敏感の彼方に

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アニメ『ぼくらの7日間戦争』の原作本が圧倒的に面白い|クチコミ解説

 

 

 

1985年に書き下ろされた青少年向け文庫小説『ぼくらの七日間戦争』は、もう読みましたか? 1988年には、宮沢りえの主演第1作として映画化もされ、大きな話題を呼びました。

 

原作が出版された 1985年と現代の子どもを取り巻く環境を比較してみると、類似点や相違点がいろいろと見えてきます。そして、1985年当時よりも今の方が、子どもはもちろん大人にも、多くの教訓が含まれているように感じられると思います。

 

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全共闘世代として学生運動(東大安田講堂事件)に関わった両親の影響を受けた中1の相原徹少年が、級友の菊地英治少年とともにクラスの男女全員を誘って「解放区」と銘打った工場の廃屋に立てこもり、私利私欲や建前や管理ばかりを重んじる体制側(教師や親)と7日間にわたって対峙する様子を熱く書き上げた小説です。

 

初出版から30年以上経ちしましたが、その内容は今も色あせることなく、何度読んでもその面白さは変わりません。誰もが一度は通る青春の1ページとして、水滸伝のようにそれぞれが特技・個性を持つ少年少女の行き場を失ったエネルギーがここぞとばかりに発散される様子は何とも痛快です。現役の中高生にはもちろん、青春時代を忘れてしまった大人にも、「管理や支配からの解放」を考えさせてくれる良書です。

「みなさん、わしは瀬川卓蔵と申します。年は七十歳です。よろしく」

・・・

「さっき聞いたところによると、諸君はおとなたちと戦をするそうだね」

・・・

「えらい奴が、立派なことを言うときは、気をつけが方がいい」

「じゃ、総理大臣が言ったら」

「あぶねえ、あぶねえ。政治家が子どものことに口出しして、ろくなことはねえ。ほら、最近言ってるだろう。少女雑誌に有害なのがあるとか」

 

学校での体罰や部活のパワハラが割りと当たり前の時代背景に、今では考えられないような暴力の過激な描写を含みつつ、太平洋戦争や学生運動、管理教育、少子高齢化問題など、過去から未来に掛けての様々な事象や問題も織り交ぜられており、昭和~令和にかけての日本の社会・文化の流れを大まかに感じ取ることもできます。「恍惚」という美しい表現にも出会えます(認知症の意味です)。

 

本書の出版は 1985年ですが、その前後にはこんなことがありました。

  • 1983年:伊武雅刀『子供達を責めないで』(作詞:秋元康)リリース
  • 1983年:TVドラマ『積木くずし』放送
  • 1984年:TVドラマ『スクールウォーズ』放送
  • 1985年:尾崎豊『卒業』リリース
  • 1985年:TVドラマ『たけしくん、ハイ!』放送
  • 1986年:TVドラマ『妻たちの危険な関係』放送


子供達を責めないで

 

1985年といえば、今年で38年連続となる少子化が始まった1982年から3年ほどが経過し、誰もが信じて疑わなかった「Japan as No.1」に陰りが見え始めた頃でもあります。

www.asahi.com

 

離婚件数(離婚率)も目立って増え始めた時期です。

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日本の成長がピークを打つ中、「亭主元気で留守が良い」的なサラリーマン家庭の無理が限界を越えた「ほころび」が家庭内不和となって顕著になり、夫婦間の確執が子どもに対する忌避感なり「お荷物」感となって、子どもを愛し慈しむというよりは、子どもを管理することが「正しい子育て」と考えられるようになり、そのような家庭環境で少年少女時代を過ごした団塊ジュニア世代が結局は、家庭や家族というものに理想も夢も見られなくなって、経済の停滞とともに第3次ベビーブームが幻となる、その起点となった時代です。

「そうかなあ。君は安田講堂が陥落するときの、最後の放送をおぼえているか?」

「おぼえてるわ。われわれの闘いは決して終わったのではなく、われわれにかわって闘う同志の諸君が、ふたたび解放講堂から時計台放送を再開する日まで、一時この放送を中止します」

「しかし、いまの大学生を見てみろよ。もう権力に反抗するエネルギーなんて、これっぽっちもありゃしないぜ。高校生はどうだ?これは大学の予備校になりさがっている。中学生だって、三年になれば教師の言いなりだ。騒いでいるのは、少しばかりのつっぱり。これは、非行というレッテルをはって隔離してしまう。結局、おれたちのあとからやってくる者は、だれもいないってことさ」

 

ただし最後は、「我々は玉砕の道を選んだのではない」という安田講堂の壁に書き残された落書きを引用しつつも、安田講堂事件から15年経った時代の子ども(中学生)らしく、7日間にわたって大人を翻弄し続けたことがまるで夢の中の出来事でもあったかのように、重々しさなく軽い筆致で描写されています。作者には、このような解放行動というものが、発展途上の中でしか追い求められない一度きりの幻想という予感があったのかもしれません。

 

* * *

 

以上のように忌み嫌われた「管理教育」「管理社会」というものは、もちろん3次元世界の「体制 vs. 解放」という構図の中で忌避される対象だったわけですが、現在はどうかというと、ネットやゲームなどの2次元世界にエネルギーのはけ口が発見された結果、特に日本では、3次元世界でわざわざ「体制」に立てつこうなどという空気は、ほぼ無くなったように感じられますね。

 

そもそも、「管理」に疑問を感じるのは全体の1割ほどに過ぎず、残り9割の人々は、管理されることをラクに感じ、どちらかといえば管理されることを歓迎する傾向もありますので、2次元世界で十分に満足できてしまう今の時代は、体制に反抗することがますます難しくなり、「自由への解放」など、夢のまた夢となるわけですね。

 

そうやって、米国、中国、ロシアなどのように、一部の為政者や企業家が IT・AI 技術でもって強力に「管理」してくれることをむしろ有り難いと感じ、管理されていることすら気付かなくなる「マイルドな管理社会」が着々と築かれていくんでしょう。

 

でも、別にアナーキストになれ、とまでは思いませんが、わずか数十年前まで、管理されることに対して徹底的に抗い、大きなシステムに取り込まれて歯車になることを徹底的に拒否しようと熱くなれる時代があったことを、中高生を含む若者には知識として持っておいて欲しいですね。そのために、この『ぼくらの七日間戦争』は丁度よい本です。お利口なフリをして勉強だけしていても、それでは「システム」の中だけでしか生きていけません。システムの外側に「正しく」飛び出す知恵が必要です。

 

受験も就活も、大人が用意した巨大な「システム」に子どもや若者を取り込む手段です。それをそのまま鵜呑みにするのではなく、システム側(体制側)の意図をじっくりと考えてみたり、ときに反抗してみたり、場合によってはシステム(体制)を利用してみたり、いつもシステムと自分とを客観的に対比させることが大切です。

 

www.overthesensitivity.com

 

このことは、ボクら大人にとっても重要なことです。子どもが大人の背中を見て育つってことは、1985年当時も今も、何ら変わることのない事実ですからね。

 

 

 

本書の最後、子どもたちが「解放区」から忽然と消えた場面。

「・・・ 親だったら、子どもの幸せをねがわない者はいないと思います。しかし、実はわれわれは、子どもを幸せにしようとしながら、不幸にしているという、思いちがいをしているのではないでしょうか?」

「それ、どういうことですか?」

「われわれは、子どもを “いい子” にしようとしています。われわれのいう “いい子” とはなんでしょうか? それは、おとなのミニチュアですよ。つまり、おとなになったとき、社会の一員として、役に立つように仕込むのが教育なのです」

「たしかに、それが期待される人間像かもしれません」

「これは、おとな優先の発想です。身勝手とは思いませんか? われわれは、一度だって、子どもの目で世界を見たことがあるでしょうか? 子どもは、おとなの囚人ではないのです」

「わかりますよ。あなたの言いたいことは。しかし・・・」

「神は、だからわれわれから子どもを奪われたのです。いまとなっては、悔い改め、神に祈るしかないでしょう」

 

子どもは何のために生まれ、何のために存在するのか? 少子化や児童虐待や教育改革の問題について、深く深く考えさせられます。

 

 

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