敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

Not「男らしさ/女らしさ」but「人間らしさ」|#MeToo 支持 CM の見方

 

男女平等 男女格差

年明け早々、紅白歌合戦への初出場を果たしたばかりの男性歌謡コーラスグループ『純烈』の友井雄亮メンバーが、複数の女性への暴力や金銭トラブル、不倫などを理由に芸能界引退を表明しました。

 

ジレット社の #MeToo キャンペーン CM

一方、米国では、男性用カミソリで知られるジレット(Gillette)社が、セクハラや性暴力を告発する「#MeToo」運動を支持する CM「THE BEST MAN CAN BE」をホームページで流しています。


We Believe: The Best Men Can Be | Gillette (Short Film)

 

そして、NHK のウェブニュースでは、以下のように取り上げられています(一部省略)。

コマーシャルでは、男性が女性の下半身を触ろうとするコメディー番組を見て大笑いする男性たちや、取っ組み合いのけんかをする少年たちが「男だからしかたない」と容認される様子などが次々と紹介されます。

そして、「もう後戻りはしない」というナレーションが流れた後、セクハラやいじめをやめようと立ち上がる男性たちの姿が描かれていて、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」では、これまでに1000万回以上再生されるなど注目を集めています。

このコマーシャルについて、男女格差が最も少ない国として評価されているアイスランドの外務省はツイッターに支持するコメントを投稿するなど、称賛の声が上がる一方で、「メディアやハリウッドにはびこる『男は最悪だ』というキャンペーンに便乗している。このメーカーの製品はもう買わない」といった否定的な声も上がり、波紋が広がっています。

メーカーの担当者はメディアの取材に対し、「これは重要な議論であり、両者の声を受け止め、私たちなりに取り組みたい」としています。

 

ちなみに、NHK の記事中にあるアイスランド外務省のつぶやきは、こちら(↓)です。

 

太平洋の西側では DV トラブル、東側では DV を含めたセクハラやパワハラに対する警鐘と、起こっている事象こそ異なれど、共通して言えることは、「強い者が弱い者から搾取する構図は、なかなか無くならない」という事実です。なかなか無くならないからこそ、ジレット社の CM が大きな反響を呼ぶわけですね。

 

すべての原因は「弱肉強食」

男性顧客が圧倒的に多いと考えられる髭剃りメーカであるジレット社があえて「男らしさ」に警鐘をならすのは、商売上の「炎上」目的も当然あるでしょうが、男らしさの象徴でもある「ひげ」を「そる」ための製品を展開するメーカが「男らしさ」までも剃り落とそうとする主旨のメッセージを投げ掛けていることに、とても面白さを感じます。

 

取り上げられているテーマはセクハラとイジメですが、これらはいずれも「強い者が弱い者から搾取する」という意味では広義のパワハラであり、性が搾取される場合は「セクハラ」、肉体や精神が搾取される場合は「イジメ」となります。

 

その原因は、細かく見ていけば色々とあるでしょうが、全体としては、強い者から弱い者へと刃が向けられる「弱肉強食」の連鎖が引き起こしていると考えて間違いないでしょう。

 

上司から部下へ、男性・夫(女性・妻)から女性・妻(男性・夫)へ、親から子へ、強い子から弱い子へ・・・・という「弱肉強食」の連鎖を断ち切らない限り、明日も明後日も1年後も100年後も、必ずどこかでパワハラ(= セクハラ、いじめ、暴力、DV など)は繰り返されてしまいます。

 

「弱肉強食」を克服できるのが「人間らしさ」

そういう意味では、ジレット社の CM をなるべく広い視点で捉えるなら、単なる「男らしさ」への警鐘ではなく、「弱肉強食」への警鐘とも考えられるんじゃないでしょうか。もちろん、「女らしさ」にも当てはまることです。

 

過去記事『男女差別・不平等・格差の問題をレベル別にまとめて見えた結論』にも書いたように、人類は長い年月をかけて、この「弱肉強食」という動物的な在り方に陥り過ぎないように、制度や考え方を整えてきた歴史があるはずです。それが動物との違いであり、人間にしかできないことでもあります。

 

つまり、男女差別も含めて「弱肉強食」を克服できることに1つの「人間らしさ」を求めてきた歴史があります。

 

そう考えると、ジレット社の CM はちょっと残念であり、「男らしさ」「女らしさ」という二項対立を必要以上に煽ってしまっています。男女間の分断を必要以上に招来しかねない内容です。あるいは、もっと深読みするなら、分断大好きな同国の大統領に対する皮肉や当て付けのつもりもあるんでしょうかね。分かりませんが・・・

 

「男らしさ」「女らしさ」というのは人工的に固定された概念に過ぎず、本来は、男女関係なく、強い者が弱い者の心に寄り添い、強い者から弱い者へと手を差し伸べることこそ、もっとも人間らしい態度だと思います。

 

もっと言えば、女性よりも一般的に体力で優れた男性として生まれたこと、他人よりも優れた能力を持って生まれたこと、他人よりも高い知能を持って生まれたこと、そういったことはすべて単なる「運」「偶然」でしかないのに、そういう「強み」でもって弱者から搾取することには、何も意味がないどころか、恥ずかしいことでしかありません。

弱肉強食

資本主義の「弱肉強食」との比較

さて、上に書いた「弱肉強食」の連鎖がどこから来ているのかを考えてみると、結局のところは、成長し続けて競合との競争に明け暮れたり、持たざる者を原動力とするしかなかったり、そのような資本主義的要素で社会が成り立っていることが弱肉強食の源流でもあるんでしょうね(社会主義だと、表面上は隠された「弱肉強食」が裏側で猛威を振るうことになるんでしょうが・・・)。

 

でも、資本主義の「弱肉強食」は、曲がりなりにも「税金」という形で政府を経由して、強者から弱者へと還元されます。あるいは、強者と弱者の格差があまりにも拡がりつつある昨今は、ベーシックインカム(BI)という選択肢も現実味を帯びてきています。

 

一方、「パワハラ」という弱肉強食では、何も還元されません。パワハラの結果は、資本主義における税金のように、お金などの有形物で補償できるものではなく、永久に心に残るものです。だからこそ、人間がもっと「人間らしさ」を発揮して、弱肉強食を克服していくしかないんじゃないかと思っています。

 

でもまぁ、資本主義の「弱肉強食」も、かなり怪しくなってきてますよね。「最適な資源配分が自動的にもたらされる」という意味でアダム・スミスが残した言葉「神の見えざる手」も、ネットや SNS の発達の陰に隠れて、もはや本当に見えなくなりつつあります。マラドーナの「神の手」は、しっかりと見えていたんですけどね(余談)。

 

怪しげなオンラインサロンや情報商材は、いつも弱者に向かって発信され、弱者から搾取するために運営されます。法律には反していないとしても、そこに人類が追い求めてきた「人間らしさ」は残っているんでしょうかね。

 

 

さいごに

何十年も前に中学校に入学して、意気揚々と入部希望の部室のドアを開けてみたら、タバコの煙で真っ白な空間の向こうに、やたらギラギラした目付きの先輩が陣取っていました。また、卒業シーズンには、お礼参りをする生徒とそれを迎え撃つ先生の怒声が校内に響き渡っていました。

 

魑魅魍魎たる化け物が住む中学では、その魑魅魍魎たちのエネルギーが弱者へではなく、どちらかといえば強者に向かって発散されることを知りました。その強者へと向かう刃は、恐ろしさよりも、何となく暖か味を感じさせてくれました。

 

その後ちょっと苦労して入った大学では、中学校とは逆に、どちらかといえば弱者に向かって発散されるエネルギーが多いことを感じ、違和感とアホらしさを感じました。

 

強い者が弱い者に圧力を加える姿なんかには、何の意味もカッコよさもありませんよね。

 こ 

 

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