新学期。
ムスメAとムスコNは、新しいクラスにも徐々に慣れ、眠い目をこすりつつも、毎朝、意気揚々と家を飛び出していく。
ところが、その両者に挟まれたムスメSは、無表情のような不機嫌なような不愉快なような顔をしながら、「やれやれ」という様子で仕方なく家を出ていく。そして、無表情で帰宅後は、グターっと床に突っ伏して、しばらく動けなくなる。誰とも会話しない。
「学校」という自分の外の世界を自分の心から切り離すように、数十分にわたって自分の心と会話した後、なんとか気を取り直して宿題に着手する。学校であった出来事を特に話すでもなく、友人が遊びに誘いに来ても適当な理由で断り、魂が抜けたような疲れ切った表情で、たまに溜息をつきながらゆっくりと宿題を進める。
そんなムスメSの様子を見たり聞いたりして、ボクは心が苦しくなってくる。
ムスメSは、HSP(Highly Sensitive Person)なんじゃないかと思っている(子どもの場合は、HSC(Highly Sensitive Child)とも呼ぶらしい)。
HSP とは、病名のことではなく、感受性が生まれつき強く、ちょっとした環境の変化や他人の気持ちにとても敏感なため、五感の強い刺激や他人とのコミュニケーションに圧倒され、すぐに疲れてしまうタイプの人を表す心理学用語だ。
こちらの本がとっつきやすいし、
その著者のブログ『中年HSP記』も分かりやすい。かなり一般的な用語になってきているため、検索すれば、関連するサイトが大量に現れる。
また、HSP の提唱者である米国の心理学者 Elaine N. Aron 氏(アーロン博士)のホームページでは、HSP であるか否かを診断できる。
- 大人が自分を診断する場合はこちら:Are You Highly Sensitive?
- 大人が子供を診断する場合はこちら:Is Your Child Highly Sensitive?
この診断が 100%ではないし、素人判断は危険であるものの、控えめに診断しても、ムスメSは余裕で「HSP(HSC)」という判定になってしまう。
ムスメSの名誉のために書いておくが、HSP だからといって年がら年中疲れ切っているわけではなく、特に環境の変化がない毎日を坦々と過ごしている時には、とても意気揚々として、はじけるような笑顔を見せたり、ジョークを飛ばしたり、至ってフツーの女の子である(あえて普通と異なる点を挙げるなら、未来のことや些細なことを必要以上に心配する傾向がある)。
普段はフツーなのだが、「新学期」という大きな環境の変化は、HSP らしきムスメSの心にはかなりの負担となっているようで、見ていて可哀想になる。
季節が変わり、教室が変わり、先生が変わり、クラスメートが変わり、おまけに仲良しと異なるクラスになってしまった、という幾重もの変化は、まさに嵐となってムスメSの心に吹き荒れていることだろう。だから、学校が終わって帰宅後は、心の中の嵐を静めるため、数十分もの時間を要する。嵐が静まったら、今度は、嵐にかき乱された心が疲れとなって表情に現れる。
毎年そんな感じなので、クラスに慣れるまではそっとしておき、ムスメSから何か話しかけられたり求められたりしたときだけ応答するようにしている。あとは、気を紛らすため、休日には面白そうなところへ連れ出したり、没頭できそうな本を与えたり、そんなことをしながら、とにかく嵐が過ぎ去るのを待つ。
「鈍感力」という素晴らしい能力を手にしているツマMやムスメA、ムスコNにはなかなか分からないのではないかと思い、ムスメSとの橋渡し役を担うのもボクの仕事(生まれ持ったタイプの違いがあるのだから仕方がない)。
なぜボクか、というと、前々から何となく感じているのだが、ボク自身にも HSP の気があって、上記の診断を試してみると、ムスメSよりもはるかに余裕で「HSP」という判定になってしまう。だから、ムスメSの心の中がよく分かるような気がする。
現在、HSP のことを勉強中なので、ボク自身のことも含めて、また記事を書いてみたい。
今はただ、ムスメSの心の中の嵐が早く過ぎ去ることを願うばかりだ。