて下さいね。よろしくお願いします。

 

以上のように、何かエラそうなことを書いていますが、今後もフツーに子育ての悩みをアップしていくことになると思います。

 

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