敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

「勉強する意味」は、こんな本を読んで「コンテクスト」を理解すること

 

 

半年ほど前に登場して大きな話題になった本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を再度読み返してみることにしました。今も売れ続けているようなので、衆目を集めるテーマなんでしょう。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

内容については、今さらおさらいすることでもありませんが、こちらの書評に上手くまとめられていると思います。

人間がAIに勝つためには「読解力」を磨くしかない

先日惜しまれつつ世を去ったホーキング博士は、数年前に「完全な人工知能(AI)が実現すれば、人類は終焉を迎える」という意の発言をしていた。・・(中略)・・ しかし、東大合格を目指した「東ロボくん」の開発者である著者は言う。「AI が人類を滅ぼす?・・・滅ぼしません!」「シンギュラリティが到来する?・・・到来しません!」。それどころか、東大合格すら AI には無理だろうと言うのだ。・・(中略)・・ 「東ロボくん」は既に私の勤める大学の入試は十分に突破する偏差値を模試で叩き出している。では、MARCH レベルと東大との入試の間に、AI が決して越すことのできないどのような溝があるというのか。それは国語、読解力だ。AI が自然言語を読みこなすことは金輪際できないというのだ。・・(中略)・・ 実は中高生の多くが、「東ロボくん」以下の読解力しか持っていないということが調査から浮かび上がってきた。二つの文章の意味が同じかどうかを判定する問題で、中学生の正答率はなんと57%。・・(中略)・・ 他のタイプの問題でも、サイコロを転がすのと同じ程度の正答率しかなかったというこの若者の読解力の現状で、小学校からプログラミングや英語が導入されようとしているが、著者は言う。「一に読解、二に読解」と。・・(後略)

評者:伊藤氏貴(週刊文春 2018年04月12日号掲載)

 

構成としては、人工知能(AI:Artificial Intelligence)の歴史や「東ロボくん」プロジェクトの意義・概要、AI の限界などに触れた後、AI と人間との大きな境界となるであろう中高生の「読解力」の欠如ぶりについて、以下のような例題を豊富に掲載しながら説明して、

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最後に、AI 駆動社会の最悪のシナリオと、それに対する一筋の光を示唆してくれています。

 

また、AI(「真の意味での AI」)開発の中で進歩する要素技術(画像・音声認識、自然言語処理など)によって、人間の仕事が徐々に減っていく未来や、それに対抗できる人材として、フレーム(条件)に囚われず、物事の意味を理解して、柔軟に新たな価値を生み出せる「人間らしさ」の重要性が改めて強調されています。

 

この本が読めない大人や子どもたち

子どもたちが、上のような数々の例題を見ながら「できた!」「間違えた!」と楽しそうに騒いでいました。そのような姿を眺めながら、「勉強する意味や理由」があるとするなら、このような1つひとつの例題を解くことよりも、いつか本書全体を読みこなせるようになることが、その1つなんだろう、と感じました。

 

「教科書が読めない子どもたち」という若干扇動的なタイトルの一方、そもそもこの本を手に取って読んでみようという大人やその子どもの「読解力」に心配は要らないけれど、「この本が読めない大人や子どもたち」こそ、AI が跋扈する未来に「普通」の仕事がなくなって困窮することになるのかもしれません。

 

ただフムフムと読んで終わるのではなく、AI には代替できない仕事として挙げられている育児や介護の仕事と「読解力」との間に何の関係があるのか、「読解力」自体は得手不得手の範疇ではないのか、動画全盛の時代に「読解力」が決定的な差を生み出すのか、といったことに想像を巡らせることも、読解力の一要素なんでしょうね。

 

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「読解力」とは背景や文脈を理解する力

「東ロボくん」プロジェクトの結果、AI が決して越すことのできない壁として「読解力」が見えてきたわけですが、その読解力を、高校入試や大学入試という「スクリーニング」に耐えられる能力と捉えるなら、それらに関係のない道を進む場合は、「読解力」なんて不要と考えることもできます。確かに、動画で一生メシを食べていけるなら、読解力に頼らなくても何とかなりそうです。

 

でも、AI の原理と同じく「確率・統計」で考えるなら、ボクら普通の人間が普通に生きていく未来には、インターネットや AI 技術などの普及によって、同じ仕事を一生続けられる可能性は低くなり、そのような場合に、新しい仕事に入っていくきっかけの1つが「読解力」にあることは、本書にも書いてある通りです。

 

その未来は、(1)AI を利用して価値を生み出す人間、(2)それを補佐する人間(プログラマなど)、(3)そのようにして提供されるサービスを享受する人間に大きく分かれていくのでしょう。実際、すでにそのような分断が明確に起こり始めている現状です。

 

読解力とは、単に字面を追う作業ではなく、コンテクスト(背景・文脈・状況)を理解して、その後ろに見え隠れする意味を捉える作業ですから、数学や言語学、教育学、経済学などの多様なコンテクストを踏まえて論を展開する本書のスタンスは、まさに「(1)AI を利用して価値を生み出す人間」を対象にしたものと考えられます。

 

コンテクストを創る側・破壊する側

残念ながら、資本主義の世界に生きる以上、1つひとつのフロンティアとなる新しい価値を常に創造していくしか道はなく、そのような価値に結び付く新しい仕事を生み出す人間が重宝されることは、何も今に始まったことではありませんが、今後はその傾向が強まっていくのでしょう。

 

ボクら普通の人間は、そんな価値を創造するのはなかなか難しいことだけど、 新しい価値や仕事が産み出されていく中で、その波に遅れることなく乗っていけるだけの「読解力(コンテクスト理解力)」だけは、何とか維持しておきたいところです。

 

インターネットや AI 技術が恐ろしく感じられるのは、ありとあらゆるコンテクストを破壊して意味を無くし、ただ目の前にぶら下がっているニンジンにしか焦点が合わない方向へと人間を強制する力を持っているからなんだと思います。だから、コンテクストやストーリー性を大事にしたい人にとっては、そのような無味乾燥な世界が虚しく見えて、だからこそストーリー性のある商品が一部でウケるのでしょう。そう考えると、読解力ひいてはコンテクストを大事にしていれば、それらを求める人々のブルーオーシャンで優雅に泳ぐことも可能になるかもしれません。

 

ニンジンをぶら下げてコンテクストを破壊する、という点では、ふるさと納税も似てますね。

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コンテクストを創る側になるのか、コンテクストを破壊する側になるのか、はたまたコンテクストを破壊される側になるのか、ボクら普通の人間は、どんな未来を歩むことになるんでしょうね。どんな未来を歩んでいけば良いのでしょうね。

 

たとえ仕事が無くなっても、「生きること」の文脈だけは奪われたくないものです。

 

ごくごく個人的には、これまで、累計 5,000 冊以上の絵本を子どもたちに読んできました(現在も継続中です)が、それが読解力に寄与するのかどうかってところです。今のところは、寄与しているような、特にしていないような・・・。多読 vs. 深読。

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