敏感の彼方に

HSPエンジニアがお送りする、前のめりブローグ

[ボクの常識/ブログの非常識]ブログ分割を思いとどまった件

 

 

子どもたちの新学期がスタートして、その初日にあったことを色々と教えてくれた。

 

人間、新しい生活を開始する時は、それなりに緊張もするが、その緊張感が良い刺激にもなるってことを改めて感じた。

 

そんな子どもたちに刺激を受け、このブログも新たな形態でスタートさせるかどうか、かなり悩んだ。ブログの分割である。

 

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というのも、このブログは、分野もバラバラ(完全な雑記)、テーマもバラバラ(情報提供とオピニオンが混在)、人格もバラバラ(過去記事『【ブログ】一人称「私/俺」や「~です/だ」の使い分けが有効』に書いた通り)、とにかくまとまりが全くない。

 

日々の情報インプットで脳ミソから滲み出てきた発想を思い付くままに書き散らしているだけなので、ユーザフレンドリからは程遠く、一部の 変態 優しい読者の方に(喜んでもらえてるのかどうかは分からないけど)辛うじてリーチしているに過ぎない。

 

一方、ブログ界の常識としては、「雑記/特化の仕分け」「情報提供/オピニオンの区分け」「人称の統一」が割りとフツーのようで、分野やテーマごとに異なるブログを立ち上げ、内容に応じて人称を使い分ければ、かなりスッキリするし、SEO 対策としても有効らしい。そういう人が多い。つまり、このブログは、「非常識なブログ」なわけだ。

 

やはり常識が良いのかなと考え、早速、ブログの分割に着手しようと思い立った。

 

が、

 

結局やめた。

 

内なる声が、「ブログの常識は、オマエの常識なのか?」と語りかけてくる。

 

ボクの常識? それは、何のためにブログを書いているか、ということ。

 

何のため・・・ちょっと考えてみた。

 

実験室的な空間

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技術職なため、お客さんの声を直接聞く機会というのは少ないのだが、「何が人の心をくすぐるのか?」というテーマには、とても興味を持っている。

 

ブログは、テキスト表現なので限界もあるが、そんな好奇心を満たしてくれる可能性がある。最大 70 億人の心をくすぐれるなんて、こんなに面白いことはない(現実には、程遠い数字だけどね)。

 

未来予想図

次々に登場する新しいテクノロジと、現在の社会情勢や人々のマインドとを掛け合わせて、将来的にどんな事態が起こり得るだろう? と妄想するのが結構好きな変態なので、そんな未来予想図的なことを勝手に想像して、記録して、あとで振り返れたら面白いなぁと思う。星新一きどりの、まったくの自己満足である。

 

物申す

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ドイツ出身の哲学者ハンナ・アレントによれば、人間の活動的生活は、

  • 労働:生命や生活の維持のため、動物として必要不可欠な作業
  • 仕事:道具や作品の生産など、より人間的な永続的行為
  • 活動:人間社会を形成する政治的活動や芸術的表現行為

の3つに分類される。より単純化すると、「食うこと」「生み出すこと」「表現すること」ということになる。この3つが上手くバランスしてこそ、人間らしい生活を送れるんじゃないかと思う。

関連記事:[なぜ働く?]残業で帰れない理由と上司の「夏休みの宿題」

 

「食うこと」と「生み出すこと」は、普段の「仕事」で何とか事足りるのだが、「表現すること」は、普通の「仕事」ではままならないことが多い。その点、ブログは「表現すること」にピッタリなわけで、無駄と分かっていても、ついついオピニオンを投稿したくなる。みんな、そうだよね?

 

自分だけの空間

ブログというのは、ネットという無限の空間の中に、「自分だけの空間」を作っていく作業だ。世界に開かれているが、作るのは自分自身である。昨日のこちら(↓)の記事にも書いたが、

www.overthesensitivity.com

現実の世界は、足の置き場がどんどん狭くなり、「安住の地」から遠ざかっている印象があるため、その補完として、仮想空間に足の置き場を求めるのは自然なことだと思う。

 

「自分だけの空間」だから、他人に多大なる迷惑さえ掛けなければ、どんな形態でも構わないだろう。この理由が、当ブログのまとまりの無さの一番の要因かもしれない。

 

遺言

ちょっと先のことを考え過ぎだが、脳ミソから滲み出てきた「汁」を文字として子どもたちに残しておきたい気持ちがある(読んでも読まなくても OK)。

 

ボクは祖父や父(もちろん、祖母や母も)を尊敬しているので、彼らが自分と同じ齢のころ、何を考えていたのかすごく気になるのだが、な~んにも残っていない。迷ったとき、苦しいとき、本当は何か支えになる言葉が欲しい。

 

バカな記事も多く量産しているが、たとえ愚かなことでも書き連ねておけば、子どもたちが同じような苦境に立ったとき、ちょっとは心が軽くなるんじゃないだろうか。

 

この目的のためなら、ブログは1本にしておいた方がやっぱり分かり易い。

 

収益

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「お小遣い、欲しい?」と聞かれたら、「はい」としか答えない。

まぁ、それはそうなんだけど、お金そのもの、というよりは、ブログである程度の収益を上げるってことがどういうことなのかを自分で確かめてみたい気持ちはある。それを確かめられたからって、その先に具体的な何かがあるわけでもないが・・・。

 

この目的は、こんなまとまりの無いブログでは達成が難しいけれど、それでも今のやり方を優先するなら、この目的は自分の中では大して優先順位が高くないんだろう、と客観的に判断できる。

 

 

さいごに 

こうやって「何のため?」を考えてみると、そのほとんどが「自分」を中心とした目的であり、コミュニケーション的要素が思いっきり欠けていることが分かるが、それが「ありのままの姿」であり、ブログを書く「ボクの常識」なんだろう。

 

これらの目的から、「詰め込み過ぎ」の当ブログが成り立っているわけだが、このような目的だからこそ、ブログを分割し難いし、無理に分割しなくていいだろうとも考える。分割しても、たぶん管理しきれないし。

 

あまり多くの読者にはリーチできず、はてなや Google のアルゴリズムにも拾ってもらえない「ボクの常識」であっても、それが自分自身の常識なら、やはり逆らえない。

 

 

 

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