敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

【少子化問題】資本主義ゲームの「夢」と出産・育児の阻害原因との関係

 

 

年末から年始に掛けての帰省中。

 

朝日新聞が「エイジングニッポン」というシブい特集を組んでいたので読みました。価値観や家族観の変容とともに、特に若い人たちが田舎を去り、地方を去り、国まで去って、日本という国全体が少子高齢化で老け込んでいく様をレポートしています。

 

正月早々、何とも暗い話題に辟易しましたが、これが日本の現実の一側面であり、「棺桶型」人口ピラミッドの下半分が完成に近づく今後数十年は、トピックとして取り上げられる機会が間違いなく増えていくでしょうから、今から予備知識を少しずつ頭に入れておいて、衝撃を和らげるのに役立てましょう。その点では、朝日新聞に感謝しています。

日本 人口ピラミッド 棺桶

国立社会保障・人口問題研究所」ホームページより

 

「必ずしも結婚する必要はない」

そして、こちらの NHK による調査です。


30代に限れば、「必ずしも結婚する必要はない」と答えた人が9割近くにも上り、もはや旧来の結婚観や適齢期の概念などは吹き飛んでしまっています。見方を変えれば、「多くの人が個人の自由意志で人生を選択できるようになった」ということですから、そのための環境が整っていることも含めて、それはそれで良いことだとは思います。

 

NHK と別の調査では、「すぐに結婚したい」「いつか結婚したい」「いい人がいれば結婚したい」を合わせると、確か7割前後に達していたと記憶しています。一見、NHK の調査結果と矛盾するようにも思えるのですが、「いつか」「いい人がいれば」という消極的意見が大半を占めることを考えると、質問の尋ね方が異なるだけで、結局は「絶対に必要とは思わないが、可能なら結婚したい」という尤もらしい結論に落ち着きます。

 

いずれにしろ、日本で子どもを持つ場合、基本的には結婚が前提となりますので、その前提たる結婚への積極性が少なくとも若者から無くなりつつあるなら、少子化は当然進みます。

 

その点では、諸外国のように、結婚と出産を直接結び付けない「婚外子(非嫡出子)」や「人工子宮/クローン」の議論が本当はもっと進むべきなんでしょうね。というか、少なくとも、第2次ベビーブーム世代(団塊ジュニア世代)の子ども世代(現在の 20歳前後)の人口が親世代の人口の割りに全然増えなかった 20年前の時点で、さっさと徹底的な議論を開始すべきだったんでしょう。

 

少子化の原因

ちなみに、日本と同様に「婚内子(嫡出子)」が基本のアジア各国も、やはり日本と同様に合計特殊出生率が低空飛行を続けています。

 

ただし、「婚外子」を法的に担保すれば出生率が回復するのかと言えば、そんなに単純なものでもなく、「婚外子」を担保した上でそれに必要な諸制度を整えていけば、フランスのように少子化の進展に一定の歯止めがかかる可能性がある、というだけの話です。

 

欧米はアジア各国と比較して出生率が高いイメージがあるかもしれませんが、上記のフランス以外に、福祉制度が充実する北欧諸国(特にスウェーデン)、移民が多い米国などを除けば、特にドイツやイタリアなんかはアジア各国と同じような出生率です(最近のドイツは、移民の影響で回復傾向にあるようです)。

 

結局、

  1. 少なくとも表面的には平和で(戦争がなく)、
  2. 医薬の進歩で乳児死亡率が低くなり(結果、多産の必要がなく)、
  3. 資本主義に基づく自由主義や個人主義が進み、
  4. 結婚制度や税制上の少子化対策を行わなければ、

資本主義の成熟とともに少子化が進んでいくのは、当たり前の出来事でしかありません。欧米諸国は、2と3を早く迎えた分、4を考える時間がそれなりにあったため、上手に制度設計できた国は、一時的とはいえ出生率を回復させています。アジア諸国は、2と3の間が詰まり過ぎていて、何も対策できぬまま急速に少子化が進んでいった印象です。日本は、その中間でしょうか。

 

さらに少子化が進む未来

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これに人工知能(AI)やロボットが加われば、人間にはもはや、資本主義の一翼を担う「労働者」としての必要性すらなくなり、結果、子どもを生み育てる必要性もなくなります(資本家は、資本を引き継ぐ子孫を残そうとします)。人間に残されるのは、資本家が AI やロボットを使って生産したモノやサービスをせっせと消費する「消費者」としての役割ぐらいでしょうか。しかも、資本家から、政府経由でベーシックインカム(BI)を支給してもらいながら。

 

政府経由ならまだしも、どこかのネットアパレル社長のように、1億円(100万円 × 100人)のお年玉を、さも抽選であるかのように匂わせつつ応募を呼び掛けて、結局は自分好みの 100人を選抜してみたり、続編があることを匂わせてみたり、そういったマーケティングや囲い込みのついでに資本家から直接お金が配られ、それを多くの人々が有り難いとしか思わなくなる日が来るかもと思うと、ゾゾっとしますね。

 

話を戻しまして・・・

日本では東京の出生率が低く、中国の都市部やタイのバンコクなどは、東京以上に低い出生率となっているようです。つまり、資本主義の成長・成熟の最先端にヒト・モノ・カネは集中し、その中で人々は、マネーを獲得したり、競争に勝ったり、フロンティアの先頭をカッコよく走ったり、という資本主義ゲームの「夢」を見ます。あるいは、その「夢」の近くにいることで安心感を得ようとします。

 

資本主義ゲームの「夢」を見るのに必要なのは、時間です。時間だけが、すべての人に平等に与えられたリソースですから、これを如何に効率良く利用できるかがゲームの勝敗に関わります。逆に、ゲームの時間を奪い去る要素は、容易に削られていきます。その中に当然、結婚(家庭生活)や出産(育児)が含まれます。

 

今や、ゲーム(= イノベーション)の源泉は、高度成長期の「便利の追求」から、「娯楽の追求」へとシフトしており、いつ終わるとも分からない「娯楽追求」の未来に向かって、結婚や出産はますます忌避されていくことでしょう。

 

欧米にあって、日本にないもの

欧米化 タカアンドトシ

同じことが欧米諸国にも当てはまるはずですが、日本にはない制度や環境、習俗などのおかげで、少子化の進展に歯止めがかかっているように見受けられます。

 

上に書いたように、婚外子を法的に担保したり、そのための諸制度を設けたり、福祉を充実させたり、多産な移民を受け入れたり、といったことのほか、以下のようなことが日本には欠けているように感じます。

  • オープンな性(日本では、20代の4割が童貞という報告も)
  • 労働時間の少なさ
  • 暗黙の了解的な階級の存在

 

3つ目の「暗黙の了解的な階級の存在」というのは意外に重要で、1億総中流を奇跡的に成し遂げた日本は、世界に類を見ない平等国家であり、それはそれで良いことなのですが、平等社会であるがゆえに、自分の能力や適性以上に「夢」を見てしまうリスクも孕んでいると考えられます。

 

「暗黙の了解的な階級」が存在することで、必要以上に夢を見ることなく、現実に向き合って、目の前の小さくともより確かな幸福を拾いにいこうとするんじゃないでしょうか。「アメリカンドリーム」という言葉は、階級を飛び越える困難の裏返しでもあります。

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資本主義ゲームから降りた人

ただ、上に書いたような欧米的な要素がない日本でも、結婚してたくさんの子どもをもうけている家庭もあります。

 

卑近な例でアレですが、ボクの中高の同級生や大学の同級生は、少なくとも2人以上、多い人では5人の子持ちです。もちろん、独身で子どもがいない人もいますが、世の中の平均に比べて、子どもの数が多いような気がしています。

 

その人たちに共通するのは、資本主義ゲームから降りているという事実です。そのこと自体に良し悪しの別はありませんが、少なくともそのことが「子だくさん」と相関しているように感じるのです。

 

たとえば、中高の同級生は、いわゆる「ヤンキー」的な人生やライフスタイルを謳歌しており、若い頃は多少なりとも悪さをしてきた連中が、結婚して家庭に収まると、地元消防団の活動や祭りの運営に精を出すようになり、スマホや LINE など、都市部の資本主義ゲームで産み出された数々の便利ツールは利用するけれども、ゲーム自体に巻き込まれることはなく、もちろん都市部ほどの収入はないけれど、家族に囲まれて幸せに暮らしています。

 

大学の同級生で子だくさんの人は、「古風な大企業の正社員」という共通点があります。今風に言えば「社畜」なのかもしれませんし、グローバル化の波をかぶって汲々と働かざるを得ない面もありますが、環境と収入の安定度は抜群です。出世争いから一歩引いて、会社の行く末を他人任せ(!)にする姿には、平成が終わろうとしているこの時代に、昭和的サラリーマンの面影が見え隠れします。

 

アメリカンドリームを文字通り「夢」見て米国に渡った同級生も、結婚・出産というイベントごとにドリームからは少しずつ身を引き、ドイツ系企業のエンジニア職に収まって、目の前の確実な安定と幸福を得る方向に転換しました。今も幸せに暮らしています。

 

どちらも、資本主義の経済体制の中で働いていることに変わりはないのですが、ある意味、資本主義ゲームという「夢」には近づかなかったり、見ることを止めたりして、立場に応じた堅実な安定を選んだ結果、夢に注ぐエネルギーを家庭や子育てに回せるようになり、それが夫婦や家族のハッピーに帰結しているようです。

 

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資本主義ゲームから降りない人

起業・独立を目指したり、一攫千金を狙ったり、アーティストやアイドルを目指したりする人がこれに当たります。このこと自体にも良し悪しの別はなく、個人の自由を縛る権利など誰にもありません。こういう方々なくしては、イノベーションも起こらなければ、労働の供給先も増えなければ、娯楽を楽しむこともできません。

 

突き抜けてしまえば、晴れて資本家の仲間入りですから、子育ての時間をお金で買う(子育てを外注化する)なりして、資本を受け継ぐ子孫を残すようになるでしょう。

 

ただ、個人的な考えとして、このように積極的に「資本主義ゲームから降りない人」よりも、何となくゲームから降りない人の方が、圧倒的に多いんじゃないかと思っています。「夢」の近くにいて安心感を得ようとする人とも言えますし、「降りるに降りられなくなった人」と言った方が正確かもしれません。

 

それぐらい資本主義ゲームの吸引力が凄まじい、ということになります。

 

資本主義ゲームの「夢」 vs. 出産・育児

資本主義というのは、そもそもが持たざる者を原動力として成り立っており、情報環境がよりフラットになった「資本主義ゲーム」の中ではそれが増幅され、当然のごとく格差は拡がるばかりです。また、昨今のように成長重視の傾向が顕著になれば、資本主義は「利益の先食い」感が強くなり、未来ばかりを見るようになります。

 

そして、その「先食い」感を何となく肌で感じ取れるならば、利益が食い尽くされてしまった未来に、誰が子孫を残したいと思うでしょうか(資本家を除いて)。これに対して、以前、「未来なんか知らねー」と同級生に言われたことを思い出します。「今を生きる」そのヤンキー的な力強さに惚れ惚れした記憶があります。その同級生もまた、資本主義ゲームを降りた子だくさんでした。

 

子どもは間違いなく、そういう親の背中を見て育ちますが、その点では、上の NHK 調査の中に、もう1つ気になることが書いてありました。それは、「70代でも 43%しか結婚を必要と考えていない」という点です。親の背中を見て、「結婚は良いもの」と書かれている面積が半分以下だったら、果たしてその子どもは結婚しようと思うのでしょうか。

 

日本の「空気感」が少子化に及ぼす影響

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上に書いたような資本主義ゲームへの没頭とは別に、日本には、他国と違う独特の空気感があって、それも少子化の促進要因として作用しているように感じられます。

 

それは、相対的貧困が見え過ぎるようになってしまったのに、表面的には依然として、世界にも稀な平等社会であることです。

 

資本主義は本来、格差を拡げる方向に力が作用しますので、「食べられない」ほどの「絶対的貧困」ではなくとも、「隣の芝生は青い」的な「相対的貧困」が人々の心に宿ることになります。昔は、身内意識なども手伝って、青々とした芝生をわざわざ他人に見せようなどと思わなかったのが、今はネットや SNS を通じて、積極的に発信されたりしています。

 

そうなると、青くない芝生の持ち主は、自尊心や尊厳を保つのが難しくなります。それが大多数であるにも関わらず、異性の眼中からはこぼれ落ちてしまうため、恋愛や結婚の対象としても、青くない人々はますます承認を得にくくなります。

 

このような状況となっても、上に書いたような「暗黙の了解的な階級」が存在すれば、人々はそれぞれの階層の範囲で釣り合いの取れるパートナーを探そうとします。

 

ところが日本では、相対的貧困が可視化される一方で、表面的には階級など存在しない平等社会という認識が強いため、パートナー探しに際限がありません。「パートナーとしてもっと相応しい人が必ずどこかにいる」という意識を捨てきれず、永遠にパートナー探しを続けることになります。それが、「いつか結婚したい」「いい人がいれば結婚したい」という空気感であり、その結果として少子化が進展する、という構図です。

 

 

 

さいごに

人間というのは、悲しいかな出自を気にする生き物です。そして残念なことに、出自が差別の原因となるケースも多々あります。それは、たとえば「婚内子(嫡出子)」のように、一部の出自だけが法的に守られていることが関係しているように思われます。その点でも、人工子宮やクローンも含めて、出自の選択肢が増えれば良いなぁと思います。

 

その上で、自然繁殖・生殖の良さを改めて振り返ってみたいところです。

 

ヤンキー風の同級生が「未来なんか知らね―」と言っていたように、少なくとも生殖を予定調和から解放してやり、生まれてから「さて、どうする?」と考えるぐらいが丁度よく、法律や制度もそれを後押しできるような社会になれば、そこに1つの幸せがあるような気もします。恋愛や結婚はお金とするものではなく、人とするもの。

 

ボクには大したことなどできませんが、せめて我が子たちには、「結婚や育児は良いもの・楽しいもの」というメッセージを、少なくとも背中の2/3ぐらいの面積を使って伝えられるように、自らのツマラナイこだわりは捨て、パートナーを支えていきたいですね。

 

また、日本が階級社会になるのかどうかも分かりませんが、もし階級社会になったとしても、ストックを親から引き継いだり、その結果として高いフローを生み出せるようになったり、というのは単なる「運」であり、一代で財産を築いたとしても、その能力や機会を持っていたこと自体が「運」に過ぎないことをエリート層の方々に理解してもらえるような教育は、少子化問題の議論のような手遅れにはなって欲しくないですね。エリート層に入ることのないボクが言うのもアレですが・・・

 

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