
2008年度に始まった「ふるさと納税」制度が、「納税意識や寄付文化の醸成」という当初の目的から随分と遠ざかって、すっかり泥仕合の様相を呈していますね。
暴走自治体にペナルティ発令
返礼品を「寄付額の3割以下の地場産品」とするよう求める総務省の要請を無視し続けて多額の寄付を「合法的」に集めた大阪府泉佐野市、静岡県小山町、佐賀県みやき町、和歌山県高野町が、特別交付税の大幅減額という実質上のペナルティを食らいました。
石田総務相は、「過度な返礼品を出す自治体へのペナルティという趣旨ではない」と述べたそうですが、ボクのような一般人の目には、ペナルティにしか映りません。
一方、ペナルティを食らった4自治体からのコメントは、以下の通りです。
大阪府泉佐野市:「厳粛に受け止め、市政運営に影響しないよう対応したい」
静岡県小山町:「今回の措置で予算割れする。厳しい結果と受け止めている」
佐賀県みやき町:「あまりにも急で素直に言って困惑している」
和歌山県高野町:「驚いている。残念だが致し方ない」
確か、総務省から「返礼品を3割以下に抑える」旨の通知が最初に出されたのは、2年前の 2017年4月であり、その後2年間、再通知や再々通知が出されたり、要請を守らない自治体名が公表されたり、色んなすったもんだがあった挙句の今回の「ペナルティ」です。
そういった様々なことを分かった上で、ひたすら無視し続けてきた結果としての実質上のペナルティですからね。自治体側からは当然、「予想通りです! がんばります!」という回答が圧倒的多数を占めるのかと思っていましたが、意外にしんみりとしたものです。これぐらいのペナルティなど、想定内だと思うのですが・・・。
とは言え、自治体は交付税のめどを立てて事業の予算組みをしていますので、今回のように年度末にいきなりルールを変更するやり方は、「不意打ち」を通り越して「だまし討ち」ですね。事前に警鐘を鳴らしていたのなら分かりますが、そうではありません。国の一機関の飛び道具の使い方として、特にひねりや深慮が感じられず、何とも残念です。
「ふるさと納税」泥仕合
そもそも、ふるさと納税の3つの理念の1つとして、以下のようなものがあります。
自治体が国民に取組をアピールすることでふるさと納税を呼びかけ、自治体間の競争が進むこと。
これに照らすなら、今回の4つの自治体は、制度(法律)の範囲内で取組を猛烈にアピールしていただけですから、理念にしっかりと沿っています。そういう意味では、なーんにも悪くないんですよね。ボクら国民も、制度を利用するだけの立場ですから、なーんにも悪くありません。目の前に商品券や肉をぶら下げられたら、そりゃ走ります。

悪いのは制度設計と、そのほころびを取り繕いながら 10年以上にもわたって制度を存続させてきた総務省であり、「自治体は国に従うもの」という「お上意識」や日本人的な「横並び意識」に頼り過ぎた結果でしょう。
これが日本でなければ、制度の隙をつく自治体が普通に現れて、制度の開始直後から返礼品競争が激しくなっていたんじゃないかと思います。10年も経てば、一切抜け駆けできないような制度へとガッチリ修正されるか、はたまた制度そのものが無くなっていたかもしれません。
日本では、10年経ってようやく制度の不備が明らかとなるような抜け駆けが発生し、それを巡って泥仕合が繰り広げられるようになりました。このダラダラ感は、日本ならではのような気もします。ある意味、平和な社会です。
制度の経緯と日本社会の変化
この制度の経緯を少し振り返ってみると、こんな感じでしょうか。
- 最初の5年間ほどは、寄付者の人数も限られており、制度そのものがほとんど知られていなかった。
- 2011年の大震災をきっかけに、制度とともに「返礼品」の存在が知られるようになって(皮肉にも)、寄付者が徐々に増え始めた。
- 寄付先を複数の自治体に分散させて返礼品をたくさんもらう「技」が広まった(⇒ その後、寄付先は制限されることになった)。
- 寄付者が増えて、自治体間の競争が激しくなってきた。
- 仁義なき返礼品競争が始まった。
こうやって振り返ってみると、返礼品なくしては広まることのなかった制度なんだろうと思えます。理想や理念はいくらでも作文することができますが、それを実際の制度として成り立たせているものが「返礼品」というのは、やっぱり何だか寂しい感じがします。
そして、上のような経緯とともにここ 10年間を振り返ってみると、この「ふるさと納税」という制度は、格差が徐々に広がりつつある日本社会の最前線をくっきりと映し出しているように見えるんですよね。
パイが大きくなっていく時代には、誰もが「横並び」のフリをして、お行儀よくお上の言うことに従っていればよかったのですが、パイが大きくならないどころか縮小していく未来がはっきりと見えてしまっては、最早かしこまってなどいられません。減りゆくパイを少しでも確保しておこうと思うのが人間です。それは、自治体もそうですし、ボクら国民もそうです。
そんなことは、誰もが経験的にしろ論理的にしろ感情的にしろ、多かれ少なかれ理解していることなんです。今後ますます、パイの奪い合いが熾烈になっていくだろうことは、誰だって頭の片隅にあることだと思うのです。
でも、そんな嬉しくない未来の予兆を、わざわざ「寄付」を標榜する「ふるさと納税」制度の中の泥仕合という形で目にしたかったかと言えば、少なくともボクは見たくなかったです。仁義なき争奪戦の未来像が「寄付」という皮をかぶってボクらの前に現れたこの「ふるさと納税」制度に、自治体も国民も、いつまで翻弄され続けるんでしょうね。
さいごに
2019 年6月から、「寄付額の3割以下」「地場産品」という要件を守らない自治体が制度の対象から外される予定となっていますが、風土も歴史も気候も立地条件も異なる自治体同士の「地場産品」を競わせることに何か意味ありますか?
お米やお肉などと、こけしや陶器などは、どうやって競えばいいんでしょうね?