敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

愛する人の「死」で学んだこと・気付いたこと・考えたこと・泣いたこと

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5日ほど前、愛する人が突然、この世を去ることになった。

 

通夜・告別式の準備や、親族・知人への連絡、書類の準備、中陰法要のスケジュール調整など、故人を偲ぶヒマさえ与えない現代の「葬祭マニュアル」は、それはそれで遺族から悲しむ時間を奪い去ってくれるので有り難いものだが、そういった忙しさが徐々に落ち着きつつある今、こみ上げてくる悲しみが反動でどうしようもないくらいになっている。

 

自分は、今回のような事態で悲しみこそすれ、精神的なダメージをそれほど大きく受けるタイプではないと勝手に思っていたのだが、「簡易抑うつ症状尺度(QIDS-J)」というので「うつ度」をチェックしてみたら、「中等度のうつ」ということだった。どうやら、軽いうつ状態にあるらしい。確かに、食欲はないし、気力もない。起きている時間も、まぶたが勝手に落ちてきて、現実世界から遠ざかろうとしているような自分を感じる。

 

それまでは意気揚々とガツガツ働いていたのが、1人の人間がいなくなることで、これほどまでに心が大きく揺さぶられようとは、完全に想定外の状況だ。人間の心なんて、こんなにも弱いものかと実感する。一方で、少なからぬ修羅場や試練をくぐり抜けてきた人生の割には、まだ人間らしい心が残っていたんだなと、他人事のような実感もある。

 

こんな沈んだ状態は、故人の望むところではないだろうし、自分自身も早く立ち直って、故人の分まで前向きに精一杯生きていきたいと思っているから、何か良い方法はないものかと考え、愛する人の「死」で学んだことや気付いたことなどを言語化してみることにした。吐き出すことで、心が少し落ち着くかもしれない。分からないけれど、匿名で参加するネットの宇宙は、言葉を荼毘に付すのにちょうど良い空間だ。

 

この数日間にいろいろ考えたことがそのまま消え失せてしまうのは、故人とのつながりも薄くなってしまうような気がして淋し過ぎるので、いつか心が落ち着いた時にゆっくりと懐かしく振り返れるように、書き留めておきたいと思う。

 

自死

本当の理由は分からないけれど、十中八九は、抱える2つの病気を苦にして、自らこの世を去る選択をした。身体的な苦痛もさることながら、病気のために支援や介護の負担が周囲に掛かってしまう申し訳なさの方が大きかったのかもしれない。それ以外にもいくつか人生の悩みを聞いていたので、そういうものが重なった結果なんだと思う。病気でうつ気味になり、正しい判断ができなくなっていた可能性も高い。

 

残った側としては、本音ではもっと長生きして欲しかったと思うのだけど、割りと強靭な精神力を誇った故人だからこそ、自ら死を選ぶほかに選択肢がないくらい、追い込まれていたんだろうと想像する。もともと持っていた精神力も、それを打ち砕いて死に向かわせるほどの苦悩も、平々凡々な自分には、どちらも想像のはるか上をいく対象なので、自死についてどうこう言う資格は全くないと思っている。

 

でも本当は、そういう悩みや精神状態も含めて、周囲にもっと共有して欲しかった。事故や事件で突然に死を迎えることと同様に、自死というのは、一定の速度で流れている時間をいきなりプツンと断絶させる行為であり、そこに生じるギャップはあまりにも深過ぎて、こちら側からのぞき込むことができない。そのギャップに存在する「なぜ?」という疑問は、事故や事件であれば加害者の、自死であれば本人の考えや思いと通じることでしか解消されないと思う。だから、命ある限り、もっと故人の心と通じていたかった。

 

それが残った側のエゴだとしても、此岸の時間を最大限共有したかった、という心残りはある。生きている限り、努力すればもっと心が通じ合えただろうに、死に至るまでそのことに気付けなかったり、そうする努力を怠ってしまった自分自身にひたすら腹が立つ。同じ過ちを二度と繰り返したくはない。

 

弱音を吐かずに頑張り続ける「自分勝手」

故人の人生をひと言で表すなら、「自分のことよりも常に他人を優先し、人に迷惑を掛けることだけはないように気遣った人生」ということになるだろう。これに対して、最後に選択した「自死」という行為は、残念ながら幾許かの迷惑を他人に掛けることになるため、生き方と矛盾している。その矛盾に気付けなくなるぐらい、精神的に追い込まれていたことが分かる。辛かったろう。最後は、夢の中を彷徨っているような感覚だったのかもしれない。計画的にというよりは、突発的に思い付いた行為のように思える。

 

人づてに聞いた話だと、若いころは人並みに自分を優先したり、自分勝手だったり、他人に迷惑を掛けることも少なからずあったようだが、齢を重ねるにつれて、人に優しく、少なくとも弱い者に対して怒ることなど決してなく、自分の時間やお金を可能な限り他人に捧げる生き方へと自然に変わっていったみたいだ。たぶんそれが、故人の本来の姿なんだと思う。

 

骨折しても、肺を患っても、それで家族や職場に迷惑が掛かることは分かっているため、決して口外せず、病院にも必要最小限にしか通わず、他人に尽くし続けた。骨折や肺の疾患が分かったのは、何年も経ってからレントゲンや MRI でその痕跡がくっきりと見られたからだ。それが無ければ一生、家族にも友人にも知られることはなかったのだろう。

 

こうやって弱音を吐かずに頑張り続けることを「美徳」としていた故人の意思は大いに尊重するし、心から尊敬もする。だけど、一歩間違えれば、それは「自分勝手」ということにもなりかねない。我慢し続けたことで病気が悪化した可能性は否めないし、弱音を吐かないために周囲と心が通じにくかったかもしれないし、周囲の「助けになりたい」という欲求を踏みにじっていたことになるかもしれない。

 

自分のための「美徳」が、必ずしも他人の幸せや満足に結びつくわけでもなく、「自分勝手」に映る面もあると思う。人間というのは、多かれ少なかれ「誰かのためになりたい」と願う生き物だろうから、本当は極限まで頑張ったり我慢したりするのではなく、他人の「支援欲」が発動される余地を残しておくのが、本当の「利他」のような気もする。

 

こう書くこと自体も残った側のエゴなのかもしれないけれど、つまりは、もっと頼って欲しかった、ということなんだ。こちら側がもっと尽くしたかった、ということなんだ。

 

ここまで書いて、「さて、自分は今後どうやっていこう?」と悩む。感覚的には、90%ほどを自力で頑張り、残り10%ほどを他人に頼るぐらいが丁度良いのかなと思う。そうすることが、本当の意味での「利他」なんだろうとも思う。だけど、故人の凄絶な生き方を見てしまった以上、そういう個人的に美しい生き様へと引き寄せられる感覚も大いにある。まだ結論は出ないけれど、自然な成り行きに任せたいと思う。

 

人のためではなく、自分のための「心配」

生前、故人の病気のことを心配して、こちらからも色んな解決策を提案した。セカンドオピニオン、サードオピニオンに耳を傾けてみてはどうか。漢方薬を取り入れてみてはどうか。リフォームして身体への負担を減らしてみてはどうか。住む場所・環境を変えて前向きな再スタートの気持ちを取り戻してみてはどうか。

 

もちろん、故人のことを心配しての提案・・・のつもりだったのだが、よくよく考えてみると、半分以上は、自分自身の「安心」のための「心配」だったのかもしれないと思う。

 

病気そのものの苦痛に耐えようとする故人の姿をこれ以上は見たくない。痛みから漏れてくる呻き声やため息をこれ以上は聞きたくない。「がんばれ!」とか「もう少し!」といった実を結ぶかどうかも分からない掛け声をこれ以上は発したくない。病気に伴う故人の精神的苦痛をこれ以上は感じたくない。「不自由な身体で生きることに意味があるのか?」という故人の思いをこれ以上は想像したくない。

 

今から振り返ってみて、故人のことを心配した上での、これら多くの「~したくない」という感情だったのか、あるいは、「~したくない」という感情が自分の中に積み重なった上での、故人に対する心配だったのか、前後がはっきりしない。だから、故人のことを心配するつもりが、実は自分の「安心」のために心配していただけなのかもしれない、という自分自身への猜疑心が生まれる。

 

数々の「~したくない」がすべて、相手の心身の苦悩を和らげる方向に働くのなら問題ないが、自分自身の苦悩を取り払うための「~したくない」ならば、それは相手にとって過剰な心配となったり、意図せぬ方向性となったり、運が悪ければ心身をさらに蝕む結果となったりしかねない。

 

こういう場合は、自分の心に惑わされないように、自分の感情をなるべく抑えた上で、相手の心に寄り添うのが良いのかなと思う。ただし、自分の感情を抑えすぎると、あとで間違いなく爆発するとも思う。そもそも、近い関係であればあるほど、相手と自分の心は混然一体となって絡み合うため、よほど冷静でなければ、感情に流されることは致し方のないことだろう。

 

自分の感情が行き過ぎることなく、自分の感情を抑えすぎることもないように、冷静な第三者に間に入ってもらうのが一番かもしれない。今後、当事者あるいは第三者として同じような場面に遭遇することもまたあるだろうが、その際には、今回のことを教訓にしたい。

 

希望と絶望の間

これも、今から振り返ってみると、故人のためというよりも自分の「安心」のためだったのかもしれないが、故人やその周囲に対して、住む場所・環境を変えてみることを強く具体的に提案したことがある。

 

以前から、故人がそれを望んでいることを薄々感じていたものの、周囲の重い腰がなかなか上がらず、こちらとしては居ても立っても居られなくなり、周囲にあまり相談することなく、提案を突然ぶつける形となってしまった。

 

故人は喜んでくれているようだったが、理想の裏には必ず残酷な現実が控えているものであり、周囲の近しい人間から現実的な障壁がいくつかあることを教えられ、自分自身の説得力・行動力のなさも加わり、障壁が越えられないものかどうかの検討すら十分に出来ないまま、時間の経過とともに提案が尻すぼみとなってしまった。

 

残ったのは、故人の中の「希望」と、それが叶わないと分かった時の「絶望」だけだ。それが故人の逝き方にどれほど影響したかは定かではないが、無駄に感情の起伏を喚起することになってしまった点は、本当に申し訳ないと思う。実現可能性を周囲としっかり相談した上で提案すべき内容だった。早まったと反省している。

 

仕事であれば、考え得るリスクを冷静に吟味したうえで提案を出すのだが、この点についても、今回は感情が先走ってしまった感がある。やはり、近い関係であればあるほど、感情に流されることなく、冷静な周囲の人間としっかり対話してから行動に移すことも必要なんだと改めて感じる。

 

決断力の無さが生む「後悔」

人の死ほど、後悔の念に苛まれることはない。自死を止められなかったことを筆頭に、セカンド・サードオピニオン、漢方薬、リフォーム、住み替えなど、「あの時こうしていれば」という思いは、「死」という絶対に後戻りできない境界を越えたところで、洪水のように襲い掛かってくる。

 

その後悔のほとんどは、何も決断できず、ただ無為に時間だけが流れてしまったんじゃないだろうか、という後悔だ。決断力の無さによって生じる後悔だ。どんな結末になろうとも、決断するということは、その時点で考え得る未来を取り込んで腹をくくることだから、少なくとも後悔の念は抱かずに済む。未来のことは誰にも分らないけれど、今の時点で考え得ること、為せることをすべてやり遂げておけば、未来の不測の事態に対して心を準備しておくことになる、という発想だ。

 

だけど、未来のことは本当に分からない。未来の自分が、過去の自分の決断を素直に受け入れられる状態にあるかどうかも分からない。だから、今は何もせず、訪れる結果を素直に受け入れる、という「決断」の仕方も当然ある。それは性格にも依ると思うが、今の自分のスタンスでは、何か1つだけでも手を打った後、その結果を素直に受け入れるようにしたいと思っているから、その点では、やはり後悔の念に駆られる。

 

未来のことは、自分の考え方も含めて分からないから、あまり深く考えても仕方がない。その代わりに出来ることは、「今」という瞬間を懸命に生きることだけだろう。ありきたりの結論だけど、やっぱりそれしかない。苦しいけれど、何か手を打つべきかどうかも含めて、脳ミソを絞るようにとことん考え尽くすことが、未来の自分を「後悔」から救う1つの方法だと思う。それでも、間違いなく後悔はするけどね。

 

自分の目に映る他人

ご住職と通夜・告別式の進め方を相談した際に、喪主が不在だったこともあり、故人の法名(戒名)を考えてもらう材料を自分が提供することになった。ご住職が故人の来し方や職業、性格などについて簡単な質問をされ、それに対して自分が答える、というやり方だ。

 

来し方や職業については、事実を思い出しながら淡々と答えるだけで良いのだが、性格については、亡くなってから数時間しか経っておらず、かなり気が動転していたこともあり、なかなか上手く表現できなかった。思い出すたびに涙がこぼれそうになり、声にならなかった。「思った通りでいいよ」というご住職の助言により、「優しく、怒らず、いつも自分のことより他人のこと」というようなことを述べた。そして、告別式の最後に、ご住職が法名の由来として、このことを披露された。

 

その後、食事の席で親戚や知人と会話する中で、故人の幼少期からの様子などをあれこれ聞くことになったのだが、その中には、故人の勝気な側面や、超が付くほど負けず嫌いな側面、ちょっとわがままな側面、他人のことを愚痴る側面など、自分の目には映っていなかった故人の姿がたくさん含まれていた。また、齢を重ねた後は、そういった側面をすべて封印して、子や孫に悪影響を与えないように努める考えもあったようだ。

 

自分には見えていなかった人間らしい側面をこの機会にたくさん知ることになり、ちょっとした衝撃でもあったのだけれど、それだけ人間の生き様というのは、相手によって見え方・感じ方が全然違うんだな、ということを改めて実感した。ある人にとっては神のように見えるのに、別の人にとっては鬼にしか見えない、ということもままあることだ。

 

最後に、良寛の『裏を見せ 表を見せて 散る紅葉』という句を思い出した。自分が心に描いていた像とは異なるけれど、故人の表も裏も、いろんな側面を知ることができて、本当に良かったと思う。清濁併せ呑み、清濁併せ持つのが人間だからね。

 

人は行動し続けるのが正解

先にも書いたように、亡くなってから数日は、葬儀の準備や、親類縁者への連絡、書類の準備、法要の日程調整などで多忙を極めるため、悲しみに打ちひしがれている暇がない。これは、悲しみや苦しみから逃れるための、人類の偉大なる知恵だ。何もせずに故人と向き合っているだけでは、気が狂いそうになる。

 

故人も、どちらかと言えば、考え込むよりも「思い立ったが吉日」というタイプだった。いろんなことに頭が回るから、たぶん思い悩むこともたくさんあったんだろうけど、そんな自分を克服するかのように、とにかく動き回っていた。時には、傍から見ていて鬱陶しいほどに、休むことなく家事や仕事に動き回っていた。

 

それは今から思うと、人生の中でいろいろと背負ってきた荷物に気持ちが押しつぶされないようにするための、窮余の一策なのかもしれない。立ち止まると、悲しみや苦しみが止めどなくこみ上げてくるから、寝るとき以外は立ち止まらない。そんな思いで動き続けていたんじゃないだろうか。泳ぎ続けないと窒息死してしまうマグロのように。

 

自分も故人と似ている部分が多々あるから、動き続けるしかないと思っている。必要なことだけ考えたら、さっさと行動だ。この記事もさっさと書き上げて、次に向かって行動だ。大空の下、大地を踏みしめて行動だ。最後は身体の自由が利かず、動くことができなくなって命を絶つ選択しかなかった故人の分まで、この身体が朽ち果てるまで、とにかく動き続けるんだ。

 

HSP が愛する人を失うこと

このブログのサブタイトルにも書いてあるように、自分は、HSP(Highly Sensitive Person)の気質がかなり強い。普段から、他人の感情や体調に左右されることが多く、他人に自分の心が乗っ取られたような感覚に陥る時もある。また、個々の人間のみならず、集団全体のムードや、その場の雰囲気なんかも取り込んでしまい。とにかく疲れる。

 

だから分かっていたことではあるんだけど、今回の件でも、葬儀全体の雰囲気をまともに心に取り込んでしまったし、親戚や友人・知人ひとり一人の感情も取り込んでしまったし、他界しているはずの故人の感情も取り込んでしまったし、もちろん自分自身の感情も存在しており、とにかく苦しい。何十人もの人間が、自分の中で感情をぶつけ合っている。軽いうつ状態になっているのも、HSP の影響が大きいと思う。

 

今までの経験から、時間が解決してくれることは分かっている。今回は愛する人を失ったこともあり、かなりの時間が掛かると思うけれど、意識を極力ほかのことに向けるなどして、対処していくしかない。上にも書いた通り、とにかく行動が必要だ。同じ場所に留まり続けるのは、かなり危険な行為だ。早く書き上げよう。

 

生きることは「相対的」なこと

生きることは、ひたすら相対的なことだ。絶対的な「自分」など、この世には存在しないだろう。たぶん、あの世にも存在しないだろう。他人が存在していてくれるから、「自分」というものが相対的に存在できている。それを確信した、この数日間だ。

 

この世界において、その「自分」というものを相対化してくれていた大きな存在を今回失うことになり、残念ながら、自分の相対的な存在意義というものも、その分だけ少なくなったことになる。その失った分は、どこかの誰かと新たに出会うことで補充できれば嬉しいなと思う。少なくとも、葬儀で数十年ぶりに再会した人たちが、自分の存在意義を少し高めてくれたことに違いはない。その確認が、法要の良さでもある。

 

そんな「自分」も、誰かの存在意義を相対的に高めることに一役ぐらいは買っている存在だと思うから、これからも、その意識を忘れないようにしたい。自分が存在するだけで、それが誰かの存在意義を高めることになるのなら、こんなにうれしいことはない。

 

子どもが接した「死」

小学生の子どもたちの目に、今回の出来事はどのように映っているだろう。

 

小6の次女は、生前の故人に、手編みのセーターを注文していた。そのセーターは、病気のせいでとっくに季節外れとなってしまったこの5月、他界する前日までに仕上げられていた。死後にそれを渡された次女は、戸惑いながらもしっかりと受け取っていた。

 

小2の長男は、訃報を聞いてもゲームを続けていたようだ。その自然な振る舞いに、逆に心が救われた。小学2年生に生死の区別がまだなくても、それは割りと普通のことだろう。でも、さすがに故人の亡骸と対面した際には、一瞬たじろいだ。

 

ただしその後は、旅立つ故人のために、姉や従姉と一緒になって、折り紙でツルを折ってくれたり、故人に持っていってもらう手紙を書いたり、その間に好きなお絵かきをしたり、外を走り回ったりしていた。永遠の別れというよりは、ちょっとした一時的な別れのように感じているみたいで、その点は見習いたいぐらいだった。

 

つい先日まで普通に会話していた相手が、今は目も口も閉じ、冷たくなっている。そのことを五感で感じ取れる機会をくれた故人に感謝する。科学技術が進歩して安全・安心な社会が進み、「死」が社会全体から遠ざかる中で、こんなにも身近に別世界へと旅立つ人間がいることを、子どもながらに感じ取ってくれたことだろう。

 

感情を吐き出す意味

喪主が点火スイッチを押した瞬間、童心がよみがえって、ほんの一瞬だけ迷った後、思わず「お母さん !! バイバイっ !!」と大声で叫んでいた。

 

淡々と進んでいく一連の見送りの中、それをどうしても阻止したい気持ちが湧き起こったんだと思う。また、大声を出すことで、感情をすべて吐き出してしまいたい気持ちもあった。そうしないと、絶対に後悔するし、あとで感情が爆発してしまうと焦った。

 

あれは大きかった。大声で叫べたことで、うつ状態がこの程度で済んでいると思う。

 

さいごに

焼骨のとき、ちょうど修学旅行先の沖縄から帰ってくる機上の長女は、焼場から立ち昇る煙の中に、故人の姿を見つけることができただろうか。帰宅した長女に一部始終を伝えたけれど、やはり目の前で経験しなければピンとこないのは、大人も一緒だろう。

 

愛する人との永遠の別れを言葉にして綴るのが、こんなにも苦しい作業だとは思わなかったけれど、いろいろと考えたことが自分の中だけで風化していくよりは、ネット空間で風化して藻屑となる方が今っぽいと思うし、吐き出したことで少しは前を向ける気がする。

 

まだまだ話をしたいと思うたくさんの人たちを残して、母は自らこの世を去って行った。そんな母の生き様を体現し、子どもに伝えていくことが、故人の生きた証の1つになる。

 

母がボクという存在の意義を相対化させてくれていたように、今度は、ボクがパートナーや子どもたちの存在意義を相対化させる番だ。悲しみや苦しみは、大空や宇宙の視点から自分を客観視して乗り越え、人間としてのウジウジとした気持ちは、たまに酒で洗い流しつつ、常に動き回りながら生きていこうと思う。愛した人の分まで精一杯に。

 

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