敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

【エンタメ地獄】視力↓より留年より中毒より怖い娯楽消費フロンティア

 

 

子どもの頃、テレビやゲームに夢中になっていたら、「目が悪くなる」と親に注意された。

高校生のころ、映画や本(漫画)に没頭していたら、「留年する」と周囲に心配された。

大人になって、高校生の甥がネット・ゲーム中毒になった(その後、持ち直した)。

 

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「エンタメ」というフロンティア

でも、本当の地獄は、こういった個人的な問題の、その先の社会の中にある。イノベーションによって開拓されるフロンティアの行き着く先にある。

 

イノベーションの源泉は、主に「便利」と「娯楽」の追求だ。昔は、「三種の神器」や「3C」などに始まる家電や自家用車を中心に、「便利」の追求が主流だった。

 

でも今や、その座は「娯楽=エンタメ」が占めるようになっている。家電や生活必需品、インフラといった便利なモノが満ち足りた結果、もう一方の源泉へと軸足が移るのは当たり前だし、仕方のないことでもある。

 

その結果、これまで「便利」の追求に向かっていた資本や資源が、「娯楽」の追求へと猛スピードで向かっている。資本や資源とともに、いわゆる「エリート層(知識階層)」の労働力も「娯楽」の追求へと向かっている。

 

資本・資源やエリート層が新たなフロンティアへと向かっていく事態も、資本主義社会だから当たり前のことである。当たり前なんだけど、「便利」を追求していたものが「娯楽」を追求するようになった結果、社会や経済の構造が大きく変わってきている。

 

「エンタメ」に奪われる身体と時間

エリート集団が「便利」に向けて注力していたころは、社会全体が豊かになり、非エリート集団の生活も当然ながら豊かになり、国全体が高度に成長して高揚感に包まれる。トリクルダウンもすこぶる効果を発揮する。そんな「便利」は、「身体の解放」とも言える。さまざまな家電製品や自動車などのおかげで、身体的な労苦が減るとともに、時間の余裕が生まれる。

 

それが、「娯楽」に注力し始めると、様相が一変する。娯楽は、心を豊かにする。「心の解放」とも言える。ただ、心が解放されるのと引き換えに、「便利」によって生じた身体的・時間的余裕が、再び「娯楽」に注ぎ込まれることになる。多くの人間は、娯楽に注ぐ余裕を調節できるが、一部の人間は、持てる余裕をとことんまで娯楽に注ぎ込もうとする。

 

そうやって注ぎ込まれたお金を原資に、エリート集団が「娯楽」に向けてさらに注力すると、非エリート集団には、その娯楽がますます魅力的に映るようになる。それまでは上手く余裕を調節できていた集団も、少しずつ娯楽のスパイラルに引きずり込まれていく。そうやってお金がさらに注ぎ込まれ、それがエリート集団にとっての次の原資となる。

 

それが分かっているから、最初はスパイラルに引きずり込まれまいと抵抗するも、いつしか無力感や諦念に襲われ、娯楽の魔力に引き寄せられ、スパイラルから抜け出せなくなる。テレビやゲームに限らず、商業ベースの力技で押し付けられる書籍(マンガ)、ニュース、アプリ、暗号通貨、SNS など、すべてが娯楽の魔力を秘めている。娯楽の要素で現実空間が量的にも質的にも飽和しており、逃げ場がどんどんなくなっていく。

 

「効率アップ」を標榜するアプリを闇雲に手当たり次第に使ってみたり、効率が良いからと SNS に耽溺してみたりするけど、それも結局は、身体と時間を奪われているだけのことが多い。だけど、その状態を俯瞰して自己評価することもままならない。

 

死ぬまで消費し続ける未来

身体的・時間的余裕をひたすら奪われるだけの非エリート集団は、知識・教養を身に付けたり、マーケット感覚を身に付けたりする機会を奪われ、こうなる。

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まっとうに生きていくために必要とされる知識のハードルがどんどん上がっている。

のに、非エリート集団にはそれと逆方向の力が働くから、当然ながら知識労働からは遠ざかる。一方の単純労働は、今は大きな調整局面だろうから、それを抜けた先に光が見えなくもないが、光と同時に低賃金外国人労働者の影も見え隠れして、予断を許さない状況が続く。

 

このように、エリートと非エリートの階層化が進もうとも、「非エリート集団が自尊心を持って暮らせる社会」さえ実現されれば、それが1つの答えになり得る。

 

それを見越したかのように、主にエリート集団の側から、「ベーシックインカム(BI)」という魔法の発想が持ち掛けられるわけだけど、これは、両集団の間に横たわる「格差」という名のフロンティアを維持しつつお金を回りやすくするために、非エリート集団に投げつけられる甘言のような気がしてくる。

 

こうやって「娯楽=エンタメ」を夢中になって頭で消費している間に、BI を必需品の支払いに充て、労働で得たわずかばかりの賃金を娯楽に充て、結局は死ぬまで消費し続けるしか選択肢のない地獄へと足元は近づいていく。胸には、エリート集団が BI とともに配布してくれた「自尊心」がほのかに灯っているんだろう。

 

こういう未来は、どうやって生きるのが良いんだろう。

 

「エンタメ」は目的ではなく手段

人工知能(AI)やブロックチェーン技術が下支えするものを含め、すべての娯楽を完全に無視して、米国と中国の娯楽戦争を傍観するのも1つだろうけど、どう考えたって周回遅れの技術後進国になってしまう。

 

月並みだけど、娯楽というのは、消費するだけの対象ではなく、たとえばマーケット感覚を身に付けるなど、学習や気付きの宝庫であり、消費を通じて何かを修得したり、得られたことを生産に回して換金したり、そこまでやって始めて「娯楽」であることを大人がよく理解し、それを次の世代に口酸っぱく伝えていくことが重要になる。それぐらいしか、非エリートの一員には思い付かない。

 

あと個人的には、娯楽の分野で世界と戦うエリート集団とは別に、世界全体が娯楽へと邁進する状況を尻目に、崩壊しつつある1次産業や「衣食住」に近い2次産業をこっそりと立て直すことができたなら、意外に未来は明るいような気もする。

 

娯楽は所詮、娯楽でしかない。

 

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