敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

サンタは何歳まで「いる」ものか? 子どもに聞かれたときの答え方

 

 

この時期に毎年思うのは、「子どもに何歳までサンタクロースを信じさせるか?」ということ。世の中を眺めていると、8~9歳ぐらいが平均のように感じる。ボクの場合は、小学5年生あたりまで信じていたように思うのだが、記憶が非常に曖昧だ。ツマMは、小学1年生ぐらいまでの夢だったらしいが、こちらも記憶が曖昧。子どもにとってはかなりの大事件のはずなのに、なぜか記憶が曖昧なのである。不思議だ。親が上手くソフトランディングさせてくれたおかげで、刺激の少ない穏やかな記憶になったからなのかもしれない。そんな気がする。

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昨日、幼稚園児のムスコNが面白いことを教えてくれた。クラス30人のうち、3人が「サンタは来ない!」と言い張っているらしい。10% vs. 90%の言い合いだから、当然90%が論破した(というか、声がデカいだけだろう)。サンタが来ると思うか来ないと思うかは、それぞれの家庭の方針だったり、兄姉に洗脳された結果だったりするわけだから、良いも悪いもないが、このようなことが論争になるのは、微笑ましいというよりは少し残念な気もする。理系人間のボクは、答えのないことで論争するのが少々苦手なのだ。一方、中学生のムスメAに聞いてみたところ、サンタが来る(予定の)クラスメートは、40人中2人らしい。こちらは、5% vs. 95%だが、言い合いになることも馬鹿にすることもなく、「信じることは良いこと」という周囲の気遣いがあったようだ。95%は、「信じていたものがある日なくなる」修羅場をくぐってきただけに、大人の対応である。わが家では、小学6年生まで、「サンタはいる」と思い込んでもらうようにしている。ちょっとした玩具や本をプレゼントする程度だが、それでも、商業主義に乗せられた親のエゴであることを否定できない。「幸せになってくれ」という思いもあるが、それ以上に、子どもの驚き喜ぶ顔を見て自分の「甲斐性欲求」を満たしている側面があると思う(「甲斐性」と言っても、子どもはサンタがくれたものと思い込んでいるわけだから、正確には「自己満足」である)。そう、親自身が満足するための一大イベントなわけである。イベントだから、それで良いと思っている。ところで、クリスマス以外にもハロウィンや正月などの「イベント」はあるが、クリスマスがやっかいなのは、子どもの「信じやすさ」に大きく依存してしまっていることだ。今はネットがあるから、10歳にもなれば自分でサンタ論争の真相を調べられてしまう。昨日は、10% vs. 90%の論争を経験してきたばかりのムスコNと風呂に入っていた時、「サンタはいるよね?」と90%側の意見を裏打ちする言質を求められた。商業主義に乗せられた自分の責任でもあるから、答えないわけにもいかない。かと言って、難しい説明を長々としても幼稚園児には分からないだろうし、分かってもらう前に両者とものぼせてしまいそうだ。少し考えた後に、「来ると思っている人には来る。来ないと思っている人には来ない」という、どこかで聞いたような無責任な回答をしてしまったが、ムスコNは言質を取れたと納得したようだ。しかし、少し不安になった。ムスコNがこのことを10%側のクラスメートに伝えてしまった場合、どうなるのか。そのクラスメートは、「サンタは来る」と信じ込むようになって、家庭の方針と矛盾してしまうのではないだろうか。「サンタは来ない」ということで一応納得しているクラスメートを混乱させてしまうのではないか。ヘンに希望を抱かせてしまうのではないか・・・。結局、のぼせる寸前まで考えたが、どうして良いか分からず、風呂から上がることになった。そして、不安に打ち勝てずに、「さっきのこと、ほかの子には言わないようにしようか」と言い掛けたその時、ムスコNの「明日から冬休みだー!」という救いの雄叫びが聞こえた。そうなのだ。今日から2週間以上、10%側のクラスメートと会う予定はないらしい。やれやれ。今年のクリスマスも何とか事なきと自己満足を得られそうだ。子どもに「信じる」ことを強いるタイプのクリスマスイベントは、各家庭でひっそりと(ほどほどに)執り行うのが丁度良いのだろう。もうすぐサンタがやってくる!

 

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