敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

引退した「元イチロー」が夢中になって遠回りした「言葉」を食べてみた

 

元イチロー 引退

 

 

とうとう、天才が自分自身の名前に「元」を付ける日がやってきたのですね。

 

会社の1階下の職場に「元イチロー」の高校の同級生がいたり、かつてメディアに引っ張りだこだった「チチロー」の姿を街で見かけたり、その程度のうすーい関係性しかないボクですが、神戸から、米国から、「イチロー」として数々の夢を届けてくれた「元イチロー」の引退会見には、やはり深い感慨を覚えます。

 

その引退会見は、後世に残る名言・金言のオンパレードだと思いますが、その中でも特に、「夢中」「遠回り」「言葉」というキーワードが心に刺さりました。こちら(↓)の文字起こしから引用させていただきますと・・・

oreno-yuigon.hatenablog.com

 

野球だけでなくてもいい、夢中になれるものを見つけてほしい。夢中になれるものが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていくことができる。

地道に、進むしかない。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあるが、でも自分がやると決めたことを信じてやっていく。それが正解とは限らない。間違ったことを続けてしまっていることもある。でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない

最低50歳までは本気で思っていた。有言不実行の男になってしまったけれど、その想いを表明してなかったら、ここまで来れなかった。難しいかもしれないけれど、言葉にして表現することは目標に近づく一つの方法じゃないかなと思います

 

こうやって、気になった部分をピックアップしてみると、この「夢中」「遠回り」「言葉」という組み合わせには、ものすごい既視感を覚えるわけです。

 

そうそう、ちょうど1年前、平昌五輪で日本の女子スピードスケート初の金メダルを手にした小平奈緒選手のインタビュー記事にも、まったくと言ってよいほど同じような境地・心境が綴られているのです。

www.overthesensitivity.com

 

両者に共通するのは、「好き」という fluffy な感情など軽く超えてしまうぐらい「夢中」になり、その「夢の中」で一般常識に左右されずに自分自身の未来を設定し、そんな自分を鼓舞する「言葉」の種をまきながら、地道に遠回りすることを厭わない、姿勢です。

 

そして、ファンや関係者に感謝しつつも、「ファンのために闘う自分」ではなく、「ファンを喜ばせるために淡々と自分にできることをやっていく」という自信に満ち溢れた姿勢も共通しているんじゃないかと思います。ファンに媚びるインフルエンサーではなく、ファンが付いていきたくなるインフルエンサーの好例です。

 

ボクが特に注目したいのは、「言葉」ですね。

 

何か大きなことを成し遂げた人というのは、自分自身を語れる「言葉」を持っていることが多いように感じます。というか、ただ単に「記録」を残すだけではなく、その記録を打ち立てた自分自身を自分自身の「言葉」で語ってくれるからこそ、そういう偉大な人たちはボクらの「記憶」となって残るんでしょう。

 

このように自分自身を語れるということは、自分自身を徹底的に客観視できている、ということでもありますね。イチロー選手が自分自身のことを「元イチロー」と呼ぶのも、そうやって自分を徹底的に相対化して客観視してきたことの現れだと思えます。

 

「イチロー」だった頃も、「元イチロー」になってからの会見でも、いつも見ていて思うのは、「自分自身のことをものすごく客観的に他人事のように話すんだなぁ」ということです。それが「感情がない」と言われる所以でもあるでしょうし、一歩引いたような話し方を毛嫌いする人がいてもおかしくありません。

 

いずれにしろ、ボクら一般庶民が決して見ることのない景色を眺め続ける天才たちは、意識が身体から離脱して、神の視座で「イチロー」や「コダイラ」といった現実世界のアバターを演じているようにも見えます。

 

ただし、元々持っていた才能に依拠してある程度の結果を残すだけではなく、それを延々と地道に続けていくには、いくら神といえども、自分自身を鼓舞する「言葉」が必要になってくるんじゃないかと思います。

 

その域に達するのに、自分自身の中での「言葉」の種まきや収穫が大きな役割を果たすとするなら、早熟化や低年齢化が進み、拝金主義が蔓延って商業化がますます進むスポーツ界で長く活躍するには、単なる筋肉バカに留まらず、いかに「言葉」を食べて血肉にしていけるかが成否のカギとなるんでしょう。スポーツ選手といえど、思考停止などしていられない厳しい時代ですね。

 

 

 

偉人が偉人であるのは、天与の才能もさることながら、それを生かすための努力ができる才能も併せ持っているからなんでしょう。

 

天与の才能もなければ努力できる才能もなく、遠回りするほどの時間も残されていない年齢となってしまったボクとしては、「元イチロー」や「現コダイラ」の活躍が自分自身の参考になることなどほとんどないのですが、彼/彼女らが吐き出す「言葉」を食べ、それを自分なりに咀嚼して後世に伝えることぐらいの役割なら、何とか担えるかなぁという今日この頃です。

 

少なくともブログは、パフォーマンスを出せていようが出せていなかろうが、続けてさえいれば「引退」の2文字を宣言する必要はありませんので、しばらくは「元・寝ずジロー」と名乗ることもなさそうです。

 

どこかにゴールがあるわけでもないのなら、それは「遠回り」ではなく単なる「移動」に過ぎず、前進か後進かもよくは分からないけれど、「少なくとも同じ場所に居続けることはない」というグレートジャーニーの縮小版のような楽しみを噛みしめつつ、です。

 

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