敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

お金は「感情」が乗ってるか否かで区別するのが分かりやすい

 

 

数日前、ある才能発掘系ブロガーがベトナム行きの飛行機に乗り損ね、往復の航空料金が別途必要となり、polca(クラウドファンディングの一種)で支援を呼びかけたところ、短時間で必要以上の募金が集まったことが話題になった。

 

このブロガーは、懐事情が厳しいわけではない(と推測される)ため、主にその点が論点となって、「自業自得 vs. 感情の共有」という論争が繰り広げられた。

 

このような論争がすぐに勃発する理由は簡単で、それは、正解がないからだ。

 

正解はないのだが、今回の騒動を見るにつけ、

お金は、「感情」が乗ってるか乗ってないかという単純な区別で分かりやすくなる

という考えを改めて強くした。

 

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今後は、好むと好まざるとに関わらず、お金そのものよりも Twitter のフォロワ数やブログの PV 数などに価値が置かれ、その蓄積たる「信用」をベースとして経済が回っていく「評価経済社会の様相が強くなっていくと考えられるため、そのような社会での「お金」の考え方を整理してみたいと思う。

 

「感情」が乗っているお金と乗っていないお金

今回の「飛行機乗り損ね」騒動に関して言えば、当のブロガーが自ら述懐しているように、支援者が支援しようと思った理由は、主に以下2つである。

悲しみを共有して、笑って昇華できるようにしたい

直接支援する以上の価値を最終的に与えてくれると期待したい

 

つまり、前者(理由1)は、コミュニケーションの一環であり、お金を介して「感情」をやり取りすることが目的だから、その結果として移動するお金は、「感情が乗っているお金」と言える。一方、後者(理由2)は、支援の見返り(リターン)を最初から期待している点で、その結果として移動するお金は、「感情が乗っていないお金」と言える。

 

そして、この2つの理由のいずれにも与しない人が、今回の騒動の「アンチ」ということになる。つまり、このブロガーとのコミュニケーションにもブロガーからの見返りにも期待できない人は、「別に懐事情きびしくないでしょ?」という別の感情が先に立ってしまう。当然といえば当然のことである。正解がないのだから。

 

「感情」が乗っているお金

ここで、「感情が乗っているお金」を別の視点で考えてみる。

■ 別の言い方

寄付(「共助の精神」に由来するお金)、投げ銭、嗜好支出

■ 具体例

今回のような支援(上記「理由1」の場合)、募金、ふるさと納税(返礼品を伴わない場合)、嗜好品(好きなモノ)の購入、など

■ 説明

「感情が乗っている」というのは、基本的には見返りを一切期待せず、気の向くまま嗜好のままにお金を使うことである。「基本的に」と書いたのは、たとえば寄付において、相手からの見返りを期待しない代わりに、自己満足を得たり、名誉欲を満たしたり、偽善・売名のためであったり、という側面が否定できないためである。

 

東日本大震災の復興支援ボランティアで、俳優の杉良太郎さんが「偽善や売名と言われることもあると思いますが・・・」というインタビューに対して、

「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々も、ぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」

と男前に回答したエピソードはあまりに有名だ。カッコ良すぎる。そう仰る杉様は、おそらく偽善や売名の意図などまったくない。ないから、こう言える。

 

たとえ自分自身に対して「偽善」や「売名」などの期待をしようとも、相手に対しては何ら見返りを期待しないことが、「感情が乗っているお金」の最低条件と考えられる。

 

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「感情」が乗っていないお金

次に、「感情が乗っていないお金」を別の視点で考えてみる。

■ 別の言い方

投資、義務的支出

■ 具体例

今回のような支援(上記「理由2」の場合)、一般的な投資・納税、ふるさと納税(返礼品を伴う場合)、公共料金の支払い、など

■ 説明

「感情が乗っていない」というのは、見返り(リターン)を期待してお金う使うことや、水道光熱費の支払いなど、必要に応じて仕方なく義務的にお金を使うことである。

 

ただし、投資というのは、感情に左右されることなく、純粋に見返りが期待できるか否かで判断されるべきものだが、実際には人間のやることだから、感情を一切排除することはなかなか難しい(そんな人間に取って代わるかのごとく、最近は、人工知能(AI)が投資判断する「ロボアドバイザー」が勢いを増している)。

 

「感情」の有無で区別した方が分かり易い

以上のように、今回の「飛行機乗り損ね」騒動で支援した人は、「感情が乗っているお金」を出した人と「感情が乗っていないお金」を出した人に大別されるわけだが、両者が混在していることで話がややこしくなっている感じがする。

 

ブロガーの本心は分からないが、たとえば「悲しみを共有して、笑って昇華できるようにしたい」という感情(理由1)だけに訴えた方が、スッキリと分かりやすかったのではなかろうか。もっと言えば、最初から「売名・話題作りでやるぞーっ!」と宣言して、「感情が乗っているお金」だけを集めるようにすれば、出し手は「ああ、そういうことね」と納得して、賛同する人だけから募金が集まり、賛同しない人を巻き込むこともなかったのではないだろうか(そもそも、共有するほどの「悲しみ」か? と思わなくもないが・・・)。

 

同じようなことが、「ふるさと納税」にも言える。ふるさと納税については、こちらの記事でその原理や問題点、ボクなりの考えをまとめているが、

www.overthesensitivity.com

「納税」という文言で「感情が乗っていないお金」を想起させておきながら、「寄付」という名目で「感情が乗っているお金」の幻想を抱かせる。とにかく、実際にはただの「(見返りがある)納税(実質的な減税)」に過ぎないのに、それを「寄付」と呼ぶことの違和感がハンパない。ややこしいのだ。

 

もし「寄付」と呼ぶのなら、何らかの見返りを求める形ではなく、名誉表彰程度の「売名」ができれば良いのではないかと思うし、現状通り見返りを伴うなら、わざわざ「寄付」と呼ばなくても良いのではなかろうか。

 

 

さいごに

おそらく今後、ブロックチェーンのようなデジタル化・仮想化技術の発展に伴って「キャッシュレス化」社会がますます進むと、インフルエンサーと呼ばれる方々を中心にして、今以上に容易かつ簡単にお金がグルグルと回り始めることだろう。

 

そのとき、流れているお金を区別するには、「感情が乗っているか/感情が乗っていないか」で考えるのが分かり易いと思う。

 

「お金のリテラシー」として、「感情に基づいてお金を出す」のか、「感情に基づかずにお金を出す」のか、「お金を出さない」のか、その3択を見極めるようにしないと、自分がお金を出す目的を見失ってしまい、気が付いたら社会や経済の格差の大波に飲み込まれていた、ということになりかねない。そんな気がする。・・・考えすぎかな? 考えすぎだね。たぶん。

 

 

 

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