敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

【世界労働遺産】月 150 時間残業を数カ月続けた結果こうなった《実録》

 

f:id:nezujiro:20180516103203j:plain

 

 

「働き方改革」の取り組み、生産年齢人口の減少、労働災害や労働事故に対する忌避間、防止機運の高まり、人工知能(AI)技術の導入などもあって、社会全体としては今後、労働時間や残業時間の短縮へ進んでいくと予想されます。

 

ということは、月に何十時間も残業することなど、徐々に過去のものとなっていき、ボクの月 150 時間残業(100 時間以上のサービス含む)なんかも、そのうち「前時代の出来事」として片づけられることになるのでしょう。

 

でも、そのまま藻屑となって葬り去られてしまうのもアレなんで、「世界労働遺産」として、登録されるかどうかは全く分かりませんが、月 150 時間の残業を数カ月続けた結果どうなったかをまとめておきたいと思います

 

登録にならなくても、せめて子どもたちへの遺産にはなるでしょう。

 

全身がしびれる

とにかく、やってもやっても仕事が終わりません。

 

まず、全国各地への出張がやたら多い上に、昼間は取引先との打ち合わせ、電話・メール連絡、社内ミーティング、社内試験への立ち合い、上司への報告、顧客からのトラブル対応などに忙殺され、「自分の時間」が一切ありません。

 

夕方になってやっと自席に戻ったら、書類の山。図面や仕様書のチェック、修正指示、関連部署への展開などをしていたら、もう 19 時とか 20 時。そこから、頼まれていた設計計算に着手したり、分からないことや不明点を過去の資料、専門書、ネットなどで調べたり、プレゼンの資料を作成したりで、気付いたらもう夜半です。

 

なんとか0時前後に会社を出るようにはしていましたが、金曜日などは、2時、3時まで机にへばりつくこともよくありました。土日もほぼ出勤です。

 

そんな状態が数カ月も続いたある日、全身がしびれて、強烈な悪寒に襲われました。ガタガタ震えながら仕事を片付けた記憶があります。ストレスが限界を突破したのでしょう。その後は、限界の閾値が下がってしまい、この症状に度々悩まされることになりました。今でも、あまり無理しすぎると、似たような症状が出てしまいます。

 

生産性が異常に低下する

最初のうちは、攻撃してくる敵を迎え撃つ感じで、やってくる仕事を次々とこなしていくことに快感を覚え、そんな自分に酔いしれていました。

 

ところが、1~2カ月もすると、何となくボーっとしている時間が増えてくるわけです。日々の疲れと現実逃避が相まって、意識が仮想空間へと旅立ちます。こなしてもこなしても目の前の山が低くならないわけですから、現実逃避も当たり前ですね。

 

生産性や能率が落ちると当然、こなせる仕事量も減っていき、山が低くなるどころか、どんどん高くなっていき、それに比例して焦りもどんどん大きくなります。

 

こうなったら、悪循環が暴走し始め、自分ではどうしようもなくなります。おまけに、たまに早く帰れると思ったら、クライアント対応で夜間に「待機」が必要となったこともあり、悪循環というのは、悪運まで引き寄せる力があることを知りました。

 

こんな時期をどのようにして乗り切ったのか、あまりはっきりと覚えていません。

 

見た目が異常に劣化する

人間は、本当に忙しくなった時、「見た目」を易々と犠牲にします。

 

多少なりともオシャレやファッションには気を遣っていたのに、忙しさのせいで、髪の毛は伸びたい放題の鳥の巣状態、肌は吹き出物か何者かよく分からないようなモノが占有、鼻からは出てはいけないものがコンニチハ(たぶん)、同じ服しか着ていないことに言われて初めて気付く、など。

 

あとから客観的に振り返ってみて、普段オシャレやファッションに気を遣っている人の「見た目」がおかしくなった時、それは、かなり危険な信号を発していることになるんだろう、ということを学んだ気がします。

 

www.overthesensitivity.com

 

出張先を間違える

今日は大阪、明日は福岡、明後日は名古屋、その次は東京・・・というように、やたら出張が頻発していました。リモートで処理できない事案が発生した場合には、19 時に出張先から戻り、事案を処理した翌日、3時間かけてまた同じ所に出張、という馬鹿げた状況もありました。でも、そうしないと回らないのです。

 

たとえ毎日出張でも、普通の労働状態であれば、難なく日々の行き先を管理できるのですが、あまりに意識が朦朧としていたのか、ある日、勘違いして大阪に行くべきところを名古屋の相手先に出向いてしまい、大恥をかいたことがあります

 

こわいのは、そのことをあまり「恥ずかしい!」とか「やっちゃった!」とか思わなかったことです。淡々とアポを取り直して、大阪に向かったような気がします。ミスに対してリアクションすることが、すでに億劫になっていたのでしょう。

 

f:id:nezujiro:20180516115625j:plain

 

昼食に同じものを食べ続ける

基本、昼食は社内の食堂で済ませていたのですが、勤務中の唯一の「お楽しみ時間」と言ってもよいランチタイムなのに、メニューを見て選ぶことが億劫になってしまいました。

 

「正午になったら食べる」ということが機械的なプロセスになってしまい、食べるモノなんて何でもよいわけです。

 

いつの間にか、持ち運びも食べるのも楽な「カレー」ばかり食べるようになり、全身が黄色になりそうなほど、少なくとも1カ月ぐらいはカレーを食べ続けていたと思います。まぁ、今でもカレーは好きですけどね。

 

夕食から朝食までの間隔が短すぎる

本当は食べることが大好きですし、今でも食欲には自信があります。でも、勤務時間中は忙しすぎて、夕食はそっちのけです。間食もほとんどしませんでした。

 

ただ、「資本となる身体の維持には『食』が必要」と思い込んでいた節もあり、夕食や朝食を抜くことは考えられませんでした。

 

0時や1時ごろに普通に夕食を取り、翌朝(というか、その日の朝)6時半ごろには普通に朝食を食べていました。昨夜の夕食の味や香りが、何となく口内や鼻腔に残っているように感じながら。

 

無駄な脂肪はいっぱい付きましたが、若さもあってか、胃腸がおかしくなることはなかったので、それはそれで身体に合っていたのでしょう。少なくとも、エネルギー不足で倒れることはありませんでした。

 

太陽を見て涙を流す

屋外の仕事ではなかったため、労働時間が長くなるということは、太陽の光を浴びる時間が必然的に短くなることになります。毎日、せいぜい朝日を浴びるぐらいで、その朝日も、冬場の早朝ともなれば、かなり頼りない光量しか発していません。

 

土日も平日と同じような生活パターンであったため、やはり太陽の光を浴びません。

 

このような状況で、月1回あるかないかの休日に、今のツマとデートした際には、太陽がやたら眩しかったことを覚えています。確か、「太陽が輝いてるだけでウキウキしてくる」というようなことを連発していたと思います。『異邦人』のムルソーのように、論理性が欠如していたのかもしれません。

 

しまいには、太陽の光を見て泣いていました。当時のツマは、「こいつ大丈夫か?」と思っていたことでしょう。

 

映画館が苦手になる

勤務時間が長いということは、長時間・長期間にわたって軟禁されているようなものです。そのような状態が長く続くと、ある場所に閉じ込められたり、自由が利かなくなったりするのが、すごくイヤになります。

 

特に、映画館はダメでした。

 

元々、映画を観るのは好きですし、1人でも友人とでもデートでも、洋画でも邦画でもアニメでも、何でも好んで映画を鑑賞していましたが、ある時期から「映画館」という空間がダメになりました。

 

太陽から遠ざかっていたこともあり、あの真っ暗で窮屈で身動き取れない空間は、苦痛以外の何物でもなくなりました。自分でも驚くほどの変化でしたね。

 

今では何の問題もなく、この春も「ドラえもん」と「名探偵コナン」を楽しみました

 

極端なことが好きになる

おそらく、メンタルがかなりやられていたのでしょうが、極端なことが大好きになり、行動も大胆かつ極端になっていきました

 

ある日、台風か何かの影響で、勤務先の敷地内が膝まで水に浸かるぐらい冠水しました。普通なら、さっさと帰宅準備を整える場面なのでしょうが、その「世紀末」的な状況が嬉しくなってしまい、あえて遠方のクライアントと長電話してみたり、その日やらなくてもよい仕事に着手したりして、会社にいる時間を引き延ばそうとしていました。

 

たまたま得られた休日。友人と遠方にドライブに出かけた帰り、普段は必要以上にスピードを出すこともないのですが、何か変な衝動に駆られて、気付いたら 150km/h でぶっ飛ばしていました。その友人も忙しくておかしくなっていたこともあり、何も言いません。完全にどうかしていましたね。

 

またある日、スノボで無茶をして胸を強打しました。その翌日には、どこかで足の小指をぶつけみたいです。あとで診察してもらったら、いずれも骨にヒビが入っていることが分かったのですが、最初のうちはそんなこと気にもせず、胸が痛まないように浅い呼吸で、びっこを引きながら通勤していました。仕事に比べたら、骨のヒビなんて大したことに感じられなくなっていたのです。

 

金曜日は夜中2時とか3時まで働き、同僚と連れ立ってそのまま居酒屋やバーになだれ込み、朝日が昇る前にいったん帰宅して出掛ける支度をして、高速道路を使って皆で釣りに出掛ける、という生活を送っていた時期もあります(もちろん、運転はソウバーな人)。昼前に引き上げるのですが、さすがにアルコールは抜けているものの、恐ろしいほどの睡魔に襲われて、ほぼ眠った状態で運転していました。人の迷惑を顧みない大バカ者の行動です。・・・そして午後から出社。

 

人は壊れると、意識が「死」に向かっていくのでしょう。

 

まとめ

そんな会社を去って、随分と時間が経ちましたね。

 

今で言うところの「ブラック企業」だったわけではなく、そういう時代であり、少なくとも同じプロジェクトに関わる人間は、誰もかれも同じような状況でした。

 

「同じ釜の飯を食う」と言えば、聞こえは良いのですが、上から下まですべての人間が「労働」という悪魔に憑りつかれていた状況です。それが「普通」であり、「残業は良いこと」としか思っていませんでした。

 

そんな、今後ますます稀有になるであろう、ボクの「世界労働遺産」です。

 

真の「働き方改革」、万歳!!

 

 

 関連記事 

 

- 敏感の彼方に -