敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

お金を出さない「ファン」がファンでいられなくなる未来の日

 

 

体育会系音楽家や料理評論家ブロガー、仮装通過ブロガーなど、ミドル・インフルエンサーの方々が、ファンをランク分けしたり、「お金出す人だけファンと呼ぶ」とおっしゃったり、「ファンなら金出せ」とおっしゃったりする。

 

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クリエイターと呼ばれる方々が、その時代に合わせて新しいやり方を模索したり、頭の中でいろいろと構想を練ったり、感情に任せた物思いにふけってみたりするのは当然のことだと思うが、その作戦なり戦略なり感情を公然と発することに何の意味があるのか、誰が得をするのか分からない。

 

クリエイターってのは、社会に何かを問いかけてみたり、人々の魂を震撼させてみたり、あふれ出るエネルギーを抑えられなくて小爆発を起こしてみたり、そういうことさえできれば「創造主」として100%満足できる人のことなんだろうと思っていたが、最近はそうでもないらしい。

 

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まだネットも十分に整備されていない時代、1ファンとしてテレビやラジオ、雑誌の向こう側にいるアイドル(偶像)を崇拝することがファンの主な仕事だった時代、アイドルはミドル・インフルエンサー程度のレベルなんかじゃなく、まさしく神だった。ただし、神だからといって、誰もかれもが無条件にお金を出していたわけではない。

 

当然、出せるお金にも限りがあるから、自分自身を「濃いファン」と思える神にはお金を出し、「淡いファン」でしかない(と自分自身を泣く泣く納得させた)神にはお金を出さない。そうやって濃淡を付けていただけのことだ。ただ、濃淡はあれど、ファンであることに違いはない。ファンであるか否かを決めるのは、あくまでもファン自身であり、それを否定する神など存在しなかった。

 

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神としてのアイドルを支えるのがファンだ。では、クリエイターを支えるのも「ファン」なのだろうか? その「人」を愛するのか「才能」を愛するのかで若干ニュアンスが異なる気もするが、「人」と「才能」の境界は曖昧だから、「愛する」という意味において、クリエイターを支えるのも「ファン」ってことで良い気がする。

 

その才能があるかどうかを判断するのもファン自身だが、才能がある、というだけのことでお金を出すわけではない。お金を出すことって、そんな単純な話ではないだろう。そもそも、その才能が評価されるのは、今の時代かもしれないし、10年後かもしれないし、100年後かもしれない。目先のお金と結び付かないことこそが、クリエイターのクリエイターらしさなんじゃないかとさえ思う。

 

だから、目先の活動や生活にお金が必要なので「ファンは金出せ」という人を「クリエイター」呼ぶのには、少し抵抗がある。「クリエイター」という自称や他称が心地よいのは分かるが、「一労働者」と何が違うのかよく分からない。

 

「ファンは金出せ」と言えば、もともとお金を出していたファンは喜んで賛同するかもしれないが、「淡いファン」は、疎外感を感じるかもしれない。そうやって「濃いファン」を囲い込み、「淡いファン」を遠ざける「分断」が発言者にとって何かの得になるからこそ、そうやって発言しているのだろうと考えてみたが、その「何か」は「淡いファン」にはよく分からない。

 

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内なる感情や心持ちがどうあれ、「お金」の「お」さえおくびにも出さず、社会に何かを問いかけること、人々の魂を震撼させること、あふれ出るエネルギーを抑えられなくて小爆発を起こすこと、・・・そんなことに没頭し続ける人を「クリエイター」と呼びたいし、ファンになりたいし、お金を出したい。と、社会に何も問わず、魂を震撼させることもなく、あふれ出るエネルギーもない「非クリエイター」ながら数々のアイドルやクリエイターを遠くから眺めてきた立場として思う。

 

ファン(インフルエンシー)にしかなり得ない立場としては、積極的な「投げ銭」などしたいわけではなく、お金とは無縁の別次元に連れていってもらい、その結果として、「狐につままれた」ようにお金を持っていかれたい。

 

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評価経済社会の先頭を走っていると思っていた人たちが「お金」というワードを直接言及する姿に、お金を出さない「ファン」がファンでいられなくなる近い未来の日を感じた。

 

 

 

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