テクノロジが絶え間なく進歩し、情報が一瞬で国境すらも飛び越えていくネット社会の影響などもあって、仕事環境が目まぐるしく変化する昨今、ビジネスサイクルも当然のごとく短くなるばかりで、企業の命運は「短い時間でどれだけの成果を出せるか」に掛かっています。そう、「生産性の向上」です。
生産性とサラリーマン
ここで、「生産性 = 成果 ÷ 時間」と定義します。
この生産性を上げようと思うなら、分子の「成果」を増やすか、分母の「時間」を減らすしかありません。しかし、サラリーマンの場合は、どちらにもブレーキが掛かってしまう「仕組み」が存在します。
サラリーマンの「成果」が増えない理由
バブル崩壊後から「成果主義」を導入する企業が目立ち始め、大手企業を中心に少しずつ進んでいる様子もうかがえますが、「横並び主義」「集団主義」といった日本独特の文化が定着を難しくしています。
常に他人の顔色をうかがい、ダラダラと長時間の会議で責任の分散を図り、出る杭があれば徹底的に打ちのめす文化ですから、個人の給与に差がついたりチームの輪が乱れる原因にもなる「成果主義」は浸透しにくく、また、他人を公平に評価する技量もマインドも基本的に備わっていません。
そもそも「新卒一括採用」という超横並び的な社会人のスタートは、成果主義とあまりにも相性が悪く、まずはそこを改めることが成果主義への第一歩なのではないかと思います。
いずれにしろ、努力の結果(成果)が給料などの報酬に反映されないのなら、普通の人は少しでも楽をしようとするため、仕事のモチベーションを上げたり維持したりするのが難しくなり、結果的に成果も上がりません。
サラリーマンの「労働時間」が減らない理由
今はやりの RPA などを導入して業務の効率化や自動化を図れば、労働時間は短くなります。でも、果たしてそのようなモチベーションが従業員の中に湧きおこるでしょうか?
労働時間が短くなれば、以下のようなことが起こります。
- 残業が減って、手取りも減る
- 空いた時間に、新たな仕事を割り当てられる
- 一部の社員が解雇されたり、非正規社員で置き換えられたりする
どれも労働者にとっては嬉しくないことですから、成果に対する特別な報酬や自己の成長意欲でもない限り、労働時間を減らそうとするモチベーションなど起こりません。自分の利益だけを考えるなら、パソコンを開いて仕事をしている「フリ」をするのが最も合理的です。
フリーランサーの生産性
これに対して、フリーランス(特に、請負型)の場合を経験に基づいて考えてみます。
まず、「成果」について考えてみると、フリーランスというのは完全な「成果主義」です。成果が上がれば評価も報酬も伸びていきますし、成果が下がれば評価も報酬もたちまち下り坂となって、究極的には評価も報酬も「ゼロ」になってしまいます。
体調管理やスケジュール管理も含めて、すべてが「成果」につながります。やる気と体力がある人にはもってこいの働き方である一方、一歩踏み外せば奈落の底に落ちていく恐ろしい働き方でもあります。
労働時間に関しては、基本的にそれぞれの仕事で契約した金額の報酬しか得られませんので、そもそも「残業」という発想自体がありませんし、空いた時間を仕事で埋めるかどうかも自分の裁量です。ということで、1つの仕事に掛ける時間を極限まで短くしようとするモチベーションが働きます。
つまり、フリーランサーは、成果を上げようとするモチベーションと、労働時間を短くしようとするモチベーションとが作用する結果、「生産性 = 成果 ÷ 時間」がサラリーマンと比べものにならないほどのレベルに達する場合もあります。
フリーランサーの生産性が伸びる条件
以上のように、フリーランスという働き方は、必然的に生産性が伸びていく「仕組み」になっているわけですが、そのための条件が1つだけあります。
それは、仕事が途切れないこと、です。
仕事が途切れて仕事量が少なくなってしまっては、上げられる成果も限られます。逆に、仕事が途切れなければ、自分の裁量次第でいくらでも成果を上げられますし、それだけの仕事がやってくるということは、自分がその分野で大いに必要とされていることになりますから、それ自体が仕事の大きなモチベーションとなります。
また、仕事が途切れないということは、さらに仕事を増やせる可能性も高いわけですから、1つ1つの仕事に掛ける時間を極限まで短くして仕事の数(収入)を増やそうとするモチベーションも働きます。そのためにシステムやツールなどの効率化アイテムを導入しようとするため、さらに時間短縮が進みます。
仕事が途切れてしまうと、そこまでのモチベーションが働きませんし、仕事の効率を落としてダラダラと作業を進めることで「仕事してるつもり」になろうとする心理も働いてしまいます。実際に効率は落ちると思います。
「生産性向上」という麻薬
結局、仕事を途切れさせないことが生産性の向上につながるわけですが、それは、「生産性向上」という麻薬のようなものでもあります。
サラリーマンであれば、上司や同僚からの「圧力」が生産性向上のきっかけになることがほとんどでしょうが、フリーランサーにはそのような外的要因が存在しないため、自分自身で仕組みを作らなければ、生産性は上がりませんし、大抵は下がっていってしまいます。人間とはそれぐらいに弱い生き物です。
ですので、仕事が途切れないことを1つの目標にせざるを得ない面もあるのですが、そのように自分自身を駆り立てる仕組み自体が麻薬のようなものです。
また、生産性を高くするために1つひとつの仕事に掛ける時間を極限まで減らそうとすれば、品質が疎かになる懸念もあります。生産性と品質のバランスは、特に1人で完結せざるを得ないフリーランサーの大きな課題です。
さらに、「生産性向上」という麻薬は、私生活にも影響し始めます。
まず、時間効率を最大化しようとするあまり、家事や育児なども、いつの間にか効率重視の度合いが強くなってしまい、パートナーや子どもが何でもテキパキできるタイプでなければ、強烈な不快感を与えてしまうことになります。「お金」や「効率」だけを大切にする冷たい人間に見えてしまいます。その点は、実際にパートナーから嗜められたことがあります。
また、プライベートな労働や作業も時給換算で考えるクセがついてしまうことも問題です。自分の生産性が高くなればなるほど時給(換算の収入)も高くなるわけですから、たとえば部屋の掃除をしようと思っても、「外注してその時間を仕事に当てる方が得だ」ということになり、何でも外注化が進んでしまいます。
それはそれで良いことかもしれませんし、資本主義の本質を見ている気にもなるのですが、間違うと完全に仕事中毒になります。本当は、掃除を自分でしたり、日曜大工や DIY、はたまた自治会活動や PTA 活動など、たとえ報酬が無くても、いろんな活動に心身を捧げることが精神衛生上も良いはずです。
さいごに
「生産性」という観点で、サラリーマンとフリーランサーとは、180度異なる方向を向いていることを実際に経験してみて実感しました。
ふつうは、何も考えなければ落ちていくばかりの「生産性」ですが、ひとたび「向上モード」に突入すると、それは麻薬のように人間の心身を蝕んでいくものです。
とにかく何事も中庸のバランスが大切であり、ちょうど良い平衡を探し求める日々です。