敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

[なぜ働く?]人工知能AIに勝つ答え「そこに仕事があるから」

 

 

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以前、ムスコNに詰め将棋の本を貸してあげたんですが、何故かツボにはまったみたいで、たまに勉強しています。まだ、まともに字を読めませんが、字を読めなくても遊べるのが将棋の良いところです。

 

そんなムスコNと将棋を指しました。

 

目標とは?

ムスコNは、幼児にしては頑張るのですが、どこまで頑張れるのか見てみたいので、ギリギリの攻防になるように手加減します。

 

そして、せめぎ合いの中、ムスコNは形勢が悪くなると、ボクがトイレで中座しているすきに、盤面を反転させてボクの形勢を悪くしたり、「あっ、空からバナナが降ってきた!」と言って、ボクが上を見ている(フリをしている)すきに、駒を好きなように動かしたりします。

 

その心は、とにかく勝ちたい!です。

 

これが人工知能(AI:Artificial Intelligence)であれば、「勝ちたい」と思うわけではなく、「勝つ」という課題を与えられ、将棋という枠(ルール)の中で、その課題を解決しようとするだけです。

 

人間が人工知能と違うのは、「勝つ」という目標を設定し、ルール違反も視野に入れながら、その目標に向かってあの手この手の創造力を働かせる点です。

 

人工知能(AI)には身体がない

現在、人工知能(AI)を搭載した自動運転の車の開発に世界中の自動車メーカがしのぎを削っています。もう、高速道路では人間の介在が不要なレベルまで、自動運転技術は進歩しています。

 

その中で、特に倫理面において、「自動運転技術によって交通事故の死者数を大幅に減らせる」という議論と、「人工知能を備えた『機械』に人が殺されてよいのか」という議論があります。

 

このような議論において、なかなか着地点が見出せないのは、前者がマクロの視点であり、一人ひとりの人間から離れた「数」の論点である一方、後者がミクロの視点であり、より人間に近い論点だからなのでしょう。

 

社会全体としては、交通事故の死者数が減る方向に何の異論もないはずです。

 

日本の年間の交通事故死者数は、4千人前後です。過去数十年で大幅に減ってきているとはいえ、まだたくさんの犠牲の上に成り立っているのが自動車というテクノロジです。そんな自動車が社会に受け入れられているのは、自動車の便益がリスクを上回っていると社会全体が暗黙的に了解していることと、「加害者も人間である」という一種の信頼感(妥協?)とが長い歳月を掛けて培われてきたためです。

 

上の「機械に人が殺されてよいのか」という問題は、「加害者も人間である」という信頼のようなものが一気に崩れてしまうことに対する警戒感の現れです。たとえば、人手を介さないエレベータという「機械」に年間4千前後もの命が奪われるとしたら、大問題になるはずです。

 

ここまで考えると、自動運転車の核となる人工知能の難点として、「身体を持っていない」ことが挙げられます。身体がない限り、痛みや身体の不具合を経験として感じようがありません。

 

自動運転に限らず、「身体がない」という人工知能の難点は、今後、人工知能が人間に取って代わっていくあらゆる場面において、中心的な論点になるはずです。

 

人工知能(AI)は意味を理解しない

人工知能(AI)の特徴(難点)として、身体を持っていないことのほかに、意味を理解していないことも挙げられます。そのことが端的に現れるのは、やはり言語や翻訳の分野でしょうか。

 

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仕事で技術文書や特許文書に触れる機会がありますが、「この英語(日本語)は、人工知能には翻訳できないだろうな」と思う文章によく出会います。

 

もちろん、会話レベルの翻訳であれば既に一部実用化されていますし、定型文であれば、学習すればするほど正しい翻訳結果が得られます。

 

でも、文構造が複雑になり、定型文がないような状況では、関係代名詞や前置詞の掛かる先を文章からだけでは判断しようがないケースに多々出会います。

 

そのような場合は、たとえば構造技術に関するものであれば、頭の中で構造を分解したり組み立てたりして、技術的に正しい訳を考えます。あるいは、技術的な「意味」を考えて、完成した訳文が技術的におかしくないかどうかを判断します。身体がなく、意味を理解していない人工知能には、なかなか厳しいことです。

 

少なくとも今のところ、意味を理解しない人工知能にできるのは、過去のパターンを学習して対応できる会話レベルの翻訳程度、ということになります

 

人間の役割

以上から、人工知能(AI)が真似できない人間らしさとして、

  • 既存のルールに縛られず、能動的に目標を持つ
  • 身体を使わないとできないことを重視する
  • 意味を理解しないとできないことを重視する

といったことが人間の当面の役割となってきます。

 

「人工知能が発達した世の中は、古代ギリシャに近くなる」とよく言われるのは、産業革命を通して人間が発明してきた実にさまざまな「仕事(=人生の暇つぶし)」が人工知能の仕事になり、人間はまた、人工知能が真似できないスポーツや哲学(アート)に興じるようになると予想されるからです。

 

 

人間の仕事が人工知能に奪われる?

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ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)も、カール・マルクス(Karl Heinrich Marx)も、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)も、未来の労働時間は短くなることを予測していました。

 

ただ、産業革命以来、確かに世界中で労働時間は短くなっていきましたが、それも 1980年代まで。その後は、特に先進国で、過労がしばしば問題になるほど労働・仕事が重視され、現在に至ります。

 

その一方、今後は人工知能(AI)との競争にさらされ、多くの仕事が人工知能に奪われていく、というどこまでがホントでどこからがウソなのかよく分からない未来予想図が喧伝されています。

 

まず考えられることとして、単純な事務処理や計算、データ解析など、身体のない人工知能であってもこなせる仕事には、確かに価値がなくなるでしょう。

 

このように身体を持たず、目的(課題)を設定できない現行の人工知能の枠組みでは、人間を代替できる仕事の種類も限られるでしょうが、それでも、ある程度の仕事は人間から人工知能へと移っていくと考えられます(実際、世界のあちらこちらで、少しずつそのような事態が進んでいます)。

 

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人工知能(特に、ディープラーニング(深層学習)などの機械学習)は、「探索」と「評価」という行為を駆使して、画像・言語・音声などを人間のように処理したり、将棋や囲碁などのルール(フレーム)が定まった範囲内で人間のような処理を行ったりします。

 

 

現在最強の将棋プログラム「ポナンザ」の作者によるこの著作にも書かれているように、人間の知的活動に見られる PDCA サイクル(Plan - Do - Check - Action (Adjust))のうち、人工知能が得意とするのは Do(実行=探索)と Check(確認=評価)です。

 

しかし、たとえば「複数のディープラーニングをつなげたディープラーニング」によって、人工知能が Plan(計画=目的)や Adjust(調整=意味づけ)も担う可能性が示唆されています。

 

人間の仕事が今すぐ人工知能に奪われることはありませんが、少しずつ奪われていく流れは、止めようがないと思った方が良いのかもしれません。

 

スラッシャー(Slasher)やパラレルキャリアの可能性

そのような中、価値の差別化を図るには、人間の欲求や感性により近い創造性、サービス(おもてなし)、それらを統括する経営管理の能力が必要となります。

 

より人間に近い領域を価値の源泉とするなら、哲学や心理学の知識が必要となりますし、それらを統括するため、経済学や経営学、プログラミング(アルゴリズム的発想)なんかも重要となるでしょう。また、勉強ばかりでなく、遊びも重要です。遊びこそ、人間らしさの1つですからね。

 

そして、これらを個々の知識として放置するのではなく、「広く浅く」互いに結び付けてシナジー効果を発揮させてこそ、人工知能(AI)が真似できない問題設定や問題解決に到達できるはずです。

 

ところで最近、スラッシャーパラレルキャリアといった働き方が注目されています。スラッシャーとは、この(↓)スラッシャー(Thrasher)ではなく、

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肩書にスラッシュ(/)が入っている人を指すスラッシャー(Slasher)です。

 

たとえば、「代表取締役/チーフエディタ」、「会計士/FP」、「プログラマ/Webデザイナ」など、複数の役職・仕事をこなしている人のことです。

 

主にネットやウェブの普及に伴って、1人で複数の仕事を掛け持ちできるようになりました。組織よりも個人が尊重される風潮の下、その個人に「箔」を付ける意味合いもあって、「スラッシャー」を名乗る人が増えています。会社員の場合もあれば、フリーランスなどの場合もあります。

 

「スラッシャー」に似た分類として、「パラレルキャリア」というのもあります。こちらは、1人が複数の名刺を持ち、プロジェクトやクライアントとの関係に応じて名刺を使い分けるイメージです。

 

最近では、少しニュアンスは異なるものの、複数の仕事を掛け持ちする「副業」が注目を集めており、政府も推進する立場です。人工知能が跋扈する未来を見据えてのことかどうかは分かりませんが、「広く浅く」という時代の流れに多くの人は乗っからざるを得ないのかもしれません(もちろん、1つのことを深く掘り下げることで人工知能との差別化を図れる分野が完全に無くなるわけではありません)。

 

 

 

ベーシックインカム(BI : Basic Income)の可能性

今後、人工知能(AI)のおかげで経済全体の規模は大きくなるでしょうが、雇用は停滞または減少し、人工知能を介して格差が広がることが予想されます。

 

つまり、人工知能を使いこなすエンジニアや人工知能の無人工場を所有する資本家が格差上位となる一方、人工知能に仕事を奪われた人は格差下位へと追いやられてしまいます。

 

格差の状況がひどくなり、そのまま放置されると、下位の人々は消費に回すお金がありませんから、結局、消費需要がしぼんで経済自体も縮んでしまいます。

 

この状況を打開するため、政府が生活に必要な最低限の現金を全国民に支給するベーシックインカム(BI : Basic Income)の導入がかなり現実味を帯びてくると考えられます。

 

人類は、必要最低限の現金をもらえ、労働するにしても短時間で済む、というバラ色の世界が待っているような気になります。

 

しかし、この世界は、人工知能を介して、ベーシックインカムをもらう側が格差上位に隷属する構図です。格差上位にとって、ベーシックインカムをもらう側(格差下位)は、貨幣経済社会において貨幣を流通させる(経済を成り立たせる)だけの一媒体に過ぎなくなります。

 

ベーシックインカムと言えば、人間を労働から解放する魔法のように言われることもありますが、消費需要の維持が主目的であることを考えると、「搾取」が「隷属」に姿を変えた灰色の世界にも思えてきます。 そもそも、労働から完全に解放されることが本当に幸せなことなのか、という疑問も残ります。

 

なぜ働く?「そこに仕事があるから」

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有名な逸話ですが、イギリスの登山家ジョージ・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)は、「なぜ、エベレストに登るのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Because it's there)」と答えたそうです。

 

この答えは、「エベレストがある」という事実を言っているだけで、目的を述べているわけではありません。この「無目的」こそ、身体から自然に湧き起こる真に能動的な人間らしさなんだと思います。

※ マロリーは、応答が面倒だから単に「そこにエベレストがあるから」と答えたとも言われており、そこまで持ち上げない方が良いのかもしれませんが・・・

 

人工知能(AI)は、いつか「目的設定」や「意味づけ」も出来るようになるかもしれませんが、身体に根差した感覚、つまり身体から湧き起こる「無目的な目的」までは、まだ理解できないでしょう。

 

過去記事にも書きましたが、2015年に内閣府が働く目的を調査したところ、「お金のため」を筆頭に、「務めを果たす」「能力を発揮する」「生きがい」などの回答が並びました。これが現実であり、誰にとっても(人工知能にとっても)明確な「目的」ですね。

www.overthesensitivity.com

 

でも、人工知能を強く意識するなら、「そこに仕事があるから」という「無意味で無目的な目的」こそが望ましい回答なんじゃないでしょうかね。

 

まとめ

人工知能(AI)が人間の仕事を奪うような未来には、人工知能が真似できない人間らしさとして、「目標」「意味」「身体」というキーワードが重要になります。

 

しかし、人工知能が目標設定や意味づけまで出来るようになったら、人間に残るのは、身体から自然に湧き起こる「そこに仕事があるから」という回答しかありません。

 

そんな未来には、「そこに仕事があるから」とつぶやきながら、ベーシックインカム(BI)に抗いつつ、「広く浅く」さまざまな分野に関わっていきたいところです。

 

 

 

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