敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

「自分らしく」を子どもに求めるのは酷なんじゃないかという話

 

 

昨日、ある記事を読んで少し気になり、子どもたちにこんな質問をしてみた。

進路でも、将来の夢でも、もっと些細な事でも、何でもいいから親や先生に相談した時、「自分らしくやればいい」とだけ返されたら、どう感じる?

 

幼稚園児のムスコNは、「???」

 

小学生のムスメSは、「自分らしくって、どういうこと?」

 

中学生のムスメAは、「・・・広すぎてよく分からないから、誰かほかの人に相談するかも・・・」

 

それぞれ、年相応の感じ方である。

 

大人の世界に当てはめてみるなら、たとえば相談を受けた上司が新人に対して「自分らしくやれ」と言うような場面である。新人は、これをどう受け止めるだろう?

 

次の質問。

学校などで、(「男らしく」や「女らしく」の代わりに)「自分らしく生きましょう」と言われたら、どう感じる?

 

ムスコNは、「???」

 

ムスメSは、「自分らしくって、どういうこと?」

 

ムスメAは、「・・・嬉しいような、困るような・・・」

 

それぞれの感じ方である。

 

 ・・・・・・・・・・

 

世の中には、さまざまな「自分らしく」がある。

 

「自分らしく生きる」「自分らしく遊ぶ」「自分らしく食べる」「自分らしく勉強する」「自分らしく働く」「自分らしく旅する」「自分らしく何もしない」「自分らしく辞める」「自分らしく死ぬ」・・・・・

 

・・・・・・・・・・

 

「自分らしく」というのは、大人と子どもとでは捉え方が異なるのではないかと思い、少し考えてみた。

f:id:nezujiro:20171215091451j:plain

大人(あるいは、年長者)が「自分らしく」と言う場合は、上の図の点線の中を想定していることが多いのではないか。

 

さまざまな経験を積む中で、ある程度「個」が確立し、自分の枠組みを把握するようになる。別の見方をすると、人間ってのは、生きる程に(悲しいかな)自分の可能性が狭まっていき、自分の限界を知る。

 

生きた時間と可能性の関係は、y=x^-1、ヘタすりゃ y=x^-2 だ。

 

一方の子ども(あるいは、年少者)は、「自分らしく」と言われた場合、上の図の「自分」と「自分の外」、つまり全体を想像することが多いのではないか。「自分」というものを確立している最中だから、自分と他者との区別がはっきりしていないし、可能性もまだまだ広い。

 

そのような子どもに「自分らしく」と言うのは、いきなり「点線を実線にしろ」と言っているようなもので、かなり酷な気もする。

 

大人だってそうだ。

 

「自分」が100%確立している大人なんて、そうはいないだろう。

 

「自分」と「自分の外の可能性」とを行ったり来たりしている時に、「点線を実線にしろ」と言われたら、やはり戸惑いを覚えるのではなかろうか。特に、先行きが不透明な現代は、点線を実線に変える作業がなかなか終わらない。

 

・・・・・・・・・・

 

では、大人は何と言えばいいのか。

 

ムスメAに聞いてみたら、

「・・・『自分で決めてみよう』とか、『子どもらしく』でいいんじゃない?・・・」

ということだった。

 

びっ、微妙なものだな。

 

・・・結局よく分からないが、「自分らしく」という言葉は、環境や場面、年齢や性格などによって捉え方が異なりそうだから、「自分らしく」という言葉が口から出そうになった時には、一旦ストップして、深呼吸をしてみるのが良いかもしれない。

 

「自分らしく」は、大人でも辛く聞こえる場面があるだろうから、職場などでも気を付けた方が良いのかもしれない。

 

「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」の著者であるマーク・トウェイン(Mark Twain)なら、「『自分らしく』なんてあり得ない!」と絶叫するかもしれない。

www.overthesensitivity.com

 

 

言葉は難しい。

 

人工知能(AI:Artificial Intelligence)が跋扈する未来の学校では、「人間らしく生きましょう」というフレーズが定番になっているかもしれないな。

 

 

 

- 敏感の彼方に -