『情報の歴史』というスゴイ本があります。
情報の歴史 - 象形文字から人工知能まで
この場合の「情報」とは、人間同士が伝達し合う「知識」のことなんですが、副題の「象形文字から人工知能まで」が表すように、人類の出現から現代に至るまでの壮大な「情報の歴史」を年代別にまとめています。
「情報(知識)」と聞くと、科学技術が中心のように思えますが、そうではありません。要は、人類の歴史とともに世界と日本で起こった様々な出来事を、テーマと年代のマトリクスで一覧表にしたものであり、その点では「人類の歴史」と言えます。
実際にページを開いてみると、およそ 7000 万年前の「白亜紀末期、恐竜絶滅、哺乳類台頭」に始まり、1995年12月の「神戸製鋼、ラグビー日本選手権7連覇」で幕を閉じています(1996年発行の書籍であるため)。
この2つを見ても分かるように、とにかく人類に起こった主要なすべての出来事を 500 ページほどにわたって羅列しているスゴイ本なのです。
面白いのは、社会学者として有名な東大名誉教授・上野千鶴子氏、法政大学の現総長である田中優子氏、テレビでもお馴染みの博物学者である荒俣宏氏が執筆協力していること。その他、音楽・芸術、建築、哲学・思想、数学、デザイン、企業・産業、医学、風俗などなど、ありとあらゆる分野の多くの著名人が協力して出来上がった本です。
パラパラとページを繰りながら、「よくこれだけの情報をまとめきれたものだ」と感心します。これ1冊で、人類の歴史をざっと俯瞰することができます。人間って、すごいものを作り上げるものですね。
そして、副題の「象形文字から人工知能まで」です。
つまり、1996年の発行時点で、情報の伝達媒体の最終形態を「人工知能(AI)」と見定めているわけです。その 20 年後の今、AI がインフラ化しようとしているこの時代から振り返ってみても、そのセンスや先見性には一角の輝きがあります。
労働の歴史
その AI の勃興で失われる仕事が出てきたり、ブラック企業による人材の使い捨てが横行していたり、より人間らしい生き方を求める「働き方改革」が提唱されたり、昨今は「労働」に注目が集まっていますが、これは労働というものが人類と切っても切り離せない関係にあり、1人ひとりの自己実現・自己表現に結び付く重要な行為だからです。
なので、「情報の歴史」とは「人類の歴史」であり、「人類の歴史」とは「労働の歴史」とも言えます。

この「労働」の観点で『情報の歴史』を眺めてみて、やはり特筆すべき年代は、イギリスで世界初の労働組合が組織され、アダム・スミスが『国富論』を世に送り出した 1776 年でしょう。「神の見えざる手」というあまりにも有名なキーワードを残した一冊です(マラドーナは「神の手」ですからね。見えています!)。
「神の見えざる手」というのは、市場に参加する誰もが道徳的・利他的に行動しようなどと意識していないにも関わらず、資本主義の自由競争の結果として、最適な資源配分が自動的にもたらされることです。「人間による計画経済」を標榜してきたソ連が1991年に崩壊したことからも、「神の見えざる手」が如何に人間離れしているかが分かります。
「神の見えざる手」の崩壊

でも、1776 年から 200 年以上にわたって上手く機能してきた「神の見えざる手」が今や、完全に機能不全に陥ろうとしています。
それは、『情報の歴史』の副題「象形文字から人工知能まで」にあるように、情報(知識)の伝達媒体が人間から AI へと移り変わり、製造業においてもサービス業においても、人間の介在が不要になりつつあるからです。
かつて「神の見えざる手」が上手く作用してきたのは、投下資本に対して労働が常に不足していたからです。労働者は、「労働」「消費」の両面で資本家に圧力をかけることができますが、特に労働が希少な時代には、「労働(ストライキなどを含む)」によって資本家の暴走を食い止めることができました。
ところが今や、IT や ICT 関連の高度な仕事と低賃金の肉体労働では人手不足が目立つものの、事務職など多くの人が携わる「普通の仕事」は、システム化や AI の導入などによって、労働が過剰になっています。こうなってくると、労働者が「労働」によって資本家に圧力をかけることができなくなります。
一方、「消費」の面で資本家に圧力をかけようにも、AI をベースとする広告やレコメンド(おススメ)の力によって、消費を強制されているような状況です。もはや、「労働」「消費」いずれの面でも資本家の暴走を止めにくい状況となっています。
今は AI の進化が目立ちますが、ロボット技術がさらに進めば、低賃金の肉体労働も人間から奪われるようになるため、「神の見えざる手」は本当に見えなくなってしまいます。
「生産性向上」が無意味になる日
資本家は、過去何百年にもわたって、競合相手との競争に勝ち、消費者を囲い込むため、生産のためのインプットに対するアウトプットの割合を高める努力をしてきました。つまり、「生産性向上」をひたすら追い求めてきたわけです。
その究極のゴールが、AI とロボットによる人間の代替です。モノやサービスの生産においてもっともコストが掛かり、採用や配置の調整に手間がかかるのは「人間」という労働力ですが、これを完全に AI とロボットで置き換えられるようになった時、資本家 vs. 労働者の闘いはついに終焉を迎えます。
その日が来たら、「生産性向上」という言葉の意味すら、無くなってしまいます。
資本家や富裕層がベーシックインカム(BI)に賛同する理由
働かなくても毎月一定額の現金が支給されるわけですから、労働者にとっては垂涎物のアイデアですし、実現すれば天国のような社会が実現するのかもしれません。
ただ、労働者がこの仕組みを望む気持ちは分かるのですが、実際には意外にも、資本家や富裕層の間で BI に賛同する声が大きくなっています。その理由として、以下2つが考えられます。
- 経済的格差に苦しむ人々の怒りの矛先をかわすため
- お金を回して資本主義経済を維持するため
AI やロボットを導入すれば、究極的には「∞」の生産性でモノやサービスを生産できますが、それを消費するのはあくまでも人間です。消費する人間にお金がなければ、経済は回りませんし、経済が回らなければ、資本家や富裕層の大好きな「資本主義ゲーム」も不可能になってしまいます。
ですので、資本家や富裕層は意識的にか無意識的にかは知りませんが、上記2つのうち特に後者の必要性を直感的に感じ取って、BI 賛同の声を上げている可能性が高いと考えます。
そのような BI が導入された暁には、ボクら庶民は、生産のための労働力としてはほとんど期待されず、お金を回す媒体としての役割しか持たせてもらえなくなります。今は、そのような社会に向かう過渡期・分岐点にあるように思います。
「消費リテラシ」の時代
人間が AI やロボットに置き換えられて、もはや労働力として期待されなくなるのなら、「労働」面で資本家に対抗することは不可能になります。特にヨーロッパでは、FAANG(ファアング:Facebook、Amazon、Apple、Netflix、Google)といった大企業や大資本に対する規制を強化して労働者を守ろうとする動きもありますが、「労働」の側面だけでは限界があります。
ならば、残った「消費」の側面で対抗するしかありません。
そのためには、資本家や富裕層が何を目指しているのかを大局的に捉えたり、AI や BI を念頭において、1人ひとりの消費が「大資本からのお金を回すだけの作業」になっていないかどうかを直感的に判断したり、そのような「消費リテラシ」が今後重要になってくるんでしょう。幅広い教養が必要です。
一部のインフルエンサーの間では、「教養」が クソ 不要扱いされていますが、ボクは逆に、幅広い教養に基づく「消費リテラシ」こそ、自らを助ける武器になると確信しています。